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 何故と問われれば、その答えを明確に述べる事は出来ない。
 だが、それが事実であり、真実である事だけ知っていた。
 官兵衛の前には、一つの道が伸びている。暗闇の中にぼんやりと伸びるその道。
 昇り道や下り坂、先が細く途切れそうになったり、うねるように曲がったりするが、それは遠く彼方まで続いている。
 その道を、官兵衛は辿っている。
 官兵衛が直に歩んでいるのか、空を飛ぶように上から眺めているのかは分からないが、自分はその先を見る事が出来ると知っている。
 道は曖昧で平坦ではない。その道程で起こった事を官兵衛は知らない。
 だが、ある一点に置いてのみ、官兵衛はそこで起こった事象を知る事が出来る。
 とある夏、美濃のある城が信長の命により落とされる。
 落城し捕らえられた者達は有無を言わさず斬首され、城主も武士も農民も女子供も、皆殺し尽くされる。
 それを悲嘆したとある女が、怨嗟の情にかられ信長を殺す。
 女はすぐに捕らえられ、処断される。
 だが、その事件を発端に、まるで連鎖するように日の本中に、戦火が飛び火するのだ。
 泰平の世とは程遠い、地獄絵図に。
 地獄絵図の後、日の本がどうなるかまでは、官兵衛は知る事は出来ない。
 だが、官兵衛はその地獄絵図とは別の、分岐した道がある事を知っていた。
 つまり、信長が死なず、後継者争いを発端とした日の本全土の戦は起こらず、秀吉がその女の罪による累を受けない未来は――――ただ一つの分岐、その女の死が確定する事によって生まれるのだった。
 なぜ、そんな事を官兵衛が知っているのかと問われれば、やはり答えようが無い。
 だが、これは事実であり、真実なのだ。
 喩えその女が――――が、官兵衛の手塩にかけて育てた弟子であり、己が庇護の下で守るべき者だとしても、その因果は変わらない。
 独りの娘の命と、日の本を揺るがす大きな戦。
 選べといわれたら――――きっと、比べようも無いのだ。




時限廻廊12





 八度目の世界で目覚めた半兵衛は、の訪れを待たずして執務室に来ていた。
 文机の前には官兵衛が、ぴんと背筋を伸ばしたまま正座している。
 半兵衛は七度目の世界と同じように、官兵衛に自分との陥った世界の事を話した。今度は前と違い、冷静に伝えられたはずだ。
 ここまでは前の世界と同じ。
 ただ一点、半兵衛の握る短刀が――――官兵衛の喉元に突きつけられているという点を除いて。
「それで……卿は先手を取るために、私を殺すのか?」
 官兵衛は刃物を突きつけられているとは思えないほど、いつも通りの態度で接した。
「そのつもりはない。でも、可能性はないとは言いきれない」
 つまり、万が一の事があれば、殺すということだ。
「教えて。官兵衛殿はどうしてが信長を殺す事を知っているの?」
「……何のことだ」
「惚けないで。俺は前の世界で、はっきりそれを聞いた」
 半兵衛の厳しい視線が、射すくめる様に官兵衛の顔に注がれる。
 誤魔化しようがないと察した官兵衛は、一つため息を漏らすと、自分の持つ奇妙な確信を語って見せた。
 半兵衛の巌のように固まった表情は、徐々に驚きに変わっていった。
「なに……それ」
「最初に言ったとおりだ。問われても知らぬ。ただ私はそれが近い将来、必ず起こる事だけを知っている」
 にわかには信じがたい話だった。だが、自分の世界をやり直す力が真実である以上、官兵衛の予知を一笑に付すことは出来なかった。
 だが、納得がいかない。
「官兵衛殿は……そんな不確かなもののために、を殺し続けてきたの? 知ってるなら止めればいい! の落城でも、の乱心でも、止める事が出来れば未来は変わる!」
「簡単に言うな。私はそれが何時、如何なる状況で起こるのかすら知らぬのだ。どうやって止める」
「それは……」
「それに卿の話を聞いているうちに、因果というのはそう容易く曲げられるものではない、というのが分かった。どんな状況下でも、あれは卿が私に殺される世界を繰り返し、卿はあれが自ら死を選ぶ世界を繰り返すと言っていたな? 小手先の回避では、大局は変わらぬという事だ。ならば尚更、先の見えぬ未来など、どう避けられる?」
 官兵衛には半兵衛やのように、世界を巻き戻す力は無い。
 一度失敗すれば後は地獄のような乱世へと、一直線へ向うだけなのだ。
「でも……二日後のなら、きっと理解するよ。そんな未来を知ってまで、信長を殺そうなんてしない」
「保証は無い」
「どうして」
「未来の行動を、現在において確定できる術はない。そもそも、卿達のその繰り返す事が出来る“意識”は、この先も継続されるものなのか?」
 半兵衛は口を噤んだ。
 それは、分からない。
 今現在のがその意識を持っていないように、今の意識と四日目以降の意識は連続していない可能性はある。
 仮に二人がこの時限廻廊から抜けられて、その後も繰り返しが可能なのか、やり直した間の記憶が残るのかは分からないのだ。
 記憶と力が残るなら問題ない。
 何度でも、が死なず日の本に災厄が訪れない未来のために、世界をやり直すだけだ。
 だが、記憶も力も失ってしまったら――――官兵衛の知る未来を、避けられる可能性は低いだろう。
 そのわずかな可能性に多くの人の命を賭けるのは、あまりに危険すぎる。
 ならば、最も安全で確かな道は、災いを招く火種を滅することだが――――
「断る」
 半兵衛は官兵衛の顔を正面から見据えるように、真っ直ぐな視線を向けた。
「俺は……それでもが大切なんだ。そんな未来は受け入れられない」
「では、そのためにこの世に乱世を招くのか?」
 半兵衛は答えなかった。だが、涼やかで澄んだ瞳のその奥には、間違いなく狂気が眠っている。
「……話にならぬ」
 そんな独善的な未来を、許せるはずがない。
 だが、半兵衛は退かなかった。銀の輝きを放つ刃が、官兵衛の顎の下に突きつけられているのだ。
「私を殺しても、未来は変わらぬぞ?」
 少なくともこのまま進めば、が信長を殺める未来へと続くだろう。どの道、は殺され、秀吉もその累を受け、世が混沌と化す。
 だが、半兵衛はかぶりを振った。
「俺はそんな未来も要らない」
「……」
「官兵衛殿は、もう一つだけ可能性があるのを見落としている」
 半兵衛はぎらぎらと輝く瞳で、官兵衛を見据えた。
に信長を殺させない。そのために――――先に信長を殺すんだ」



end


時限廻廊から抜け出す、最後の賭けへ。