この物語は「時限廻廊」のスピンオフ作品です。
ネタバレとまではいきませんが、「時限廻廊」を読んでいないと意味不明な箇所があるかもしれません。
未読の方は、先に「時限廻廊」を読まれる事をお勧めします。
世界は正方形で六面を塞がれた木箱のようなもので覆われている。
その板の一面一面に無数の釘が打たれており、その釘と釘の間を細い糸が繋いでいる。そうして創られた膨大な多角形によって、世界は成り立っているのだ。
その内の一つをぷつりと斬る。
それは世界の形を変えるけれども、微々たるものに過ぎない。
だから、つづけて別の糸を斬る。
するとまた少しだけ世界は変化する。
ぷつり、ぷつりとそれを延々と繰り返しているのだ。
いつになったら自分の望む世界が得られるのか、そんな事は分からない。
一度斬ってしまった糸を戻す事も出来ないのだから、もしかしたら斬る順序、斬るべき糸を間違えていたのだとしても、もはやそれは元には戻らない。
だが――――仕方が無いだろう。
たったそれしか出来ないのなら。
そうする事でしか世界を変えられないのなら。
誰かにとってそれがひどく残酷な事であっても、きっとそうするしかないんだ。
過現回廊02
目が覚めると、清正は自室の布団の中にいた。
咄嗟に跳ね起きると、部屋の隅に置かれた文机の引き出しから書を取り出す。日々の記録代わりにしたためているそれは日記と呼ぶには味気ないが、清正の几帳面な性格から毎日欠かさずに記されている。
記録は弥生の八日で途切れていた――――
つまり、今日は弥生の九日。
清正の主観が持つ日付と連続していない。
そう――――清正が半兵衛と会ったのは、前の世界ではもう初夏だったはずなのだ。
世界がまた形を変えた。
清正はそれを理解すると、膝上に置いた拳をぎゅっと握り締めた。
――――と。
「清正? 起きてる?」
戸を叩く音と共に障子の向こうから声をかけられた。
の声だ。
清正は緊張した面持ちで顔を声の方へと向けた。
がたたっと障子が揺れ、開いた隙間からひょっこりとが顔を覗かせた。
「あ、なんだ。起きてたの」
何気ない一言――――だが、清正は緊張を解くことが出来ない。
前の世界との相違点を必死に探すようにの姿を見つめる。
「朝餉の準備が整ったから。ちゃんと顔を洗ってくるんだよ?」
いいね? と、まるでねねのような口調で語りかける。その姿はいつも通り過ぎて――――何も変わらなかったのではないか、と清正は焦りを覚える。
世界が形を変えても、が変わっていなければ、向かうべき未来は同じだ。やがて千里眼の酷使で、は死んでしまうのである。
「お前……」
声をかけると、去りかけたが再びひょこりと顔を覗かせた。
「なあに?」
「お前は……軍略は好きか?」
清正の質問の意味が分からなかったのか、はきょとんと目を丸めた。だが、清正は構わず問いを重ねる。
「兵法は? 兵書は? 軍師になりたいと思うか?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。なに、いきなり」
は困ったような表情を浮かべながら座敷に上がりこむと、清正の正面にちょこんと座った。寝ぼけてる? と顔を覗き込むようにしながら、
「私が勉強嫌いだって忘れた? 軍師になんてなりたいと思わないよ」
「思わないのか……」
「思わないよ。だいたい私なんかが兵法を語ろうものなら、黒田様に鼻で笑われちゃう」
「くろ、だ様……?」
「黒田官兵衛様。知ってるでしょ? あの人、怖いんだから。私、苦手だよ」
怖い怖いと茶化すように肩をすくめて見せたの顔を、清正はまじまじと見つめた。
官兵衛との因果が切れたのだ――――
あれだけ敬愛していた官兵衛を、好きだった兵書を、この世界のは一切そう感じていない。
清正が奪ったのだ。
官兵衛との因果を切り裂き、二人の仲を他人に、好きだった書物を無意味な紙に、変えてしまった。
そんなものなど元から無かったと言うように、世界を――――を書き換えてしまった。
世界を変えた。
それに清正は成功したのだ。
この世界ではは死なないかもしれない。だと言うのに清正の心に浮かぶのは喜びなどではなく、暗澹たる黒雲にも似た後ろめたさ。
そうか、と清正は小さく呟くと、ゆるゆると腰を上げた。
とりあえず飯だ。この世界でのがどういう存在なのか知る必要がある。次に日記を読み返そう。今がどういう時期なのか把握しておかなければ。近く死を招く要因がないか調べて、それで――――
ふと清正は足を止めた。
どうしたの? と立ち上がりかけたが不思議そうな顔を向ける。
「なあ……半兵衛はどうしている?」
「半兵衛って……竹中様?」
この世界ではそう呼んでいるのか。
一度は恋仲にまでなった二人であるのに、今は親交の様子さえない。世界が変わったのだから当然だ。そうなるように、清正が世界を壊したのだ。
「そうだ。息災か?」
今が弥生なら――――半兵衛はまだ生きているはずだ。
その生死を確かめる事が何にもならないと知っていながら、前の世界で半兵衛の零した『俺は救わないじゃない』という恨み言を忘れられない。
は眉根をひそめて、清正の顔を見上げた。
「何でそんなこと聞くの?」
「なにが」
「だって、息災だなんて冗談にしては笑えないよ」
確かにこの頃には半兵衛の病状はかなり良くない。息災、ではないだろう。
だが、の反応はそんな小さないい間違いを咎めるよりも、もっと嫌悪を露わにしていた。何か触れてはいけないものに、触れるような――――
「安らかであって欲しいと思うよ。秀吉様を補佐してくださった名軍師様だもの」
「なに?」
「あれからどのくらい経つんだろうね――――」
がすっと目を伏せ目がちにしてそう呟いた瞬間、清正はその続きの言葉を察した。
はっと息を呑み込んで、忙しなく視線を巡らせた部屋は己の居室であるがどこか違和感があり――――
「竹中様が亡くなってから」
清正はようやく、自分の訪れた世界が過去ではなく未来である事を知った。
end
半兵衛の「時限廻廊」は過去にのみ移動しましたが、
清正の廻廊は未来にも飛びます。
さてさて、清正の訪れた世界は何時か……次回へ続きます。