一応、百物語をモチーフにしているので、怪談話です。
大した事はありませんが、残虐表現、狂愛、モブの女の子が可哀相な目にあったりしますので、苦手な方はお戻りください。
なお、怪談話ではヒロインと語り部の名前を使っています。
百物語・積木
竹屋は反物を中心に扱う問屋である。
元々はどこの町にでもあるような中規模の店だったが、先代の頃から景気に乗り、今の半兵衛の代に移って爆発的に利益を得た。
今では公家、武家までも広く顧客とする立派な大店である。
そのくせ店主の半兵衛に気取った所はなく、堅実な仕事の手腕、そして誠実な人柄のおかげで、店の者から信頼を集めていた。
だが一つだけ、そんな半兵衛にも欠点がある。
廓遊びに夢中なのだ。なにやら相当入れあげた遊女がいるらしく、三日と間を空けずに通っては、朝方近くまで帰らない。
自分で稼いだ金子なのだから何に使おうと文句など言える者はいないが、彼の人柄が誠実であればあるほど、その事に皆良い顔は出来ぬ。
若旦那は悪い女に騙されているのだ。若はおやさしい方だからそこに付け入られて、金を吸い取られているのだ――――と。
だから、半兵衛がその入れ込んだ遊女を身請けして、妻にすると言い出した時には一騒動ありもした。三代渡って奉公し続けた古参の番頭が、そればっかりはお止めくださいと土下座したくらいである。
だが、結局は彼の意思は強く、その遊女――――は竹屋の女将として迎えられた。
人形のように色が白く、生まれてこの方、箸より重いものは持ったことが無いとでも言わんばかりの華奢な風貌に、店の者たちは不信の眼差しを向けた。
そのうえ、更にと店の者の心を隔てたのが、半兵衛の彼女に対する扱いである。
商家の妻として娶ったくせに、半兵衛はまるで籠の鳥のようにを扱ったのだ。
美しい物ばかりで埋め尽くされた部屋に住まわせ、日がな一日そこで本を読んだり、詩を綴って遊ばせている。まるで遊郭の一室をそのまま屋敷の中に移したような豪勢な暮らしに、下々の者は憤った。
我々はまだ良い。だが、若旦那が朝から晩まで働いているのに、その妻が遊び呆けるとは何たることか。いくら遊郭から身請けされた身と言えど、一度市井に出れば堅気と同じ生き方をせねばならない。女将となって店を切り盛りし、夫を支えるべき妻が、いつまで籠の鳥のつもりでいるのだ――――と。
いつからか竹屋の中では、への反感が強い結束力となって人々の心を繋いでいた。
「もう我慢ならない!」
おようは裏庭の壁を力いっぱい叩いて金切り声を上げた。奉公仲間の女中たちはまあまあと宥めたが、おようの怒りは怒髪天を衝くが如く絶頂に達していた。
怒りの発端は昨夜の出来事にある。
おようが夜半に小用に立つと、店先から明かりが漏れていた。誰だろうと、ひょいと顔を覗かせると、小さな行灯の光を頼りに、店主の半兵衛が背を丸めて帳簿をつけていたのである。
『若旦那! こんな夜遅くまでお仕事を……? もうお休みになってください』
驚いて声をかけたおように、半兵衛は疲労の溜まった顔を向けた。元来病弱な半兵衛の顔が、更に青白く見える。
半兵衛は疲れきった顔に無理やりに笑みを浮かべて、
『これが済んだら休むとするよ。それより君も早く休みなさい』
と、店主らしい口ぶりでおようを促したのだった。
何とかしたかったがおように手伝えることなどなく、名残惜しい気持ちで振り返りながらおようは寝床に戻った。背後から響く、半兵衛の空咳がおようの胸を締め付け、同時にへの怒りに火をつけたのだ。
「だからってさぁ。若旦那が奥様にベタ惚れなのは、あんただって知ってるじゃない。いくら若旦那が優しくたって、あたし達みたいな端女の言うことなんて聞くかしら」
女中仲間に諭されて、おようは唇を噛み締める。
そんな事は分かっている。突き詰めればこれは夫婦の問題なのだから、他人が口出しするような事ではない事も。
だが――――黙っていられなかった。
口には出さなかったが、昨晩、一礼して去っていくおようの背中を半兵衛が呼び止めた。
『君の腕は……綺麗だね。白くて、でも健康的だ』
なぜ半兵衛がそんな事を突如口にしたのかは分からない。だが、その一言がおようの頬を桃色に染め上げ、忘れかけていた半兵衛への恋心を呼び戻した。
ずっと――――初めて奉公に出た日から、ずっと半兵衛を見続けてきたのだ。彼がどんなに誠実で、優しくて、思いやりのある人間なのか、誰よりも知っている。
負けない……
どんなに綺麗でも、どんなに彼に愛されていても、この店で半兵衛を助け、力になれるのは自分の方だ。着飾ったお雛様みたいな女に――――竹屋は切り盛り出来ない。
おようは唇を深く噛み締めると、制止の声を振りほどいて離れへと向かった。
「奥様、失礼します。女中のおようです」
離れは素朴な造りの母屋とは違い、大名の御殿のように煌びやかな造りをしている。それだけでも落ち着かないのに、決して入るなときつく番頭から言いつけられていたため、おようの声は上擦った。
金粉を振り撒いた豪奢な襖の前で、中からの反応を待つ。
沈黙が痛い。
だが、どれほど待てど中から声はなかった。
眠っているのか――――
出直すべきかおようは迷ったが、ここまで来た以上せめて一言物申してやろうと憤りの方が勝った。
失礼します、と声高に宣言して、おようは離れの襖を開いた。
「……っ」
聞きしに勝る豪勢な造りに、おようの目は宙を泳ぐ。
錦の反物をまるで敷布のように縦横無尽に広げ、部屋の調度品は雛人形の家具のような黒檀の一式。床の間には大きな玻璃の金魚蜂があり、その水面を覗き込むような姿勢で内掛けを纏った女の姿があった。
微かに唄を口ずさんでいるのが聞こえる。眠っているわけではない。
「奥様。お話しがございます」
おようはずかずかと座敷に上がりこみ、の背後に膝を折った。
だが、は振り返らない。どんな顔をしているか分からないが――――金魚蜂の赤い出目金が、浮世の事など何一つ知らぬといった顔でぷくぷくと水泡を噴出している。それがまるで自身のようで無性に癇に障った。
「奥様! 話を聞いてくださりませ!」
おようは乱暴な手つきでの肩に手をかけた。
そのままぐいとこちらを向かせるつもりだったが――――
「!?」
ごとり、と。
まるで抵抗のない身体は、そのまま平衡を崩して床に倒れた。
そして、とん、とん、とんとんとん――――
鞠が跳ねる様に首が――――の白いかんばせを乗せた首が、床を転がったのだ。
「あっ、ぁ、ああ……」
おようは両手で己の肩を抱き、その光景に見入った。
まさか首が落ちるなんて……
違う。私は何もしてない……
でも、どうして首が。首が。首が首が首が――――
すっかり腰の抜けた身体を引きずって、おようは後ずさった。
崩れ落ちたの胴を見やり、そして息を呑む。
内掛けから伸びた腕は――――まるで老婆のように痩せこけ、からからに乾いていたのだ。
「あ、あああ……化けも、の」
「見たね?」
突如響いた男の声に、おようは目を見張った。
錦の敷布を踏みつけて、小柄な男が姿を現す。
「は、半兵衛、さ……」
奥様は物の怪です……
首が勝手に落ちたのです。それに身体もからからで……
若旦那は悪い物の怪に騙されていたのです――――!
おようは地獄に仏を見たような心地で男の名を呼んだが、半兵衛はおように目もくれず、座敷の上に転がった首をひょいと抱き上げた。
まるで愛猫の毛を撫で付けるように、半兵衛はの髪を愛おしげに撫でると、
「。起きて」
薄く開いた桜色の唇に、己のそれを押し当てたのだった。
長い口付けを交わし、半兵衛が名残惜しそうに唇を離すと、愕然とするおようの前での首がゆるゆると瞳を開いた。
色素の薄い鳶色の瞳が、胡乱な視線を半兵衛に向ける。
半兵衛は嬉しそうに微笑むと、の首をくるりと回し、座敷の端で震えるおようを見せた。
「見てごらん、。綺麗な身体だろう? 前の君も綺麗だったけれど、少し脆かったからね。今度は健康的で長持ちしそうだ、きっと君も気に入ると思うよ」
くすくすと笑みを浮かべながら、半兵衛は床に飾った刀を手にした。すらりと抜いた刀身が、障子の隙間から差す光を受けてきらきら光る。
「あ、ぁぁ、あ、ああ……」
おようは最期まで恐怖も、胸の澱となっていた憤りも、半兵衛に対する淡い恋心も言葉にする事は出来なかった。
きらり、と放たれた一閃と共に赤い真紅の華が咲いて、背後に張られた障子に血飛沫が散る。
無残に落ちた首を見向きもせず、半兵衛は崩れ落ちそうな白い身体を抱きとめると、白い頸の上にとん――――、とを乗せた。
はぱちぱち、と瞬きを二度、三度繰り返し、やがてゆっくりと小首を傾げると――――か細い声で啼いた。
まるで唄を囀る様なその声に、半兵衛は満足げに微笑む。
「嗚呼、綺麗だよ。俺の……俺だけの」
半兵衛はゆっくりとの身体を抱きしめて、愛妻の新しい身体を味わうように愛するのだった。
end
書きながらサロメをちょっと思い出した。
ところで清正といい半兵衛といい、物の怪より人間の方が怖いですね。