この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。
確かに初めは戯れだったのだろう。
秀吉がとある古城を貰い受ける事になったと聞いた時に、とっさに常世姫が居るかもしれないね、と言ってしまったのだ。
それは何かと訝った二人に、元就は冗談ついでにこう続けた。
常世姫は古城の主だよ。千里眼を持つ姫君で、代々その力は女系に受け継がれていくんだ。
彼女達は名前を持たず、皆同じ顔をしている。同じ魂を繰り返しているんだ。
だから、前の常世姫が死ぬと、新しい常世姫が血族のどこかに生まれる。そして、その子が次の常世姫となり、城を治めるんだよ――――と。
古城の城主であるのは、姫路城の長壁姫の寓話を多少真似たからである。非業の姫であるのは特に意味はない。もし深く尋ねられたならば、その方が魅力的な気がしたから、と答えただろう。
元就公ってけっこう乙女ですねぇ、と半兵衛は笑った。官兵衛は笑いはしなかったが、おそらく同じような事を思っていただろう。そして元就自身もまた、夢見がちだと思った。
だが――――次のおとないの頃に、元就が冗談を続けるように常世姫の話題を出すと、半兵衛はしたり顔でこう言ったのである。
『知ってますよ、常世姫でしょう? 有名な御伽噺だもの。美濃の子供なら誰でも知ってますよ』
と。
狂言廻廊03
今思えば――――あれは二度目のおとないなどではなく、同じ日を繰り返していたのだと分かる。
初めて常世姫の名を出した時に、世界の軸が少しだけ移動したのだ。
常世姫の存在しない世界から、御伽噺として在る世界へ、移り変わった。それをあの時の元就は正しく理解せず、半兵衛達が再び訪れたと錯覚した。
些細な問題である。
初めは戸惑った元就だったが、世界の移行を繰り返すうちに彼はその仕組みを理解した。
常世姫は存在する。彼の語った妄言が、形になって人々の心の中に在る。
それは嬉しい事だった。
この隠居部屋の中に居る限り、世界は椿の色と同じである。元就にはそれが赤なのか白なのか、訪問客の口を借りねば知る事は出来ないし、また今更になって自分から確かめに行こうとも思わなかった。
だが、常世姫に関することだけ、赤か白か決めるのは元就だった。彼がその姿を形作るのである。
まるで人形師になったような気分で、元就は人形の姿を形作っていった。
源氏物語に出てくるどの姫君よりも美しく、平家物語に描かれるどんな武将よりも気高く、時に妖しく、時にあどけなく、元就は生きた娘の姿を作っていった。
どんな来歴を持ち、どんな人生を経て、何を信条とし生きるのか。乱世の中で彼女はどんな役割を持つのか、それをひとつひとつ、まるで千切り絵でも描くように空白を埋めていく。
理想の女性を作り上げていく――――それはきっと若紫に出会った光源氏のような心地に近い。
秀吉の子飼いとしたのは、そこが一番安全そうに思えたからだった。それに空想の中でしか存在しない彼女を、自分が視覚的に捉えられるかもしれない毛利に置くのには少々不安に思ったのだ。
もし、空想と現実が矛盾してしまったらどうする。人々の言葉の上だけで語られる彼女が、元就の生活に直に関わってくるのは危険な気がする。
自分はあくまで人形師であり、神の視点を持つ第三者である。彼女に関わる当事者になってしまった瞬間、己の幻想は霧散して消えてしまうのではないか――――そんな気がした。
だからこそ、伝聞で確かめる事が容易でありながら、目にする事の出来ない場所を選んだ。そして彼女は官兵衛の弟子、秀吉の子飼いという、二人の保護者と安全な場所を用意されたのだった。
だが、恣意的に世界の軸をずらして行く内に、それは思わぬ形で現実となった。
彼の生み出した幻想が、あちらから訪ねて来たのである。
『この子、前に話した官兵衛殿の弟子ね。同じ軍師同士、仲良くしてあげてよ』
そんな事を半兵衛が告げる傍らで、その娘は元就が想像した通りの姿で現れ、想像した通りの口調で己の名を告げたのである。
元就が目覚めると、隠居部屋の傍らに見知った娘が座っていた。
客人が来ているならば起こしてくれればよいものを、と家人への恨み言を呟くと、私が待つと言ったのですと娘が答えた。
ふと床の間を見やると、新しい花が活けてあった。七分咲きの水仙がやや強めの芳香を放っている。
黄色の花を選んだのは、きっと先日の猫の目の話を皮肉っているのだろう。自分がそういう負けず嫌いな性格にしたのだから仕方がないのだが、何だか可笑しくてつい笑ってしまった。
「縁談を断ったそうだね」
先日、官兵衛が持ち込んだ話を話題に出すと、は照れ隠しか顔を背けて見せた。
「元就公も私に嫁げと仰るのですか? あいにく私は、」
「いや、言わないよ。にはまだ早いんじゃないかな?」
意外にも元就が味方に付いたので、は不思議そうに目を丸めた。何か裏でもあるのではないかと警戒するような視線に、元就は苦笑を浮かべる。
「いいじゃないか、君はまだ若いんだ。それに……椿の反論を私はまだ聞いていないしね」
元就の挑発的な台詞に、はいいでしょう、と偉そうに腕を組んで見せた。
「そこの水仙の花。一つだけ蕾があるのが分かりますか?」
元就は目を細めて、の指差した先を視線で辿った。小さな蕾が元就の位置からも確認できる。
「うん、あるね?」
「何色の花が咲くと思いますか?」
「ふむ」
元就は嬉しそうに腕を組んで思案した。
同じ苗に咲く花は皆一様に黄色い。普通に考えれば黄色という答えが妥当だが、花によって斑入りが生じたり、違うの色を咲かせる事も十分に在り得る。
「蕾を開いて見れば、成長中の花びらの色が分かるかもしれないが、それじゃあ駄目なんだろうね。今の状態では、誰も花の色を観測する事が出来ない、か」
これでは真も偽も定められない。
もし勝手に色を断じても、蕾を開いた瞬間、それはひっくり返されてしまう。色が当たっても外れても、そもそも観測出来ていないのだから、それは山勘の域を出ない。真か偽かを定める“答え”ではないのだ。
「椿の色は、それを観測できる誰かが、任意の色を第三者に勝手に伝えるからそれが真にも偽にもなるのです。そもそも観測が出来ない事象であれば、それはどんな色を答えたとしても完全な真実にはなりません」
「なるほどね」
元就はうんうんと頷いて、誇らしげに胸をそらすに拍手を送った。
そういう事をすればするほど、は馬鹿にされていると感じるのだが、どうやら元就自身、がそのように感じていると気づいていないらしい。
精巧に創った人形は、今や人のそれと同じである。
「そうだねぇ、もし一つだけ反論すると言うなら……神様だけはそれを知っているかな」
「はあ?」
また屁理屈ですか、とは顔をしかめる。どうして形而上的な存在を混ぜ合わせるのだと、文句を言いたげだ。
「まあまあ、これは花の色だけに留まらず、人の赤子でも同じさ。男が生まれるか、女が生まれるか、それは生まれてみないと分からない。でも、命を与えるのが神様なら、彼だけはそれを知っているだろう?」
は顔をしかめて、自分よりも遥かに年上の男を見やった。
「元就公って……乙女ですね」
いつぞや半兵衛が漏らした感想と同じような事を言われ、元就ははははと笑い声を上げる。
「でも、もし神様の言葉によってその生き物の姿形が変わるなら、神様がそれを断じた瞬間にそれは真実になるんだよ」
「……神様だって、常日頃生まれる子供の事ばかり考えているわけじゃないでしょう」
「ん? 確かにそうだね」
自分が創ったものであっても、それが予想外の反応を示す事もあるのだ。彼の意識の範疇に収まらない結果を導く事も当然在り得る。
そう――――今この瞬間、元就がに対して感じているように。
「その時はそうだなぁ。神様もこれはやられた! って思うんじゃないかなぁ?」
「もう。なんですか、それは……」
議論を放棄した元就には呆れたような表情を向ける。元就はそれを、まるで我が子を見守るような柔らかな微笑みで見つめていた。
end
結局、まともに相手しないで煙に巻くだけ。
観測云々は適当に書いているので、ガチの反論がご勘弁くだされ。。
以下、蛇足な補足。
神様というのは、この物語での元就の事です。
の事に関しては、元就がそう決めた瞬間、それが真実になるということ。
好みの男性について、もし半兵衛あたりが推測してこうだと誰かに伝えたとしても、
それは誰も知らないはずのこと(元就も決めていない、解のないもの)なので、
ただの山勘にしかなりません。
そして、解を決められるのは元就だけなので、
彼が決めた瞬間、世界軸がずれる、という事になります。
うん、分かりづらいね。