Text

 痩せた手首や、やせて尖った頬骨や、どこか眠そうな瞳、病弱なほど青白い肌、唇は潤いがなく、骨ばった細い肩――――
 その、病的なまでのか細い姿を、不謹慎にも妖艶だと感じてしまった。
 もとより中性的な色気のある男だと思っていたが、この姿は、重なる。
 日に日に病床で衰え、か細くなっていった愛弟子に――――に似ていた。
「官兵衛殿」
 綿入れの羽織を肩にかけた半兵衛が、官兵衛の来訪に気付き顔を上げた。
「……寝ていなくていいのか」
 咎めるように言いながら、褥の脇に腰を降ろした。
 半兵衛は苦笑めいたものを顔に浮かべ、
「寝れないんだよ。不思議だね。人間、今際の時になると、眠たくなくなるのかな」
 不吉な事を自嘲的に零す半兵衛に、返す言葉はなかった。どんな慰めや励ましの言葉を送っても、白々しく聞こえてしまうだろう。病魔は十分なほどに半兵衛の身体を蝕んでいる。
 いつ死んでもおかしくないと――――秀吉も言っていた。
「何をしている」
「ん……文をね。読んでたんだ。昔の文なんだけど、何度でも読みたくなる」
 恋文だよと呟いて、半兵衛はやつれた顔に精一杯の笑みを浮かべた。
「……あれからのか?」
「もちろん」
 その応えは官兵衛にとっては意外だった。
 と半兵衛の仲は、いつも半兵衛の一人相撲のように一方的なものではなかったのか。情熱的な半兵衛に反して――――それが照れ隠しだったのか分からぬが――――の態度はいつも素っ気無いように見えた。少なくとも、二人が夫婦になる以前に、がそのような文を半兵衛に送っていた事が意外だったのだ。
 覗くつもりはなかったが、気になってちらりと視線を走らせ――――官兵衛は憮然とした。
「これは卿の筆跡だ」
 どんな甘い言葉が綴られているのかと思えば、そこにしたためられたミミズののた打ち回った様な字は、間違いなく半兵衛のものである。
「卿のあれへの執着は異常すぎると思っていたが、そこまで異常だったか」
 その異常な愛情でついに押し切り、晴れて夫婦となったのだから、それを咎めようとは思わないが――――それにしても自作自演とは情け無い。
 呆れ顔でため息をついた官兵衛に、半兵衛はくすりと笑みを零した。
「違うよ。これは間違いなくからの手紙。遠い世界からの――――恋文だよ」




時限廻廊・遠き恋文 前編





 かつて半兵衛が官兵衛に聞かせた、繰り返し続ける世界の事を、実に数年ぶりに半兵衛は語った。
 卿は妄想癖があるのかと、あの頃の官兵衛は取り合わなかった。
 それだけ突飛な話だったのだ。
 官兵衛には予知の力があり、未来の戦火を防ぐためにの暗殺を目論む。そのを救おうとして半兵衛が身代わりとなる。半兵衛の死を悲嘆して、が自ら命を絶つ。その死に絶望して、半兵衛は世界をやり直す――――
 多重世界ではなく、時間移動である。
 それによって未来が変わったから、今の現在があるんだと半兵衛は語ったが――――到底、信じられるはずがなかった。
 取り合わない官兵衛に半兵衛は悲しそうな顔をしたが、やがて諦めたのか二度とその話はしなくなった。そして、いつしか記憶の奥底に沈んでいた。
「あの時、卿は――――未来を変えるために、信長を殺せる誰かをの代わりに唆したのだと言ったな」
「そうだよ。だから今の現実がある」
 下らぬ、と官兵衛は胸中で呟く。
 未だ信長は健在であり、今は日の本中にその版図を広げる一大勢力である。
 柴田に東北を、羽柴に中国の毛利攻めを命じ、各地の大名達をことごとく打ちのめしていく。その破竹の勢いを、一体誰に止められると言うのか。
「信長を殺すのは誰だ?」
 官兵衛の問いに、半兵衛は肩をすくめて見せた。
「さあ? 俺は記憶がないもの。誰か適当な人を選んだんじゃないのかな」
「都合のいい記憶喪失だな」
「違うよ。未来のことだから、覚えていられなかったんだ」
 でも――――と、半兵衛は付け加え、
「俺は成し遂げたんだと思う。だからは、死ななくて済んだ」
「卿の言う、その三日間では、な」
 官兵衛の言葉に、わずかに顔を曇らせて、半兵衛は部屋の隅に視線を向けた。
 色とりどりの生花が手向けられた、黒檀の仏壇。焚いたばかりの線香が、白煙をゆるゆると天井に向けて伸ばしている。
「未だに現実味がないよ。……なんだろうね。あのでかくて不恰好な仏壇は」
 官兵衛は半兵衛の視線の先を追うように、顔を向けた。
 本来ならば、半兵衛の隣に座り、微笑を浮かべているはずの娘が――――あんな無機質な箱に変わってしまった。
「……済まない」
「いいよ。いい加減、俺も慣れなくちゃいけないから」
 そう言って半兵衛は俯くと、書面に指を這わせた。位牌の備えられたそれよりも、自分で書いた恋文の方が現実感があるとでも言うように。
「俺はさ、が亡くなった時、もしかしたらまた世界をやり直せるのかもしれないって思ったんだ」
 官兵衛殿は信じないかもしれないけど、と付け足して、半兵衛は文を重ねた手を繰る。
「……あれは病で死んだ。仮に卿の話が真実だとしても、三日前に戻った所で救えぬ」
「そうだね。……でも、世界をやり直し続ける限り、は死なない。だったら、新しい世界も未来も望まずに、ずっと閉じられた世界にいた方が幸せなんじゃないかって」
 そう、思ったんだ――――
「だけど。俺に世界を変える力なんてなかった」
 の死は過去になり、現在が今ここにあるのを証明するように、世界をやり直す力など半兵衛は持っていなかった。
「当然だ。何人たりとも過去をやり直す事などできない。未来を知る力もだ」
 半兵衛はわずかに笑んだようだった。
 半兵衛の話ではそもそも事の発端となったのは、官兵衛の予知能力にあるそうなのだから、官兵衛がそれを否定するのはおかしいのだろう。だが、自分にはそんな力などないし、信じてもいない。
 そんな力を人が有するなど――――傲慢だ。
「そうだね。それが出来ちゃうなんて、人には過ぎた力だ。繰り返している時は地獄のように思ってたけど……本当は奇跡だったのかもしれない」
 官兵衛は尚も渋い顔をしている。伴天連の教えに従う官兵衛にとって、奇跡など易々と口にしてはならない言葉なのだが、半兵衛の胸中を慮ってそれを口にするのを耐えているのだった。
が居なくなって……辛かった。世界は閉じられたんだって思った。でも時間は止まらなくて、次から次に今は過去に変わって――――言葉も喋れなかった赤子が、今はあんなに大きくなった」
 眩しそうに目を細めて庭先に視線をやる。
 視線の先には誰もいない。だが、半兵衛はきっと実家に預けてきた六つになる息子の姿を、思い浮かべているのだろう。
 官兵衛もそれに倣うように、空想の中で吉助の姿を思い出す。
 半兵衛によく似た、利発そうな子供。目が大きく、色が白く、まるで女子のような面立ちは、一見半兵衛に似たように見えたが、ふいに見せる笑顔の中に――――の面影があった。人の心を、内から暖めてくれるような、優しい柔らかな笑みが。
が俺に残してくれた大切な命を守らなくちゃって思ったら、自然との死を受け入れる事が出来たんだ」
 最愛の妻の死を、受け入れる事が出来た――――
「ようやく……を過去にする事が、出来たんだよ」
 そう呟いた半兵衛の顔は、今にも泣きそうな笑い顔だった。



end


時限廻廊から数年後のお話。
確定した未来というより、if世界のひとつみたいなイメージです。
いきなりヒロインが病死しているとか、欝展開ですみません。