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時限回廊10





 かち、かち、かち、かち――――
 一番鳥が鳴くよりも早く、半兵衛は掛け布団を蹴り飛ばすようにして起き上がった。
 筋肉の引き締まった自分の腹を夜着の上から撫でさする。痛みも傷もあるはずがない。
 だが分かっていても、半兵衛は胸の動悸をなかなか収められずにいた。
 が自分と同じように世界をやり直していた。官兵衛がを殺す刺客の正体だった。
 七度目となるこの世界には、きっと別の未来が待っている。だがこのままでは、己が死ぬのか、が死ぬのか分からぬが、死に繋がれた未来である事は変わりない。
 半兵衛は夜着のまま障子を開くと、大股でずかずかと歩を進めた。
「えっ、半兵衛様……?」
 半兵衛を起こしに来たらしいが、廊下の向こうで目を丸めている。
 上着すら羽織っていない半兵衛に、は大層驚いたようだったが、
!」
 突如、半兵衛に抱きしめられて、ますます頭を混乱させた。
「は、半兵衛様……!?」
「ごめん。俺……気付いてあげられなくて。もずっと苦しんでいたのに……俺、に酷い事を……」
「あ、あの、酷い事って……?」
 半兵衛の胸に押し付けられるようにされたの顔が、不思議そうに目をしばたたかせている。
「あ……」
 前の世界で、は三日目の朝から世界をやり直していると、言っていなかったか。
 つまり、半兵衛にとっての一日目、この瞬間のは刺客の正体も、自分の運命も何一つ知らないのだ。
 意識も、記憶も、連続していない。
 何も知らないまっさらな状態でここに居る。
 自分を理解してくれる人間は、世界をやり直し過酷な運命と戦っている事を知る人間は、誰もいないのだ――――
 半兵衛は途端に、世界の外に自分だけが放り出されたような、孤独感を感じた。
「ごめん……なんでもない」
 半兵衛は顔を俯かせると、から離れた。
 そして、
「官兵衛殿は?」
 前の世界で――――半兵衛の主観ではつい先ほど、自分の腹を穿った男の所在を問う。
「朝餉までの間、執務をなさると……半兵衛様?」
 が最後まで言い終わらぬ内に、半兵衛の足は執務室へと向っていた。は不思議そうに首を傾げていたが、半兵衛はそれすらも気付かず、歩を進めた。
 今のに何かを言っても意味が無い。
 ならば先に官兵衛だ。
 あの男の、真意を知る必要がある。





 どたどたと廊下を踏み鳴らす音が響いたかと思うと、次の瞬間スパンと勢い良く襖が開け放たれた。
 自分の文机で書をしたためていた官兵衛は、わずかに顔を上げ、それが半兵衛であると確認するとすぐに顔を戻した。
「官兵衛!」
 半兵衛はこみ上げる怒りを一心に込めるように叫ぶと、官兵衛の側に片膝を立てその胸倉を掴みあげた。
 半兵衛の突然の暴力に、官兵衛は眉根をしかめる。
「……何の真似だ」
「うるさい! なんであんな事をした!?」
「あんな事とはなんだ」
「惚ける気!? ――――を何度も殺しておいて……!!」
 一瞬、官兵衛の深い色の瞳が、驚きに揺れた気がした。
 だが、官兵衛はその動揺を隠すように、いつもの仏頂面をし、
「殺すとは、一体なんの話だ」
 瞬間、半兵衛の握り固めた拳が官兵衛の頬を殴り飛ばしていた。
 官兵衛は衝撃でふらりと仰け反ってから、冷めた顔と沈んだ瞳にわずかな戸惑いを浮かべ、半兵衛の顔を睥睨した。
 半兵衛は奇妙な違和感を覚える。
 なぜ、官兵衛は何も言わない。
 なぜ、官兵衛は戸惑いを感じている――――
 前の世界の出来事を思えば、半兵衛の怒りなど理解できぬはずがないだろうに。
「まさか……」
 そこで半兵衛は解に至る。
 この空転するような手応えのなさは、と一緒だ。
 官兵衛は世界をやり直していない。
 少なくとも、今ここにいる官兵衛には、前の世界の記憶は存在しないのだ――――



end


怒りをぶつけたくても、相手はそこに居ない。
空しさと孤独感。世界と戦うのは自分だけ。