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春の嵐





 名などないのです――――
 と、寂しげに言った。


 大きな瞳を伏せ目がちにして、長い睫毛をわずかに震わせる。
 その一挙一動がいちいち気になって仕方がない。そんな所まで似せずに良いのにと思いながらも、私の視線は釘付けになっていた。
 薄い藍色の茶碗を取って口をつける。こくり、と白い喉が上下した。
 知れず、私の喉も唾を飲み込んでいる。口の中はからからだと言うのに。
 すると、盗み見していたのを見透かしていたかのように、大きな瞳が私を見た。涼やかな目元をわずかに細めて、
「見ていたでしょう?」
 と、意地悪く笑う。
 私はいや、と口の中で呟いて空とぼけたが、そうする様さえ笑われているような気がして、ばつの悪さを誤魔化すように視線を庭先に放った。
「春ですね」
 と。
 庭先には桜の大木が満開の花を咲き誇っている。薄紅のそれはちらちらと、花弁を散らせては風に乗せて届けた。
 座敷に吹き入ってきた花びらを手の平で掬い上げて呟いた言葉は、やはり寂しげだった。
「ああ、春だよ。ごらん、不如帰だ」
 枝に止まった小鳥を指差すと、小鳥は私達の沈黙を埋めるように鳴いてくれた。その春を謳歌する姿を眩しそうに眺める横顔に、やはり私は見とれてしまった。
 綺麗な顔をしているとは、よくよく思っていたものだが、今のこの姿は異常だ。
 中性的な顔立ちがいよいよ極まって、陽の下だと言うのに妖しげな色気を帯びている。
 白い顔に紅い羽織がよく映えて――――それが逆に、悲しくなった。
 似すぎている。
 いや、むしろそのものだ。
 面影を真似るのでも、風貌を装うのでもなく、自然と、まるでそれがあるべき姿であるかのように、そうあるのだ。
「これからどうするんだい」
 私の問いに、どうしましょうねぇ、と緩慢な答えが返ってきた。
「どうしましょうねぇ、って君――――
「このまま元就公の所に入り浸ってしまおうかな」
 あはは、と不自然なほど明るく笑う。
「そんな事を言ったら、官兵衛が悲しむよ」
「悲しみますか……。どうだろう。むしろ、その方がいっそせいせいするとか言われるかも」
「まさか、」
 またそんな軽口を、と言い掛けて、悲しげな――――今にも泣きそうな顔が振り返ったので、言葉を飲み込んだ。
 この子がこんな顔をするところを、私は初めて見た。
「本当は……どうしたらいいのかなんて、全然わからない」
 瞳は答えを探すように虚空を彷徨った。
「本当は重過ぎるんですよ。この目も、の家も」
 だが――――だけど、と呟いて、やはりこの子は寂しげに笑うのだった。
「逃げられないですよね、常世姫だから」
 薄い色彩の瞳がみるみる内に碧の輝きを集め、まるで宝玉のような光を放つ。
 この世のものとは思えないような輝きを見つめながら、私はやはり似すぎていると思った。
 皆、この目を持つと望むと望まざるにかかわらず、常世姫になってしまうのだ。
 名前だけではない。顔も、心も、何もかも。
 常世姫と言う名の偶像に変わってしまうのだ。
「先代の意思は継がなきゃ」
 と、ため息混じりに。
 本当はこんなの面倒くさくって、出来る事なら毎日寝て過ごしたいけど、などと軽口を叩きつつ。
 だって――――
「俺は、十八代目の常世姫なんだから」
 悲しげに呟いた半兵衛の碧の瞳を、私はただ呆然と見つめていた。



end


ヒロインかと思わせて実は半兵衛でした。
珍しく切ない系の話。
全3話です。