この物語は「夢幻廻廊」の外伝、「時限廻廊」「過現廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、他の作品を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に他の作品を読まれる事をお勧めします。
この世は地獄か、天国か。
夢を夢と知っている事が幸せなのか、夢と知らず現との区別がないまま暮らす事が幸せなのか。
この閉じられた世界で、官兵衛はただ、それだけを考えている。
都合の良い嘘で固められた、この生ぬるい湯水のような世界は――――果たして地獄か、天国か。
夢現廻廊
災いは、世界の外から訪れる。
それは何気ない顔でそこに在り、何気ない顔で世界を壊していった。
「お前にとってこれは幸福なのか、不幸なのか?」
そんな事を、それは口にした。
足元に崩れ落ちた人形を見やる。
固い表情。妙に白い、まるで石膏のような色にこれはもう駄目なのだと悟る。
やり直しだ。人形が壊れてしまったから、またやり直さなければならない。
だが――――その前に、この災いを排除するのが先だろう。
官兵衛は冷静な頭で判断すると、足元に崩れ落ちたを悲しげな表情で見下ろす清正を見据えた。
が死んだにも関わらず、動揺すらしないこの態度は異常である。普通ならば――――そう、普通ならば驚き、嘆き、涙するべき事なのだ。
だが、それをしない。自分も彼も。
それをしないと言う事は、この死が不可避の運命である事を知っているからだ。
だから慟哭しない。驚愕しない。ただ、遺憾に思いながら看過するしかない出来事だと、知っているから。
「それに何をした」
眉根一つ動かさず、官兵衛は清正に問いかける。
清正は“それ”と呼ばれたの前に膝を付き、凍りついた頬に手を添えた。
その固く、冷たい感触に少しだけ驚いた顔をする。そして、再び悲しげに目を伏せ、
「幸せかどうか、聞いた」
「……それで?」
「は幸せだと言った。官兵衛がいて、俺がいて、秀吉様もおねね様もいて、ずっと一緒にいられて幸せだって」
官兵衛は無言のまま、その様を脳裏に思い浮かべる。
微笑みながら、幸せだよと答えたの姿を。
「俺は本当かと聞いた。何も変わらない事は、何も知らない事は本当に幸せなのか」
「それで、どうした……?」
「は何も分かってないって顔をした。実際にそうなんだろうな。都合の悪い記憶は全部書き換えられる。疑っては駄目なんだ」
「……」
「この世界のこと、のこと。それに矛盾が生じると破綻してしまうんだろう。だから、は……」
息もしない、体温もない、死体ですらないそれを、清正は悲しげな表情で眺める。
「卿が殺した」
官兵衛は淡々と告げる。
清正は官兵衛を一瞥すると、そうだな、と力なく答えた。
「だが、この世界を作ってるのはお前なんだろう? だったらお前も共犯者だ」
「否定はしない」
そんな事など、清正に言われるまでもない。百も承知である。
世界をやり直せばは生き返り、何もなかった事になる。だが、生き返れば再び死に、やはりそれを繰り返す。
死ぬために生きるのか、生きるために死ぬのか、この閉じられた世界でごっこ遊びに興じている自分にはもはや分からなくなっていた。ただ、その環を閉じてしまえばも平和な日常も永久に失われるような気がして、それを恐れてこんな事を続けている。
変わる事を禁じた世界。それが官兵衛の生み出した、この夢幻廻廊である。
「なあ……、変わらない事はお前にとって幸せか?」
清正の問いに官兵衛は答えなかった。正直に言えば、何と答えてよいのか分からぬ、といった所だろう。
そんな問いはすでに幾度も自問自答し続け、答えが出ずに諦めかけていたからだ。
「その問いに何の意味がある」
「興味本位だ。俺は変えていかなければ抜け出せない世界にいる。だから聞いてみたくなった」
嘘ではないだろう。
清正の説明は明らかに不足していたが、の死を前にしても揺らがなかった事から見ても、この男はこの世界にとって異質な存在である。自分のように、別の規則に沿った世界に住まう人間がいても、なんら不思議ではない。
どうなんだ。
答えを促され、官兵衛は短くため息をついた。
「幸か不幸かなど、個人の感覚で語っても仕方があるまい。だが、私がこうする事で、少なくともそれは幸せだと感じている。ならば、それで良かろう」
我ながら苦しい回答だと感じつつも、官兵衛はそ知らぬ風を貫いた。
清正は何か言いたげにしていたが、やがてそうか、とだけ短く返して会話は途切れた。
春の嵐が吹いて、桜吹雪の中にの身体が溶けていく。まるで灰を固めて作ったように、ざあざあと風の中に吸い込まれていった。
「質問に答えたところで、卿には退場願おう」
官兵衛は地面に残されたの紅い内掛けを手にすると、清正の前に手をかざした。
官兵衛の動きに呼応するように、嵐は更に強くなり、桜色の花弁を巻き上げる。
最後に清正は風音に抗うように声を張り上げた。
「官兵衛。お前は……!」
「去ね。この世界にもにも、卿は要らぬ存在だ」
そして、ぱっと花が散り、一陣の風が通り過ぎる。
「あれ?」
ひい、ふう、みいと重箱に詰まった牡丹餅を数えながら、は小首を傾げた。
怪訝な表情で顔を上げた官兵衛に説明するように、変ですねぇ、と呟いてみせる。
「数が合わないんです。官兵衛様に半兵衛様、秀吉様、おねね様、三成に正則っと。一個多いみたいで」
六つに折れたの指先。それをちらりと見やってから、官兵衛は淡々とした口調で告げる。
「自分の分を数えたか」
「あっ! そうでした」
えへへ、と子供のようにはにかんで、は自分の分と言う様に指をもう一本折り曲げた。
この世界で、その指がもう一つ折り曲げられる事はないだろう。
かつて存在したもう一人を、この世界の住人が思い出す事はありえないのだ。
もし綻びが生じ、誰かが思い出してしまっても――――その時はまたやり直せばいい。
何度でも、何度でも、何度でも、この退屈で、平和で、穏やかな日々を繰り返そう。
暦などもう、数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどに。
幸か不幸かなど問う意味がないが、もしも聞かれたなら答えてやろう。
「さあ、官兵衛様。参りましょう!」
繰り返す事でしかこの娘の幸せを守る事が出来ないならば、こうする事に何ら疑問はない。
それはきっと、幸せである事に違いないのだ。
end
「過現廻廊」の清正でした。
絆を守るために停滞を選んだ官兵衛と、変革を望む事で絆を捨てた清正。
廻廊を越えた半兵衛や清正よりも、この廻廊はもっと残酷かもしれません。