この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。
病床に椿は不吉だと言っておきながら、元就は白い椿を求めて床の間に飾らせた。
輝元などは大殿しっかりして下さい! と、こちらこそしっかりしてくれと言いたくなる様な顔をしていたが、それでも病状を案じてくれるのは素直に嬉しかった。
こういう時、長年培った洞察力というのは邪魔になる。
自分の余命があとどれほどなのか、証明はできないが恐らく医師より正確に自分は知っているだろう。
死への恐怖はない。自分は十分長寿に入る部類で、齢六十を越えてからはそれを迎える心構えはちゃんとしてきたつもりだ。
毛利家の将来にも心配はない。輝元の優柔不断な性格に多少不安はあれど、それを補佐する臣が揃っているし、織田との和議を疎かにしなければ両兵衛も悪いようにはしないだろう。
何も案ずる事はない。孫に囲まれての大往生――――この乱世でこれほどの贅沢はないだろう。
だが、もしもう一つ。もう一つだけ、わがままを許されるというのならば――――
「元就公」
まどろみの中で微かに聞いた声に、元就ははっと目を覚ました。
褥の傍らに見知った娘が座っている。一瞬、幻かと訝って、すぐさま現実だと知り元就は驚いた。
「あの……、お加減が悪いと聞いて……。ご迷惑かと思ったのですが、どうしても……」
表情がどことなく暗いのは、元就の病状を知っての事だろう。膝の上に重ねた手が微かに震えている。
いいんだよ、と答えて、元就はの手に触れた。
の温かな、人間らしい体温に、元就はわずかに目元を緩めた。
狂言廻廊06
「……何故、私なのだ」
ずっと押し黙っていた官兵衛は、長い沈黙をその疑問の言葉で打ち破った。
元就が己の死期を語った、その後の出来事である。
「何故、卿は私にそんな話をする」
そう問いかけた官兵衛の顔には、わずかに警戒の色が見て取れた。元就の真意が見えず、様々な推測を脳裏に広げているのあろう。疑うのはいわば軍師としての性だ。
「心配しなくても何も企んでいないよ。むしろ……これはお願い、かな」
「願いだと?」
「私が死んだ後、官兵衛にあの子の“神様”になってもらいたいんだ」
官兵衛はつと、片眉を上げた。
「……人形師はもう必要ないのではなかったのか?」
「必要ないよ。あの子はもう私の手から離れているから、ちゃんとの人生を歩む事が出来ると思う。でも、それでも決まりごとは完璧じゃないんだ。解のない命題は、には答えられない。もしあの子が答えに困ったら、助けてあげて欲しい」
それに――――
「“神様”が死んでしまった後の事は、私にも分からないよ。もしかしたら一緒にいなくなってしまうかも知れないから。それが心配なんだ」
の存在が元就の狂言から始まったのであれば、元就自身が居なくなった時、その脳裏から生まれた創造物はどうなってしまうのか――――そのまま在り続けられるのか、無かった事になってしまうのか、それは誰にも分からない。
「……その“神様”とやらは、継承できる類のものなのか」
官兵衛の問いに、元就は頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
「うーん。残念ながら、実を言うとそれも分からない」
「……」
「でも……出来るんじゃないかな。何せこれは全部、私の想像から始まった事だからね」
都合がいいな、と応えつつ、官兵衛はわずかに口元を緩めた。
「引き受けてくれるかい?」
「……あえて拒否する理由もあるまい。今、あれに消えられては私も困る」
そう答えてから、泰平の世のためだ、とわざわざ付け足したのは官兵衛流の照れ隠しだろう。元就は柔らかく笑むと、官兵衛に礼の言葉を告げた。
「ありがとう。これで……肩の荷が下りたよ」
の指先に手を重ね、この温もりは一体どこから生まれるのだろうと、元就はぼんやりと考えていた。
そもそも――――想像が形を得たこと事態、納得のいく答えなどない。
この先、この娘はどうなるのか。生きるのか消えるのか、歳を取るのかそのままで居続けるのか、それすらも分からない。
の人生の大半は元就の狂言によって生まれ、実際に生きた期間は実は一年ほどでしかないのだ。
ふと、元就は考える。
もしかしたら――――この嘘は、この部屋の中だけにしか効かないのではないか。
本当は外の世界には居らず、この部屋を訪れた人間にのみ、ここに留まる間だけその嘘が効くのではないか。
元就の病床の夢を共有し、この部屋を出ると目が覚める。襖の向こうには何事もなかったように外の世界が広がる。元就の知らない、伝聞によってのみ認識できる世界。
互いの世界の嘘と真など、その境界線はあまりにも曖昧で無責任で意味が無い――――
そんな途方もない事を考えかけ、元就は思考を振り払うようにかぶりを振った。
それを考える事に意味はない。それこそ――――椿の花の色と同じように、信じたものが真実だ。
「」
名を呼ぶと、傍らに座った娘が不安げな顔を向けた。
これがにとって、初めて体験する死だろうか――――そんな事を思いながら。
「何か話をしよう。眠くなるまで、付き合ってもらえるかな」
「……何が宜しいでしょう……?」
「そうだなぁ」
つと、床の間の白い椿を元就は一瞥し、すぐに視線をの顔に戻した。
謎かけはもういいだろう。
嘘でも真でも――――信じたいものを信じ、愛したいものを愛せばいいのだ。
「そうだね……、君の話をしてくれないかな」
元就の訃報を、官兵衛は秀吉の屋敷でから口伝えに聞いた。
穏やかなお顔でした、と答えたの顔は、予想以上に意気消沈して見えた。喩えるならば、まるで親の死に目に遭ったような顔というやつで、戻ってから何日も塞ぎ込んでいる様だった。
元就の創作では、元就はにとって単なる知人である。両兵衛と共に懇意にしていたとは言え、知り合って一年も経たないのだ。
ただの知人の死にこれほどの衝撃を受けるだろうか。無意識に生みの親の死を悟ったのか、それとも初めて目の当たりにした死を直感的に恐れたのか――――
思考を巡らしたが、官兵衛はすぐにそれを止めてしまった。
解のない問題をあれこれ考えても時間の無駄だ。そんな事よりも、気が塞いでいるのなら、それを解決する策を講じた方がよっぽど建設的である。
「呆けていないで働け」
と、の目の前にどさりと山済みに本を置いてやると、遠い目をしていたがはっと顔を上げて現実に戻って来た。
「あの……私、今そういう気持ちには……」
なれません、と言いかけたの眼前に、さらに追い討ちをかけるようにどさどさっと資料や帳簿を落とす。
「ならば落ち込む余裕がないほど、頭を働かせろ。悩む暇があるなら手を動かせ」
そう言い放つと、は一瞬厭そうな顔をしたが、官兵衛がわずかに眉間に皺を寄せると、すぐさま筆を取って文机に向かった。
これでいい。
これからは色々なものを直に感じる事になるのだ。元就の創作ではない、生の感覚がゆっくりと彼女を人形から人間へ作り変えていくだろう。
の背を眺めながら、官兵衛はふと思い出す。
あの日、元就からこの奇妙な力を受け継いだ日の事――――何故、自分に委ねるのかと尋ねた官兵衛に元就はこう応えた。
『君が一番公平にあの子を愛してくれる気がするからね』
半兵衛や秀吉では駄目なのかと続けて問うた官兵衛に、元就は笑みを向けた。
『うーん、秀吉は可愛がりすぎちゃいそうだし、半兵衛は別の事に及びそうだからなぁ』
それに――――
『官兵衛なら情に振り回されず、純粋にあの子の幸せを見つけてくれるような気がしたからかな。そういう愛し方が……一番、私のそれに似ていたんだよ』
end
一定の距離を保って公平に愛する事が出来るのは、
この二人くらいじゃないでしょうか。
秀吉だと自分の手元において離さない。
半兵衛だと自分の都合のいいように色々吹き込む。
さて、これにて『狂言廻廊』完結です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!