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!CAUTION!
この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。







































狂言廻廊





「嘘と本当の境界というのは一体何なのだろうね」
 病床の老人はそう、ぽつりと呟いた。
 傍らに膝を付いた娘がえ、と短く怪訝そうな声を上げる。
「嘘と本当だよ。私はどちらも同じ性質を持つものなんじゃないかと思うんだ」
 老人の言葉の意味が分からず、は戸惑った表情を向けた。
 老人と呼ぶには若々しい風貌をしているが、確かにこの男は半世紀近く乱世に身を置いた謀将である。数々の謀を成し遂げた抜け目なさを隠すように、その表情は柔和で穏やかだ。
「相反するものではないのですか?」
 が尋ねると、元就は予想通りの答えが得られて嬉しそうに微笑んだ。
「そうかな? 嘘も真もそれを決めるのは人次第さ。その言葉自体、作ったのは人だろう?」
「そうですが……」
 どこか屁理屈めいて聞こえる。
 の戸惑いに応じるように、元就は褥の中から腕を出し床の間に飾られた花瓶を指差した。
「病人の部屋に椿を飾るなんて酷い事をするね。ま、それはともかく……あの椿は何色かな?」
 はぱしぱしと瞬きを繰り返した。
 何故そんな事を聞くのか、目まで患ってしまったのかと不安に思う。
「赤……です」
「本当に?」
「はい」
 の返答に、元就は再び満足そうに頷いた。
「そう。赤い椿だね。それは真だ。もしここで、が白と答えればそれは嘘を教えた事になる」
 だけどね――――
 言葉を区切って、元就は続けた。
「もし、私の目が見えなかったらどうだろう? 私にはそこに赤い椿があるのか、白い椿があるのか分からない。手で触れれば何か花が活けられている事はわかるかもしれないが、それが赤か白かはの言葉に頼るほかない」
「つまり?」
が伝えたままが、私の真実になるんだよ。この際、それが実際に赤か白かなんて関係ないんだ」
 だから、嘘と真というのは性質上同じなのだと彼は言う。境界は存在しない。それは同じ事象に対して、真か偽か都合の良い方を任意に選択したにすぎないのだ。
「でも……」
 やはり、は屁理屈だと思う。
 もし識別する人間によって真実と嘘が入れ替わるなら、この世の本当と嘘はどこにあるのだ。皆が皆、盲目の人間なのでも、花の色を誤って教えるのでもない。
「より多くの観測者が断じた答えが、真実として妥当なのではないのですか?」
 の反論に、元就はそうだね、といとも簡単に折れた。
「あるいはより強い力を持った方かな。勝てば官軍と言うだろう? 善も悪もそれに近い」
 は顔をしかめた。
 話を摩り替えられた気がする。
 善悪の判断は確かに難しい。個々の倫理や道徳と言ったものに委ねられがちな上に、大体はその地を統治する人間によって定められるからだ。
 だが、真か偽かはそれよりはもっと簡単で、簡潔な――――普遍的な答えがあるのではないか。
 その事を告げると、元就はやはり嬉しそうに笑んだ。
 その微笑の意味するところはよく分からないが、何故か馬鹿にされたようで悔しくなる。
「君の世界はとても綺麗で、理路整然としているんだろうね」
「……単純だと言いたいんですか?」
「ははは、違うよ。ただ、私とは見える世界が違うというだけさ」
 はやはり納得がいかないといった顔で、疑問符を頭上に浮かべる。
 元就は笑いながら、ちっちと舌を鳴らしての膝の上で丸くなっている愛猫を呼んだ。主人に呼ばれ、猫は嬉しそうに鳴き声上げながらその頭を元就の指先に擦り付ける。
「猫の目はね赤い色を正しく識別できないんだ。だからこの子にとって、赤い椿も赤くない。もし変わりに山吹が活けてあったとしても、椿と山吹の違いを葉や花の形でしか認識できないんだ。それがこの子にとっての真実だよ」
「でも……」
「君の目からは赤く見える? そうだね。十人の人がいれば、十中八九君に同意するだろう。でも十匹の猫がいたら、その子たちは同意しないんじゃないかな?」
「……猫は人語を解しません」
「ははは。その通りだね」
 でも――――
 元就は猫を放すと、その頭を皺の刻まれた大きな手の平で撫でてやった。
 猫にするのと同じように、の頭も撫でてやる。
 不貞腐れたような顔のまま、はぷいと顔を反らしてしまうが、こういう事をするのはきっと照れているのだろう。その仕草をとても愛おしく思う。
「この世界はね、君が思うよりもっと複雑怪奇で曖昧なんだ」
「嘘と本当があべこべになるくらい?」
 拗ねたような口調でが口を挟む。
 元就はくしゃりと顔を丸めて、
「そうさ……。嘘か本当かなんて、どうでも良くなるくらいにね」



end


大トロ廻廊シリーズ。
屁理屈に屁理屈を重ねるじいさん。
猫は黄色までしか認識できないと聞いたことがあるので。
(間違ってたらごめんなさい…)