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時限廻廊11





 かち、かち、かち、かち――――
 半兵衛は薄暗い部屋の中で、ただ静かに時の音を聞いていた。
 今は二日目の夕方。明日、朝になればは時限廻廊の事を思い出す。だが、それと同時に死に向ってしまうのだ。自らを殺す未来へと。
 あの後、半兵衛は自分の陥ってしまった境遇を、官兵衛にすべて聞かせた。
 三日後、官兵衛がを刺客の仕業に見せかけ、殺めようとすること。
 を庇って自分が身代わりに死ぬこと。
 それを悲観したが、自ら命を絶とうとしてしまうこと。
 そして自分は、また世界をやり直す事になるだろう。
 何度でも何度でも、が死ぬ世界を否定し続ける限り――――
「卿に妄想癖があったとは知らなかった」
 だが、すべてを話し終えた半兵衛を襲ったのは、官兵衛の残酷な一言だった。
「信じてもらえないかもしれないけど……本当だよ! 俺は何度もこの三日間を繰り返した!」
「絵空事だ」
 そしてそれ以上、官兵衛は耳を傾けようとはしなかった。
 当然といえば当然。半兵衛とて突然、相手が未来の事を知っている、自分は同じ日を繰り返しているなどと言い出したら、決して信用しないだろう。
 官兵衛が世界をやり直す“意識”を取り戻していないのか、それともそもそも自分たちのように時限廻廊に陥っているわけではないのか、わからない。
 だが、ならば尚更、を殺そうとする理由が分からないのだ。
 六度目の世界で、官兵衛はが近い未来に、大きな火種になるからだと答えた。
 もしそれが真実ならば、なぜ官兵衛はの暗殺計画を知らない。
 むしろ――――惚けているのか?
 だが、それは確かめようがなかった。もし今の官兵衛が、すでにの暗殺を目論んでいるのなら、なおさら半兵衛に真実など告げないだろう。
 官兵衛は味方ではない。
 ならば、自分以外にを守れる人間はいない。
 そう決意し、半兵衛はを連れ出そうとした。少しでも官兵衛から離れ、死を回避しようとしたのだ。
 だが、その策は官兵衛自身により阻止され、そして時限廻廊の意識を持たないもまたそれを拒んだ。
 今は変に警戒されてしまい近づけない。少なくとも、が意識を取り戻す明日の朝を待たなければならないのだ。
 今度こそ、自分はを守れるだろうか――――
 半兵衛は深く沈んだ暗澹たる気持ちを抱えて、ただひたすらに時を刻む音を数えた。





 明くる朝、半兵衛はを連れ屋敷を飛び出していた。馬では足が付きやすいため、徒歩での逃走劇だ。
 の手を引いて、新緑が茂る山道を駆けた。
 は半兵衛に従いはするものの、その表情は戸惑いに満ちていた。
 半兵衛様! と息を切らしながら呼びかける。
「なに?」
 少しでも官兵衛と距離を引き離したい半兵衛は、焦りながら振り返った。
「無理です……逃げ切れません! 刺客は必ず来るのです!」
「そんなの試してみなくちゃ、」
「試したのです! 何度も、何度も……! でも、何度やり直しても、あなたは……」
 の足がぴたりとそこで止まった。
 両眼から大粒の涙が零れ落ちる。
 前の世界では言っていた。
 どんなに手を尽くしても、どんなに先手を打とうとしても、刺客は必ず現れる。そしての大切な人が――――半兵衛が身代わりになって死んでしまうのだ。
 何度くり返したのか数え切れないほど、はその死に遭遇した。
 ある時は偶発的に、ある時は官兵衛の策どおりに、半兵衛は様々な死に方での前で躯になった。
 そして、自分は――――いつか、いつの頃からか、それに抗う事をやめてしまった。
 耐えられなかった。自分のせいで半兵衛が死んでしまう。ただのモノになってしまう。
 その真っ赤な鮮血を、闇を閉じ込めたような生気のない瞳を、断末魔の声を、凄惨な傷を、生々しい肉の切断面を、白く頼りない骨を、野菜が潰れるような耳障りな音を、失われていく体温を――――
 幾度となく目の当たりにし、感じ、触れるたびに、徐々にの心は壊れていった。
 秒針の音に急かされるように世界をやり直し、そしてまた別の世界で半兵衛の違う死に触れる。
 何のために自分は世界をやり直しているのだろう。ふと思う。
 自分は半兵衛を救うために世界をやり直すのか、それとも半兵衛に新たな死を与えるために世界を繰り返しているのか――――分からなくなる。
 そしてやがて、の思考はそれに至る。
 どうあっても半兵衛を救えないなら、どんなに手を尽くしても彼がの代わりに死んでしまうのなら――――なら、いっそ自分が死んでしまった方がいい。
 それが唯一、彼を救える道なら、私はそれを選ぶ――――
 絶望の末に選んだの決意だった。
「でも……だからって、俺はが死ぬ世界は嫌だ! 考えよう、二人で。二人で力を合わせれば、きっとこの繰り返しから、」
 抜けられる、と続けるはずだった。
 だが、その言葉は高く山中に木霊する銃声によってかき消された。
「え……、あ?」
 ぐらりと、世界が揺れる。
「半兵衛様!? 半兵衛様!!」
 が恐怖に顔を歪めて、半兵衛の崩れ落ちた身体に縋りついた。
 背中が熱い。
 ゆっくりと背に手をやると、ぬるりとした感触があった。指先を濡らす鮮血を見つめ、意味を知る。
「逃がしはせぬ」
 冷酷な声。
 の胸に頭をもたれ、視線だけ背後に向けると、黒衣の死神がゆっくりと向ってくる所だった。その背後に、鉄砲を構えた兵が隊を作って構えている。
 何と偽って兵を率いてきたのか。それとも、この暗殺自体、皆が承知の事なのか――――そんな事を、頭の片隅で考えていた。
「卿を失うのは惜しい。が、その女を逃がす事はできぬ」
 官兵衛の冷徹な、不吉を具現したような凶相が、半兵衛を見つめていた。
 常人ならばこの表情を、いつも通りの官兵衛と錯覚しただろう。
 だが、半兵衛には分かる。
 この顔は――――泣いている。
 涙を流さずに、泣いている。嘆いている。
 を、自分を、殺さなければならない運命を――――官兵衛は決して喜んで受け入れたわけではない。
 それを知れただけでも、この世界には意味があった。
 半兵衛は霞む視界の中で、官兵衛のその悲しげな顔を見つめていた。
「さい、ご……に、教えて……は、……なにを、するの? なぜ……かんべ、殿は、殺す……の?」
 官兵衛の闇を湛えた瞳が、の顔を一瞥した。
 そして、視線を半兵衛に戻し、低い声で告げる。
「教えてやろう。この女は――――
 背後の鉄砲隊が銃を構え直し、
「織田信長を殺すのだ」
 ターン! と耳をつんざく銃声が、半兵衛の世界をかき消した。



end


ついにヒロインが殺される理由が明らかに。
次回、最後の真実へ。