この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。
物事にはすべて因果が存在する。始まりと終わり、原因と結果、それが折り重なって世界は形作られる。
ならば、その因果の糸を切り裂けば、世界は形を変える――――
過現回廊08
――――暑い。
焼けるような日差しが容赦なく背中を照りつける。後ろを歩く正則はひいひいと声を上げて、始終休みたい、水を飲ませろとうるさかった。
「黙って歩けないのか、馬鹿は」
隣の三成が顔をしかめて悪態を付く。だがその三成の額にも珠のような汗が浮かび、雫が米神を滑るように流れ落ちていく。
いつものようにぎゃんぎゃんと言い合いを始める二人に辟易しながら、清正は両手に抱えた風呂敷を握り締めて帰路を急いだ。
急な客人の来訪に台所はてんてこ舞いである。聞けば秀吉が出先で知り合った男と意気投合し、続きはどうか拙宅で、とそのまま連れ帰って来てしまったらしい。
急に言われても何にもお出し出来ないよ、とねねは慌てていたが、その表情は嬉しそうでもあった。もとより人に振舞うを事が好きな質のこの夫婦であるので、子飼い達三人もこうして徒歩で隣町まで遣いに出されたわけである。
「おねね様、戻りました」
声をかけて裏戸を引くと、中はすでに戦場のような忙しさだった。
「あ、ご苦労様! お酒にそこに置いて。お野菜は流しね」
と、何段にも重ねた膳を抱えながら、ねねがてきぱきと指示を飛ばす。数歩遅れて辿りついた二人も、ねねの指示に従い遣いの品を置いた。
「あっ! どうして鱒なんて買って来たの! ちゃんと鯖を買って来てって言ったでしょう?」
どうやら注文違いがあったらしい。
「だ、だって、おねね様、三成の奴が……」
「言い訳しない!」
ねねに耳たぶを引っ張られて、正則がぎゃあと悲鳴を上げた。馬鹿が、と悪態を付いた三成だったが、その余計な一言のせいで巻き込まれ、一緒になって耳を引っ張られている。
まったく……どの世界に行っても、こいつらは変わらないんだな。
清正はそんな穏やかな光景を眺めながら、自分はもうそれに心から楽しんで加わる事はないのだろうと感じた。
いくら世界をやり直しても、自分の罪が消えるとは思わない。
ここで笑っている人達を、別の場所で、確かに自分が屠ったのだ。
それに――――この場所に居るはずだった人間が、ここには居ない。
ずっと四人で姉弟のように育って来た。その懐かしい記憶があるのに、この違和感と喪失感に満ちた光景を当たり前のように享受する事は出来ない。
皆が忘れてしまった分、自分だけは覚えていよう。例えあいつが俺の事を忘れてしまっていても……
ふっと目を細め、清正が思い出の中の少女の顔を脳裏に浮かび上がらせた瞬間――――
「あの……すみません、お銚子を追加してくれって……」
ぱたぱたと足を鳴らして、座敷の方から十前後の少女が現れた。
「あら、あらあら、ごめんね。気づかなくって!」
ねねは子供たちへのお仕置きを見られて、恥ずかしそうにはにかみながら少女から空の銚子を受け取った。耳を引っ張られていた三成と正則は、突如現れた同じ年頃の娘に驚き、やはり恥ずかしそうに顔を赤くしている。
「おい……誰だよ、あれ」
「客の娘だろ」
「名前は?」
「俺が知るか」
二人でこそこそと何やら言い合っているが、どうやら自分から名を聞く勇気はないらしい。正則が頼るような目で清正の方を見た。
だが、清正はそんな正則の助け舟など気づく間もなく、
「……か?」
え? と名を呼ばれた少女が、目を丸くして清正を見やる。
「俺だ……清正だ。加藤清正だ!」
声を張り上げると、少女は驚いて身を引いた。だが、清正は両手を握り締めて娘の手を引く。
「こっちは正則。あっちの目つきが悪いのが三成」
娘の目がきょときょとと泳ぐように正則と三成を見た。
続けて、ご飯まだ〜? と間延びした声と共に現れた白黒の軍師たちを指差し、
「あっちの小さいのが半兵衛、顔色が悪いのが官兵衛だ」
と名を告げる。
ぞんざいな紹介を受け半兵衛が酷いなぁ、などとぼやいているが、清正は気にしない。何じゃ、何じゃと奥から現れた秀吉を見やり、
「こっちが秀吉様。この方がおねね様。俺たちの親代わりの人達で……、これが俺の……俺たちの家族だ」
清正は目頭を熱くさせて必死に涙を堪えた。
言われた所で分かるまい。この人数の名も一気に覚える事も出来まい。
なぜなら、この世界の彼女は清正の事を知らぬのだ。姉弟のように育った三成も正則も、師と慕った両兵衛も、親代わりの秀吉夫妻も、今日出会ったばかりのあかの他人だ。
だが、清正はそれを承知でに語りかけた。
今にも泣き出しそうになりながら。
「教えてくれよ、お前の名前。絶対に忘れないように、皆に教えてやってくれよ」
清正の必死の懇願に、は戸惑ったような表情で一同の顔を見渡した。
自分に集まった面々の視線には頬を赤らめながら、小さな声で名を告げる。
「私は……。です」
途端。
途切れた因果の糸が、まるで逆回転で時を巡るようにするすると結ばれていくのを清正は感じた。
否、これは別の糸だ。清正が斬ったのとは別の、在るべき姿とは別の形で、再び因果の糸が結ばれていく。
世界が、形を変える。
「か。ええ名前じゃ、うん! 別嬪さんにぴったりな名前じゃな!」
緊張した場を和ませるように、秀吉が手を叩きながら大声で褒めた。頭をぽんぽんと撫でられてが恥ずかしそうな顔をする。
「そうじゃ、半兵衛、官兵衛。はすごいんじゃぞ! この歳で孫子を諳んじる事ができるんじゃ」
「へ〜、すごいね。秀吉様の軍師になってくれたら、俺も楽できそう」
「やめよ、半兵衛」
「三成と同じ歳なのになぁ。そうじゃ、こいつらにちっと兵法を教えてやってくれんか?」
「げっ、叔父貴。まじかよ……」
「ふん。馬鹿に教えるだけ無駄だな」
「こらっ、喧嘩しない!」
秀吉の一言で和気藹々と賑やかになった場に、は驚きの目を向けている。
秀吉はそんなの視線の高さに腰を下ろすと、柔らかく微笑んで見せた。
「こうして知り合えたのも何かの縁じゃろ。これからもわしらと仲良くしてくれんか?」
戸惑ったはきょときょとと視線を忙しなく泳がせた。
そして、ふと清正と目が合う。
清正は涙を堪え精一杯の笑顔を作ると、
「いつでもここに来いよ。今日からお前も“うちの子”だ」
物事にはすべて因果が存在する。始まりと終わり、原因と結果、それが折り重なって世界は形作られる。
ならば、その因果の糸が新たに結ばれれば、世界はやはり形を変える――――
end
本来あるべき姿とは違いますが、新しい世界で再び縁を取り戻した人たち。
最終的に救ったのは秀吉との因果ですかね。
さすが秀吉様!
これにて「過現廻廊」完結です!
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。