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!CAUTION!
この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。







































 本当に死ぬわけじゃない……
 因果の糸を、斬るだけだ。
 それを斬ってしまえば世界は形を変える。
 最初から、何もなかった事になる。
 だから、本当に殺したわけじゃない……



過現回廊06





 関が原の合戦で西軍は敗北し、三成は敗走。やがて潜伏中のとある山村で徳川勢に捕まり、六条河原で斬首されたらしい。
 それから豊臣は一気に力を失い、徳川の天下となった。清正は徳川家と豊臣家の講和を目指し、奔走したがすべてそれは徒労に終わる。
 そして今――――豊臣家の最後の砦となった大阪城で、城を囲う徳川勢と交戦の最中にあった。
 これらはすべて、清正の日記に記されたわずかな情報を頼りに知った出来事だ。
 この世界の自分が何を想い、何を信じ、何を目指し、この戦に望んだのか、少ない文章からは読み取れない。だが、最後の日記に記された『これが最後の戦になるだろう…』との文字が、豊臣だけでなく世界を渡って来た自分にとっても真実であるような気がした。
「加藤殿」
 背後より声をかけられ振り返る。
 薙刀を手にしたがそこに居る。勇ましい出で立ちだが、関が原で目にしたような戦装束ではない。
 たすきがけに鉢巻を結んだ姿は、あくまで非戦闘員の武装という印象を与えた。
 この世界でのは、秀吉の側室・淀君の侍女だった。どういう経緯でそうなったかは知らないが、主を守らんと女だてらに武器を手にしたのだ。
「……殿」
 名を呼びかけて、清正は咄嗟に姓を呼んだ。この世界での自分はきっとそう呼んだのだろうと思ったからだ。そしてそれは自然な事であるらしく、は表情を崩さぬまま清正の前に膝を付いた。
「女衆の武装は整っております。いつでも進撃をご命じ下さいませ」
 告げた表情は勇ましく、敵兵に城を囲まれていても臆する様子はまったくなかった。
 清正はの顔を眺め――――前の世界で憎しみを清正にぶつけたあの表情を思い出す。
 幻だ。
 すでにあれは、なかった事になったのだ。
 三成との因果が斬れて、は関が原の戦には関わらなかった。だからこうして、生き永らえた。
 だが――――ここでもまた、は死ぬのだろう。
 また誰かの因果を壊さなければならない。
 否――――壊すのではない。“殺す”のだ。
 この鎌で、何人も屠って来た。のためだと自分を言い聞かせて、殺して来た。
 半兵衛を背後から襲った。官兵衛は無表情のまま朽ちて行った。ねねは微笑みながら自ら死を望んだ。三成は最期までの事を想いながら果てて行った。
 血が――――消えない。
 幾人もの、幾つもの、彼が咲かせた血の華が己の装束に染み付いて消えない気がした。
 この手はすでに真っ赤で、罪にまみれている。
 を守るために世界を変え、絆を奪い、己の罪さえもなかった事にし続けてきた。
 のため? だが、本当にそうなのだろうか――――
 本当に……救うべきだったのだろうか。
 死ぬはずの命を救うと言う事は、善行でも救いでも何でもなくて、ひどく傲慢な自分勝手な悪行なのかもしれない。
 を救い続けて、自分はどこへ行くのだろう。
 が天命を全うするまで、自分は殺し続けるのだろうか。
 いつになったら――――それが自己満足に過ぎないのではないかという問いに、己は向き合う事が出来るのだろう……
「加藤殿?」
 眩暈が、する。
殿は……なぜ、逃げぬのだ」
 がきょとんと目を丸くして瞬いた。
「女の力じゃろくに戦えない。死ぬと分かっていて……なぜ、逃げない」
 は不思議そうに瞬きを繰り返してから、くすりと笑みを浮かべた。戦場には不釣合いな子供っぽい笑みだ。
「加藤殿もそうではないですか」
「俺は男だ」
「男でもここが死地である事に変わりはありません。あなたが逃げないのなら、私も逃げません」
「なぜだ」
 訝る清正には微笑を返した。
 久しくこんな顔は見ていないように思う。世界を変えれば変えるほど、は過酷な運命に翻弄され、安らかとは程遠い想いをさせ続けて来たように思う。
 こんな風に柔らかく笑う顔を、自分さえも忘れてしまっていたのだ。
「加藤殿はこの城が俺たちの家だと仰っいました。だから守る、この家を拠り所とする人のために戦うのだと」
 清正は無言だった。
 それを語ったのはこの世界の自分だ。すでに上書きされてしまった過去から来た自分は、そんな言葉は知らない。
 だが――――共感は出来る。きっと自分も同じ状況が巡って来たら、同じ事を言っただろう。時代が違っても、取り巻く人々の顔ぶれが変わっても、秀吉とねねが作り上げた場所を自分は絶対に守り通そうとするだろう。
「私も同じ気持ちです。淀様を守りたい。秀頼様をお助けしたい。ここは……私にとっても大切な我が家なんです」
 清正は目を見張っての微笑みを見つめた。
 家族じゃなくても、“うちの子”でなくなっても、はこの家と共に居る。
 清正と共に居るのだ。
「あなたと一緒に戦います。あなたと共にいさせてください」
 微笑と共に告げられた言葉を、清正は泣き出したくなるような気持ちで受け取った。
 否――――きっと泣いていたのだと思う。
 見開いた瞳から零れ出した涙を見て、がおろおろしながら心配している。
 どうしたのですか、加藤殿? 何か悪い事を申し上げてしまいましたか? どこかお加減でも悪くなされましたか――――
 の声すら遠く聞こえる。視界が歪んでぼんやりとした輪郭しか掴めない。
「いつか……こんな日が来るとわかっていたんだ」
「加藤殿?」
「それでも、ど……いや、。俺はお前に生きていて欲しかった」
「あ、あの……」
「何を犠牲にしたって、誰を失ったって、お前だけは……消えて欲しくなかった」
 だから――――
 清正はの腕を引き寄せると、その小柄な身体を胸に受け止め強く抱きしめた。
 腕の中のが目を白黒させている。
 意味など分かるまい。だが、それで構わない。きっとこんな事を言えるのは今しかない。
「だから……約束してくれ。必ず生き残ると。絶対に死なないと」
 そして――――俺の事を忘れるんだ。
 最後の言葉は口にしなかった。
 涙で濡れた睫毛が縁取る真剣な眼差しを、は目を逸らせずに正面から受け取った。
 が戸惑いながら、小さな声ではい、と応える。
 それを聞き、清正は満足そうに頷くとようやくの身体を開放した。
 不思議そうな顔をしているに、悪かったな、と一言詫びる。自分自身、何について詫びたのか分からない。今の事か、それともこの奇妙な廻廊に巻き込んでしまった事か。
 清正は傍らに立てかけていた鎌を手に取ると、その刃を自分の方へ手繰り寄せた。
 鈍く光る刃は、まるで自分が今まで奪ってきた人の命の分だけ曇っているように思えた。
「加藤殿……何を……?」
 不穏な空気を感じ取り、が眉根をひそめる。
 清正はじゃあな、と短い別れの挨拶を告げ――――
 が上げた悲鳴と共に、ばっと赤い血の華が咲く。



end


大阪の陣で迎える不可避の死。
それは豊臣の家を守ろうとする、清正との因果によるものでした。
ついに自分との因果を斬ってしまった清正は……次回に続きます。