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「うぇ」
 と、変な声で啼いた。
 王手と先に告げた半兵衛は、が困り顔で盤上を見下ろしているのを、にやにやと笑みを浮かべて眺めていた。
 何とか王将を逃がそうとは食い入るように盤を見つめるが、どれも苦肉の策にしかならず、二三手先には同じように王が追い詰められてしまう結果となる。
「ある?」
 と、崩した膝の上に頬杖を付いてにやりと笑むと、は困窮極まった顔でうう…、と唸った。
「半兵衛様、ま」
「待ったなしね?」
「ぐ……」
 先に退路を塞がれ、はますます困った顔で盤を見つめる。
 すでにの陣は穴だらけで、残った駒で最低限の守りを固める篭城戦。
 取られた駒は半兵衛の手の上にあり、半兵衛はそれを放ったりして弄っている。せめて角か飛車でも残っていてくれれば、と半兵衛の手の中を見やるが、そうして戻ってくるものでもなく――――どんなに頭を悩ませても、極地を切り抜ける秘策は見つからなかった。
「降参?」
 だらだらと冷や汗をかくに、半兵衛はわざとらしく無邪気に問いかける。
「い、いえ……! ここの銀で角の道を塞げば……!」
 なんとか王を守ろうとは銀を前に動かした。
 が、
「王手」
 ぱちり、とどこからともなく飛んできた飛車が、の最後の防壁である銀を破った。そして二度目の王手。
 飛車を取れば角に打たれる。王を動かせば飛車に食われる。
 まさに前門の虎、後門の狼の状態に追い込まれ、は悔しそうにううう……、と唸った。
 そして、
「参りました……」
 俯いたままぼそりと呟くと、半兵衛はにんまりと満面の笑みを浮かべたのだった。




盤上遊戯





「これで俺の五連勝! 約束、ちゃんと守ってね?」
 盤上の駒をごちゃごちゃとかき混ぜながら、半兵衛は実に嬉しそうに言った。
 分かってますよ、とは少し悔しそうに、唇をへの字に結んで駒を片付け始めた。
 約束とは何の事は無い、見返りもなくただ遊ぶのは退屈だから、と半兵衛が将棋を始める前に提案した事だった。
 曰く、五回負けた方が相手の言う事を一つ聞く。
 多少は自信のあったは望むところですとばかりに、半兵衛の挑戦を受けたわけだが――――結果は惨敗。まさかの五連敗である。
 そもそも半兵衛も人が悪いのだ。強いなら強いと言ってくれればいいのに、まるで初心者のような顔で勝負を挑むから、ついついも乗ってしまった。ところが蓋を開ければ大逆転。強いと言われる官兵衛以上の棋士である。
 少しくらい手加減してくれてもいいのに、とはぶつくさ呟いていたが、まあ負けてしまったものは仕方が無い。今更、約束を違える事など出来ないし、どうせ庭掃除か遣い走り程度のものだろうと高を括っていた――――のだが……
「えぇ」
 明らかに厭そうな顔で、は声を上げた。
 対して半兵衛は至極上機嫌で、よろしくぅなどと手をひらひらさせている。
 半兵衛の出した約束とは、『俺の膝の上で一日過ごす』という下心満載のものだった。





 その姿を見て、何の遊びだと官兵衛が不快を露わにしたのは、当然の反応だろう。
 軍師たちの執務室はそう広くない。四方を本の棚に囲まれ、その中に三つの文机が別々の方向を向いて置かれている。その内の一つに二人が折り重なるようにして座っているのだから、目くじらの一つも立てたくはなるだろう。
「ただの遊びだから。お構いなく」
 などと半兵衛は言っているが、十中八九半兵衛の悪ふざけに違いない。
 半兵衛のあぐらをかいた膝の上にちょこんとが乗っており、それを後ろから抱きとめるような形で半兵衛が座っている。半兵衛は妙に上機嫌だが、は所在無さげにそわそわと瞳を動かしていた。
「執務中は下らぬ遊びは止めろ」
 と、官兵衛に注意されたものの、
「俺、左利きだから平気だって」
 との脇の下から手を伸ばして、文机の上で書き物を始める。が右利きのため、お互いが仕事の邪魔をする事はない、と言いたいのだろうが――――詭弁だ。
 更には、それにがいるからサボらないよ、などと理由を付け加えて自分の行為を正当化させるのだった。確かにが乗っているのだから、いつもの様に昼寝に出かけたりは出来ないだろうが、やはりとって付けた理由に過ぎない。
 愚か者と言いたげな視線には困惑の表情を向けたが、賭けに負けたのも約束したのも事実であり、には逃げ場が無い。
 今度は声に出して愚か者、と呟いて官兵衛は馬鹿には構わぬとばかりに、己の執務に没頭するのだった。



end


おじさん、下心満載です!
最後は裏落ちなので、ご注意を〜