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春の嵐02





 桜色の吹雪が視界を覆ってしまうのではないかとさえ思えた。
 花の美しさはどこに行っても変わらない――――そう、血塗られたこんな戦場であったとしても、咲く事も散る事も皆、一定なのだとぼんやりと思った。
「泣かないで……――――
 桜の木に背をもたれたまま、自分の胸にしがみつく様にして泣き伏している少女に声をかけた。
 力の入らない手で背を撫でる。
 温かい――――体温の低い彼女をそう感じるのは、自分の身体がそれ以上に穏やかに冷えていっているからなのだろうか。陽光の柔らかな暖かな日だと言うのに、妙に薄ら寒く感じる。
 身体を密着させた箇所だけがほんのりと温かい。この温度差がここに残る者と、旅立つ者の差なのだと思った。
「これはさ、ずっと前から決まってた事なんだよ」
 慰めにもならない言葉を吐く。
「俺は元から身体が弱いし、陣中で死ねるなら本望だってずっとそう思ってた」
 だから泣く必要なんてないよ――――
 そう告げると、彼女は首をふるふると横に振って顔を上げた。涙で濡れた顔が、間近に迫る。
「半兵衛様は嘘つきです。ずっと側にいてくださると……約束したではないですか!」
 まさか今際の時になって責められるとは思わず、半兵衛は苦笑を浮かべた。
 いつだったか、を安心させるためについた嘘だった。そんな嘘でもつかなければ、の方こそ倒れてしまいかねなかったからだ。
「ごめん。俺は嘘つきで卑怯だからさ、の泣くところ、見たくなかったんだよ」
 結局、今になってこうして見る事になってしまったのだけれど。
 泣き顔でさえ、少女ははっと息を呑むような整然とした美しさを纏って、頬を伝い顎先から零れるしずくでさえ美しく見えた。
 この娘が大人になり、軍師としても女としても一人前になる所まで見届けたかったが――――どうやら、時間切れのようである。
 ああ、寒い。
 桜の季節だというのに、まるで冬のようだ。
 の温もりを得ようと、半兵衛はの肩を抱き寄せたつもりだったが、肩にかけた指先に力は篭らなかった。
 視界が――――かすみ始める。
 柔らかい薄紅色の花びらが、視界を曖昧に包み始める。
……」
 何かを言いかけた唇は、彼女の名を呼ぶだけで精一杯だった。
 は半兵衛の滑り落ちる指先を両手で掴み、かぶりを振った。
「いや……いやです……いなくならないで」
 ちらちらと桜の花が静かに散る。
「あなたはいなくてはならない方です! 秀吉様のためにも、官兵衛様のためにも……だから!」
 力の抜けていく指先をは強く握り締めた。そうして乖離しようとしている何かを繋ぎとめるように、懸命に力を込める。
 そして、柔らかな唇が半兵衛のそれに重ねられた瞬間――――
 ふう、と息を吹き込まれた。
 至近距離で見るは泣いていた。
 ぽろぽろと透明な雫は、彼女の煌々と輝く碧の光を受けて煌き――――
「お願い……連れて行かないで。私の両目を、あげるから」
 そして視界を覆う、桜吹雪。





 どれほど気を失っていたのだろう。
 目を開くと、未だ世界は柔らかな陽光と桜の花に囲まれていた。
 それほど長く意識を失っていたわけではないようだ。
 桜の絨毯のような地面に腰を下ろし、大木の幹に寄りかかるようにしたまま覚醒した。は先ほどと同じように胸にしがみつくようにして、半兵衛の羽織の合わせ目を握り締めている。
 だが、微動だにしない彼女を怪訝に思い、半兵衛がに触れるとその身体はひんやりと冷めていた。
……?」
 呼びかけに応える声はない。
 揺り起こすように肩を揺さぶると、の身体はいとも簡単にぐにゃりと曲がり、半兵衛の足元に崩れ落ちた。
 固く閉じられたまぶたはそのままままで、長い睫毛は揺れる事もない。
 半兵衛の手の甲を、暖かな水滴が叩いた。
 何事かと目元に手をやると、自分の瞳から涙が零れ出しているのだと気付いた。次から次へと零れる涙は、半兵衛の意思を無視し、幾度拭い上げても留まる事を知らない。
 半兵衛よりも早く惜別の意味を知ったその瞳は、ただきらきらと碧の輝きを宿して零れ続けるのだった。



end


目の継承と共に、力を受け継いだ日のこと。