赤の朔望
が女になった日のことを覚えている。
正月でもないのにその日の夕餉は赤飯が振舞われ、ねねが妙に上機嫌だったからだ。
その時はそれが何を意味するのか正しくは理解していなかった。頭でっかちの三成は理解していたかもしれないし、正則はそんな事は一切気にせず久しぶりに食らう赤飯に夢中だった。
の祝いだと言うのに、当の本人は浮かない顔で細々と赤飯を咀嚼していた。言葉もほとんど交わさず、上機嫌で語りかけるねねや秀吉の言葉に、はいといいえのみで答えていた。
だからなのか、その儀式がなんであるのか、その場では聞く事ができなかった。後になって三成に問うと、三成はそんな事も知らないのか、と馬鹿にするような口調で答えた。
「女が初めて月のものが来ることを初潮という。にそれが訪れたのだ」
月のものとはなんだ、と間髪入れず問うた清正に、三成はますます嫌そうな顔を見せた。本当に何も知らぬのか、と嘲りを通り越して呆れたような口調だ。
「女は子を産むために、月に一度血を流す。それが月のものだ」
「すべての女がか? おねね様もか?」
「無論だ」
本当に何も知らなかったのだろう。清正は初めて知る知識に少なからず衝撃を受けたような顔をしていた。もしかしたら、子がどのように出来るのかも、正しく理解していないのかもしれない。まさかこうのとりが連れて来るとでも思っているのではあるまいか。
がたいばかりでかいくせに、こいつはそういう所は意外と初心だ。かまととぶった男は嫌われるぞ、と清正が理解しないのを承知で、三成は毒づいた。
「血を流して痛くないのか?」
「知らぬ。男の俺がどうしてそんな事を知っているのだ」
「だって肉が裂けるのだろう? 月に一度、必ず血を流すとは女子は難儀だな」
清正の純朴な質問に、三成はいよいよ嫌になった。確かに女の身体の構造を知らねば、そのように思うものかもしれない。が、その詳細を逐一三成に説明しろと言うのか。冗談ではない。
「に聞け」
と三成は清正を突き放した。まさかそこまで恥知らずではなかろう、と想像しての一言だったが、清正はあっさり分かった、と言ってを探しに行ってしまった。
に破廉恥と罵られ引っぱたかれる清正を想像し、哀れに感じもしたが、それはもはや後の祭りである。
は庭に植えられた無花果の木の下にいた。
夜着を着たまま膝を地面につけ、幹に寄りかかるようにして瞑目していた。
心なしか眉を辛そうにひそめ、呼吸も深く緩慢だ。
「、腹でも痛いのか?」
声をかけると、がうっすらと目を開いた。
一瞬、の瞳が碧に輝いたような気がした。光は空気に触れると霧散するように失われ、すぐに鳶色の瞳に変わっていた。
「ん……、清正?」
立ち上がろうとする身体をそのままとどめて、清正はの隣に膝を付いた。
「初潮は腹が痛くなるのか?」
清正の素朴な疑問に、は一瞬目を丸めた。さっと頬に薄紅の色が差す。
が、その色は羞恥による怒りというより、恥かしさが成すものだった。
「そっか。清正も知ってるんだね……」
と困ったような笑みを浮かべる。
正確には正しく理解などしていないし、先ほど三成に与えられたばかりの知識である。清正が女の構造を知っていると思うのはの早合点だったが、は構わず言葉を続けた。
「女がこんな面倒な生き物だなんて、私知らなかった。おねね様も屋敷の女の人たちも、ずっと私と一緒なんだって思っていた」
でも、違った。否、その仲間にも変化した。
「これから私はずっと、月の満ち欠けと共に血を流し続けるのね。そしてやがて誰かの子を孕み、痛みと共に産むのよ」
「そういうものなのか」
不思議そうな表情の清正に、そういうものなの、とは笑いかけた。
そして清正の手を取ると、己のそれと重ね合わせた。
「見て。私と清正の手、ほとんど大きさ一緒だね」
「背丈も同じくらいだしな」
「うん。でも、きっとすぐに追い抜かれちゃう。力も清正の方はずっとずっと強くなって、私なんてきっと歯が立たなくなってしまう」
の目は悲しげだった。涙こそないが、月光に照らされた白い面に暗い陰があった。
悔しい、と一言、が呟く。
「どうして私は男の子に生まれなかったんだろう。そうすれば、ずっと一緒にいられたのに……」
「何言ってるんだ。これからもずっと一緒だろ?」
「違うよ」
は小さく首を振り、そっと襟元をくつろげた。わずかに膨らむ胸元に、清正は咄嗟に視線を逸らす。子の作り方は知らなくても、の膨らみ始めた胸は直視できなかった。
だが、は清正の頬に手をやり、こちらを向かせる。
「どうして目を背けるの?」
「それは、お前……」
「私を女だと意識しているからでしょ。だから見れないし、触れられない。どうして? 私達は同じではないの?」
清正は言葉に詰まった。姉弟のように育って来た。寝食も鍛錬も勉学も、いつも一緒だった。三成と正則と何も変わらない、特別に意識する相手ではないはずなのに。
は寂しげに微笑む。
「私は女だから、みんなとはもう一緒じゃない」
月と共に血を流し、やがて腹を痛めて子を産む。
その摂理を嘆くように、は声もなく涙を流した。
その涙を拭ってやりたかったが、清正はもうに触れる事ができなかった。
ただ何も言えないまま、美しく流れるの涙を見つめていた。
明くる日、は子飼い部屋から出て行き、清正たちとは別の寝所が宛がわれた。正則はしきりにずるいずるいと文句を言っていたが、ねねにたしなめられて詰まらなそうに唇を尖らせていた。
そして、子飼い部屋を出るのと同時に、は日課だった鍛錬も勉学も辞めてしまった。聞けば、鍛錬はねねのくのいち隊に、勉学は官兵衛に師事する事になったのだと言う。
一緒にはいられない、そうの言った意味を、清正はその時初めて理解した。
そうして、と子飼いたちは同じ屋敷の中にいても、顔を合わせるのはまれになった。逢う度にまるで見知らぬ少女のように成長していくを、清正はまぶしいものでも見るように見ていた。細いながらも丸みを帯びていく身体、声は高く鈴の音のようで、肌は白く、寄ると花のような甘い匂いが香った。
そして、いつの頃からか清正も成長し、背はとうにのそれを越し、四肢は屈強な筋肉で覆われた。声も低くなり、肌も浅黒くなったと思う。他の男共と同じように品のない話に加わるようになったし、女の抱き方も覚えた。元服を済ませる頃には、初陣にも立ち、敵の首級を挙げた。
汗と血と粉塵に塗れた己の姿は、確かにのそれとは違う。
いつの間にか違えた道は、こうも明確に二人を分かちていた。
そして――――
山頂を吹き抜ける風が、清正の短い髪を薙いで行く。
清正は馬上から敵の布陣を見下ろしていた。
数はあちらが優勢。だが、この戦、負けるわけにはいかない。
「壮観だね」
涼やかな声が響いたかと思うと、隣に紅い衣を纏った少女が立った。長い髪を風になびかせ、それを手で押さえるようにしながら、敵陣を見つめる。繊細で儚げな顔をしているが、その双眸はどこか好戦的な輝きを放っていた。
「敵は我が軍のおよそ二倍の戦力。加えて、先鋒はかの名将・真田幸村。勝算はあるかしら、武士殿?」
「当たり前だ」
短く返して、清正はの顔を見返す。
「策はあるんだろうな、軍師」
問うと、は自信ありげに頷いて、挑むような顔で笑った。
「勿論――――」
たとえ道は違えども、立場は違えども、同じ場所に立つために、武士と軍師として二人はそこにある。
end
清正とヒロインが同じ道を歩めなくなった日のこと。
子飼いと一緒に育ったヒロインには、自分だけ違うという事実がショックだったと思う。
道を違えてしまった人と同じ場所に立つために、
軍師になったとかだったらいいなぁという妄想の産物。