この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。
「あれに変なことを吹き込むな」
開口一番不平を口にした官兵衛に、元就は苦笑とも微笑とも付かない笑みを送った。
狂言廻廊02
どうやら屋敷に戻ったが、椿の色の話をしたのだろう。聞けば執務もおざなりになるほどに、日夜ああでもないこうでもないと元就の屁理屈への反論を考えているらしい。
たかだか老人の言葉遊びに真剣に悩んでくれるとは、なんとも嬉しいものである。
「笑い事ではない。今はあれにとっても重要な時期であると言うのに、妄想にふけって腑抜けられては困る」
官兵衛は顔をしかめ、出された茶をずずっと啜った。
元就は笑いながら、茶を持ってきた侍女に見舞いの花を活ける様に命じた。柔らかな藤の香りが元就の狭い寝所を満たし、ついつい顔が綻ぶ。
秀吉の元から来る客人たちは話していてまったく飽きることがない。今度はどんな話を聞かせてもらえるのだろうと、ついつい見苦しいと思いながらもわくわくしながら寝所に招いてしまうほどだ。
まあ――――これも残り少ない余生の楽しみと言えば、許される範囲の我が儘だろう。いくら歳若い風貌をしていても、元就もそれなりに歳を重ねている。不満を口に出した事はないが、もうこの狭い隠居部屋から出るのさえ一苦労なのだ。
外の事は皆、この部屋を訪れる客人たちの口から伝えられるのだから、先日に語った椿の例え話はあながち嘘とも言い切れないだろう。
「それで、重要な時期というのは?」
話を反らすと、官兵衛はつと皺を刻んだ眉根を開いて短いため息を付いた。
「あれに縁談の話が来た」
「へえ?」
予想外の返答に、元就は目を丸くする。
確かの年頃は十七、八くらいだったか。縁談話の一つや二つ上がってもおかしくない年齢、むしろ由緒正しい武家の娘であるならば遅いくらいだ。
「だが、あれはろくに縁談相手の事など聞きもせず、出来ればこのまま有耶無耶にならないかなどと考えている。まったく浅はかな事だ」
「ああ……」
元就は腕を組んで、が口先で誤魔化そうとする姿を想像してみた。
なるほど、大いに在り得る。
「しかし、意外だね。官兵衛はてっきり、こういう事は反対すると思ったんだけど」
軽口を叩くと、官兵衛の鋭い視線がぎろりと元就を見て、元就は首をすくめた。
「私はあれがいつまでも軍師の真似事をしていて良いとは思っておらぬ。今のように男のような格好で戦場を駆け回るより、良家に嫁ぎ子を成した方が幸せだろう」
「ふむ……」
官兵衛の言わんとする事は分かるが、どうやら彼も椿の色を赤か白か断じなければ気が済まないタチのようだ。
それなりに可愛いと思うからこそ、なおさらそう思うのか。年頃の娘を持つ父親というのは、きっとそういう考え方をするのだろうと、元就は他人事のように思った。
「とはいえ、官兵衛には悪いけれど、は決められないんじゃないかなぁ……」
どういう意味だ、と問うように官兵衛の鋭い目が元就を見た。
「相手のどこに不満がある。それとも、もっと条件の良い男を見つけて来いという事か?」
もしもそうだとしたら、それはそれで官兵衛はきっとの気に入るように別の男を探して来るのだろう。
そういう所は、やはりこの男もには甘いのだ。
だが、問題はそういった事ではなく――――
「違うよ。はね、選べないんだ。どんな男に嫁げばいいのか、決まりごとがないからね」
「決まりごと?」
「官兵衛もだいたいはの嗜好を知っていると思うけれど、の好みそうな男と言うのは知らないんじゃないかな?」
「それをまず尋ねろと?」
「違うさ。聞いたって答えられないよ。決まっていない事なのだからね。だから全ての可能性がある代わりに、それは決定打に欠ける。百ある可能性のうちの五十は満たすだろうが、決して百になる事はない」
官兵衛は不機嫌そうに顔をしかめた。卿の謎かけに付き合っている暇はない、そう言いたげな顔だ。
「は紅い色を好む。季節の中なら春と夏が好きだ。花は何でも好きだけれど、桔梗や椿、桜なんかが特に好きだね?」
官兵衛は仏頂面のまま頷いた。普段関心のないような顔をしているが、の事はよく熟知している。それを嬉しく思う。
「だけど、好きな男性というのは難しい質問だ。官兵衛はそれをに聞いた事がない。じゃあ……代わりに私が答えるとしようか」
「卿が?」
そんな事を知っているのかと驚く官兵衛に、元就は笑ってみせる。
「はね、頭の良い男性が好きだと思うよ。君や半兵衛……、ああ、私も加えてもらえると嬉しいけれど。でも、それは憧れに似た感情だ。恋慕には至らない。だから、まだ……縁談は早すぎるんじゃないかな? うん。あの子はまだ誰にも嫁がないよ」
官兵衛は怪訝そうに瞬いた。そして、やがてその顔は不機嫌そうにしかめられる。
「早いかどうかは卿が決める事ではなかろう。そもそも卿のその言葉が真実かどうかも怪しい」
予想通りの官兵衛の反応に、元就は笑みを深める。
確かに両兵衛や秀吉夫妻でもない人間が、のそんな個人的な事を知っているのは不可解だろう。近しい人間じゃないからこそ相談しやすいという理由があったとしても、こんな――――自虐的な表現を用いるならば、棺桶に片足を突っ込んだ老人に色恋の話をするだろうか。
疑うのは当然。
だが――――
「真実だよ」
元就は言い切った。
「なぜ卿が断定できる?」
不信感を露わにした官兵衛を、元就は目を細めて見据えた。
きっと、とてつもなく奇妙な事なのだろう。狭い隠居部屋の中で暮らす老人にとって、世界は人の口を借りなければ知る事は出来ない。そんな人間が、外の世界の事をまるで託宣のように語るのだから。
だが、真実である。
「椿の色を確かめる事が出来ない以上、それが本当かどうかは私の言葉に頼るしかない。そして、私が真実と言ったからには、それは天地がひっくり返っても真実なんだ。は嫁がない。は誰も好きにはならない」
なぜなら――――
「今、私がそう決めたばかりだからね」
床の間に飾った真新しいはずの藤の花が、ぽとりと落ちた。
「あれに変なことを吹き込むな」
開口一番不平を口にした官兵衛に、元就は苦笑とも微笑とも付かない笑みを送った。
「笑い事ではない。今はあれにとっても重要な時期であると言うのに、妄想にふけって腑抜けられては困る」
見舞いの藤の花を侍女に手渡し、官兵衛は仏頂面のまま出された茶をずずっと啜った。
元就は微笑を浮かべながら問う。
「それで、重要な時期というのは?」
「あれに縁談の話が来た」
「へえ?」
「だが、あれはろくに縁談相手の事など聞きもせず、出来ればこのまま有耶無耶にならないかなどと考えている。まったく浅はかな事だ」
「ああ……」
元就は腕を組んで、が口先で誤魔化そうとする姿を想像してみた。
なるほど、大いに在り得る。
「しかし、意外だね。官兵衛はてっきり、こういう事は反対すると思ったんだけど」
軽口を叩くと、官兵衛の鋭い視線がぎろりと元就を見て、元就は首をすくめた。
だが、官兵衛は喉元まで込み上げた言葉を飲み込み、ふうっと短いため息を漏らすと、
「本人にその気がなければ話を進めても仕方があるまい。この話は見送る事にした。あれにはまだ……少しばかり早いのだろう」
「……そうかい」
元就は短く相槌を打って、唇の笑みを深めた。
その後、二人は政治や戦の話をしばらくし、二刻ほど経つと官兵衛はまた来ると告げて元就の元を辞去した。
去り際に官兵衛がちらりと振り返り問う。
「そういえば、卿はよくあれの事を知っている。あれはここに来ると饒舌なのか?」
の事を言っているのだろう。男にべらべらと自分の事を話すのは、はしたないとでも思っているのかもしれない。
帰ったらお説教かもしれないね、と元就は胸中で呟きつつ、
「さあ、普通じゃないかな?」
何食わぬ顔で答えた元就を官兵衛はしばし見据え、そうかとだけ答えて去っていった。
閉じられた襖を眺めながら元就は胸中で呟く。
の事を私が知っているのは当たり前さ。だって椿の色を決めるのは――――何を隠そう私なのだからね。
end
官兵衛さんと大殿のやり取りでした。
次回からこの廻廊について明らかにしていきます。
つか、藤と椿って微妙に季節が……