ひいなあそび 籠女02
外はちらちらと雪が降り始めていた。
屋敷を囲む山野には雪が積もり始め、冬の木枯らしが空を舞う。
はぱちりと瞬きをすると、瞳に込めた碧の光を霧散させた。
囲われたこの部屋の中では昼夜、季節を知る事すら叶わない。いつの間にか、千里眼で遠くを見る事が多くなっていた。
にゃぁん、と声を上げて白猫がの身体に擦り寄ってきた。
が寂しくないようにと連れてこられた白猫は、不自由な足を引きずりながらの膝の上に上った。
かつて、が半兵衛の怒りを買い、見せしめに切られた足だった。痛々しい傷跡を残すものの、猫は怪我の理由など解さずにも半兵衛にも懐いている。
飼い主につけられた傷に文句すら言わず、尻尾を振って縋りつく姿に己を重ね合わせ、は深いため息を零した。
手鏡で見やると、首筋に赤い痕が点々と残っていた。
昨夜、半兵衛が残した情事の痕だ。人に会う機会がないと知っているからか、所有の証を刻むのに場所を選ばない。身の回りの世話をしてくれる下女に会うたびに、が気まずい思いをしているのを知らないのだろう。
もっとも、が監禁されている事を黙っているのだから、そのような無駄口を彼女達が零すとも思えないが。
「様、昼餉をお持ちしました」
足音もなく襖の外から声がかけられた。
は襟元で出来るだけ首を隠すようにして、いらえを返す。と、襖が開かれ、長身の女が膳を抱えて部屋に入って来た。
一見、普通の下女のようだが、音のしない足取りに女はくのいちだろうと、は当たりをつけていた。そもそもとて武芸の心得がある。ただの女に世話をさせれば、が力ずくで出ようとするかもしれないと、半兵衛が考えぬはずがなかった。
膳がちょうど通るくらいの小窓を開き、女が昼餉を部屋の中へと押し入れた。
漆塗りの綺麗な碗にはまるで京懐石のような一汁三菜が並んでいる。
「下げてください。食欲がないの」
は一瞥すると、顔を背けて告げた。
女は困ったような笑みを浮かべる。
「そう言って朝餉もお召しになられませんでした。どうぞ一口だけでも、召し上がってください」
懐柔するような優しい声音だが、きっと女が膳を下げないであろう事をは悟っていた。
ここに連れられて来たばかりの頃、半兵衛に反抗するためには一切の食事を拒絶した。その時、この女が召し上がって下さらなければ、喉をついて死にますとを脅したのだった。
何を馬鹿な事をとは侮ったが、女の目は本気だった。
「どのみちあなた様にもしもの事があれば、ご主人様より死を賜ります。どうせ首が落ちるのならば、わたくしは自分の手でそう致します」
そう言って匕首を掲げた姿を、は忘れなかった。
恐怖と己の無力さに涙を零して汁を口にしたに向って、女はにっこりと微笑むと、
「ありがとうございます。これで命を永らえる事が出来ました」
と礼を言ったのだった。
その一件がが半兵衛を嫌う事になった理由の一つだが、をここに繋ぎとめておくためならば、くのいちの命など幾らでも半兵衛は用意する。の愛猫の足を躊躇いなく切り裂いた半兵衛ならば、そのくらいの事はやって当然だった。
「お願い。本当に気分が悪いの」
が告げると、女は困りましたねぇとのんびりとした声を上げえ、首を傾げた。
「子を身ごもると食欲が失せるとも申しますが、お子のためにも滋養の付くものを召し上がっていただかなければ」
「なっ……!」
女がの懐妊を知っていた事に、は言葉を失った。自分でさえ怪しいと思いつつも、身ごもった事を確信できずにいたのだ。
それをさらりと他人に言われ、は驚愕を隠せずにいた。
の胸中を知ってか知らずか、女はにこりと笑みを浮かべる。
「様が身ごもられたのが、先月の望月の夜。と考えますと、つわりを催されるにはいささか早うございます」
さえ知らない懐妊の日までさらりと言いのけ、はますます言葉を失った。月のものの周期と半兵衛のおとないを計算すれば、当たりをつけられぬものではないが、余人にそのような事まで言い当てられ、は顔を赤面させた。
「どうして……知って……」
自分の懐妊が確信に代わり、は大いに戸惑った。
「初めての御懐妊は誰でも戸惑うものです。ですが、お母上となられるからには、様にもいっそうお強くなっていただかなければ」
「そんな事……受け入れられると思うの?」
「好むと好まざるにかかわらず、受け入れて戴く他ございません。わたくしはお子の安全にも心を配るようにと命を受けておりますゆえ」
再び女が匕首を取り出すのではないかと、は身体を強張らせた。
逃げる事も、拒絶することもできない。
一生自分はこの囲い閨の中で飼われ続けるのだろうか――――
は唇を強くかみ締めながら、未だ湯気の立つ膳を引き寄せた。
end
拒む事すら赦されない籠の中。