Text

解脱 げだつ

《梵vimukti,vimokaなどの訳。縛るものを離れて自由になる意》
悩みや迷いなど煩悩(ぼんのう)の束縛から解き放たれ自由の境地に到達すること。
悟ること。涅槃(ねはん)。
「―の境地」「煩悩を―する」

引用元:はてなキーワード




ぐしゃぐしゃ 06





 忘我の極地にあった正則の意識を呼び戻したのは、馬鹿だなぁ、と呟かれたその一言だった。
 腫れた両目を微かに開くと、正則を見上げるようにしている半兵衛と眼が合った。何しに来やがった、と毒づいて見せたが、それは精一杯の虚勢にしか見えなかっただろう。
「俺をはめようなんて、甘いよ」
 半兵衛が意地の悪い顔で笑った。
 てめぇ、と青筋を浮かべて身体をよじったが、がんじがらめに荒縄に縛られ木にぶら下げられたその姿では、反撃など出来ようはずもなく、正則はただ悔しそうに唇をかみ締めた。
 正則がこうして、蓑虫のように木に吊るされているのには訳がある。
 正則が勝手に『解脱の法・改』と名づけた――――つまり、生きたまま意識が解き放たれて自由の境地に達してしまいそうな、危険な技と言う事だろうが、詳細は不明――――その仕置きは、の極刑の中でも特に厳しく凄惨を極めた。
 それでも意識を保っている正則の精神力を賞賛すべきか、それとも呆れるべきか。
「そこで百八つの煩悩でも数えてなさい!」
 と、怒ってはどこかに行ってしまい、鴉に出っ張った頭部をがすがすと突かれている時、ちょうど半兵衛が通りかかったのだった。
「てめぇ、どこで入れ替えた」
 正則は瞳に怒りを灯し、半兵衛の顔を忌々しげに睥睨した。
 半兵衛の箱は潰したはずだ。中のレコーダーも、機能しなくなるくらいに握り潰して捨てた。
 なのに――――に差し出した東屋の箱の中には、大福などなく、小さなボイスレコーダーが一つ。
『しかし、も馬鹿だよなー。まさか俺たちが裏で糸を引いてるとも知らずによ〜』
 その声を封じる機械は、正則の意図に反して勝手に喋り始めた。
『まさか俺が大福をちょろまかしたなんて、夢にも思ってないんだからよう!』
 が空の箱の底を覗き込んだまま、ぱちぱちっと瞬きを繰り返した。
 その瞬間、三成と清正の行動は迅速だったと思う。
 驚くほどの速さで襖を蹴破ると、金ヶ崎の退き口なみの全速力でその場を後にしたのである。
 まるまる一拍出遅れた正則が、我に返り後ずさった時にはすでに遅く、の放った飛刀が音速を超える速さで正則の頬を掠めたところだった。
 笑顔だった。
 とても美しい、天女のような微笑だった。
 はにこりと愛らしく正則に微笑んで見せると、
「その煩悩、頭ごと解放してあげる」
 と、それはそれは恐ろしい事を宣まったのだった。





 馬鹿だなぁ、と半兵衛は再び繰り返した。
 馬鹿というか、要領が悪いというか――――上手く逃げおおせたであろう三成や清正と比べると、何とも哀れになってくる。
 あんだよ? と正則が青筋を浮かべて問うた。
「残りの二人なら、きっと外れの箱だって気付いた瞬間にピーンと来たんだろうね。ま、だからこそ、上手く逃げられたんだろうけど」
 脳裏を覆った謎が、正則の行動を一瞬遅らせたのだ。
 あのねぇ、と半兵衛は腕を組んで種明かしを始める。
「箱は最初から三つあったの。わかる? 俺の箱が二つ、大福が入った箱が一つ」
「あん?」
「俺は東屋の箱を二つ用意して、両方にボイスレコーダーを仕掛けておいたわけ。一つはあの場に残して、もう一つは大福の箱と入れ替えて」
 つまり、半兵衛が去った時点で、すでにあの部屋には大福の箱はなかったのだ。
 最初の箱はフェイク。
 子飼い達が自分を疑うだろう事を読んでいた半兵衛は、逆にあからさまな罠を見せ付けることで、三人を安心させたのだった。
「つまり、一つ目の箱を排除して、俺の罠を見破ったと慢心したのがそもそもの間違い。策はいくつも考えておくものだよ」
 そして、安心しきった三人はまんまとの前で箱を開き、自滅したと言うわけだ。
「てめぇ、はめやがったのか……」
 一度ならず二度までも半兵衛に馬鹿にされ、正則はぶるぶると手を振るわせた。
 だが、半兵衛は穏やかに笑むだけで――――否、細く目を開くと、爬虫類を思わせる冷たい双眸がそこにあった。
「君が言えた義理かなぁ?」
 半兵衛がにぃっと唇を歪めて見せた。
 とは対称的に悪魔のような顔で嗤って――――
「さぁ、どんなお仕置きがいい?」





 こうして正則青年はいつもの如く痛い目に遭い、三成は知らん顔で馬鹿がと呟いて、清正は呆れたようなため息を付く、めでたしめでたしとなるわけだが――――最後に物語の結末として、大福の所在を明らかにせねばなるまい。
 一仕事終えて茶室で茶をすすっていたは、半兵衛が庭先からやって来るのを見つけて、視線を厳しくさせた。
「何か御用ですか、半兵衛様?」
 と、正則の悪巧みが暴かれたものの、大福が食われた事や写真を受け取った事は根に持っているらしく、言葉がいちいち刺々しい。
 半兵衛は苦笑を浮かべると、の目の前に白い箱を差し出した。
 封の開かれた小さな箱、蓋には東屋の紋が入っている。
「ね、これで機嫌直さない?」
 と、の目の前で箱の蓋を開いて見せた。
 は複雑そうな表情で箱の底と半兵衛の顔を見比べていたが、やがて、
「イチゴ大福三つ分だけですよ」
 と、その箱を受け取ったのだった。



end


結局、半兵衛が美味しい所を持っていって、正則が痛い目に合う……と、
いつものパターンで終劇です。
これにて「ぐしゃぐしゃ」シリーズは完結でございます。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!