ひいなあそび 籠女04
いつの間にか寝入ってしまっていたのか――――
目覚めると、視界に男にしては小柄な背中が映った。
いつやって来たのか、半兵衛がに背を向けた格好で、足元に開いた書を一心に見入っている。仕事があるならわざわざ来る必要などないのに、と素直になれない心は思ってしまう。
だが、掛け布代わりに肩にかけられた半兵衛の羽織は、彼の氷のような狂気に反して暖かかった。
あの日――――の恋が終わり、半兵衛が狂気を露にしたあの日から、は半兵衛へ憎しみと恐れを感じ続けている。
大切な人たちを奪われ、軍師の道を絶たれ、与えられたのはこの格子に囲われた部屋だけ。
どんなに甘い睦言を囁かれても、どんなに高価な贈り物をされても、はずっと半兵衛を嫌い続けた。
だが、「嫌い」とその言葉を口にするたび、愛憎が表裏一体である事を思い知らされる。
嫌わずに無関心になれたら、いっそ良かったのに――――
嫌うのはの中に、半兵衛への情が捨てきれずに残っているからだ。
かつて感じた恋慕の情を、尊敬の念を、憧れを、裏切られた事に悲しみ、憤りを感じている。だから、は「嫌い」なのだ。
それは口先だけの虚勢に過ぎない。の心が揺さぶられ、情を捨てきれずにいる事など、半兵衛にはとっくにお見通しに違いない。
本当に憎く思うのなら、は下女の命など考えずとっくのとうに自刃しているだろうし、抱かれる事も拒んだだろう。そうしないのは――――どこかで落ち着くところを探していたからだろうか。
半兵衛の冷静な狂気はきっと消えない。だが、形を変えることはあるかもしれない。
同じようにの憎しみも消えないだろうが、別のものへと昇華するかもしれない。
それを――――どこかで自分は求めていたのだろうか。
「ごめん」
振り返らない半兵衛の背中が、ふいに呟いた。
「が俺のこと嫌っているのも、許せないのも知ってる。だけど……俺はのこと、手放せないから」
が起きている事に気付いていたのか、半兵衛が淡々と告げた。
「だから策謀を巡らして、どんな事があってもを繋ぎとめるよ。逃がすつもりも、開放するつもりもない」
ずっと籠女(かごめ)のままなのだと、半兵衛は告げる。それは願いなどではなく、命令でもなく、決定だった。
元から決まった計画を淡々と口にするように、半兵衛は言う。
「では、なぜ謝るのですか?」
の問いに、半兵衛はわずかに笑ったようだった。表情は見えないが苦笑を浮かべているのが想像できた。
「こんな風にしか愛せなくてごめん」
不器用なわけでも、頭が回らないわけでもない。すべて計算尽くしで、緻密な計画に基づいているというのに――――奇妙に歪んだ関係しか保てなかった事に、半兵衛は詫びているのだった。
は羽織を肩にかけたまま、半兵衛の背後に膝を下ろすと、こつりと額を背にあてた。
「あなたは卑怯です」
わずかな温もりと共に背中から伝わる言葉に、うんと頷いて半兵衛は再び苦笑を漏らす。
「俺、卑怯でずるいから――――もっと賢いやり方、考えられなかったんだ」
諦める事も手放す事も出来ずに、拘泥し続けて繋ぎとめ――――歪んだ絆で繋がれたまま、行く事も帰ることも叶わない。
そんな己を滑稽だと思わぬでもなかったが、だから何だと開き直ってしまっている。
ごめん、ともう一度呟いて、半兵衛は身体を反転させるとの身体を抱きしめた。
「だからあなたの事、大嫌いです」
は小さく呟いて、半兵衛の腕の中に身を任せた。
春の芽吹きを喜ぶように、不如帰が梅の小枝にとまった。
の千里眼ではその声を聞くことは叶わないが、小鳥のさえずりが視界から響くようだった。
「、梅の花が咲いたよ」
つぼみの多い紅梅の枝を持って、半兵衛が格子をくぐった。
にゃぁん、と猫が鳴いてその足に身体を摺り寄せる。
は無意識に腹部を撫でながら、半兵衛の差し出した紅梅に手を伸ばした。
end
色々歪んだものを抱えつつ、形を変えようと決意したところで終劇です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。