時限廻廊08
半兵衛の言う三日目にが死んでしまうのは、彼女の時限廻廊がその日から始まるためだった。
それ以前のに、未来のは干渉する事が出来ない。
半兵衛が何度も時を遡り、同じ朝に目覚めるのと同じ現象である。
「待って。じゃあ、どうやって毒を仕込んだの? 侍女は前の日に薬を持って来たって言っていた」
「それは……本当に薬だったのです」
毒は、とは呟き、羽織に付いた衣嚢から麻の小袋を取り出した。
「これを今日の朝、あの子に渡すはずだったのです。でも、前の世界では半兵衛様がいらしたから……」
炊事場へ行く事が出来なくなったのだ。
「それに……これを渡すと、あの子に迷惑をかけてしまうのですね」
だから今回は誰にも迷惑をかけぬために、入水を選んだと言うことなのだろうか。
この死の道を間接的に自分が作ってしまったのだと知り、半兵衛は唇を噛み締めた。
「私の世界は、この日から始まります。半兵衛様が二日前の朝から世界をやり直すように、私もこの日の朝から世界をやり直しているのです」
「前の世界の事は……覚えてるんだよね?」
はい、とは俯き加減に答えた。
「ただ、能動的に動く事ができるのはごく短い時間の事だけです。それ以前の出来事は、すべて過去の記憶として知っているだけです」
つまり、昨晩の半兵衛の暴行も、世界を繰り返しているにとっては“記憶”しかないのだ。
朝目覚めて死ぬまで。の死がだいたい朝の九時から十時にかけて確定するのだから、半兵衛よりは遥かに短い時間を反復していた事になる。
「どうしては死んでしまうの?」
「それは……」
半兵衛の問いに、は言いにくそうに口ごもった。
よっぽどの理由がなければ、自ら死を選ぶ運命を繰り返す事など出来まい。をそこまで追い詰める何かが、の世界にはあるのだ。それを阻止するために、は自ら死の道を選んでしまう。
「今日の昼頃……私は刺客に襲われます」
官兵衛の言っていた刺客の事だ。
だが、情報が筒抜けの刺客など敵では無いのではなかったか。の能力と、半兵衛の戦力を以ってすれば容易く退ける事などできよう。
だが、はかぶりを振った。
「其れによってある人が命を落としてしまうのです。私の代わりに……」
だから――――その前に死のうとするのか。
その誰かを守るために、が犠牲になるのか。
「なにそれ!?」
半兵衛は怒りを爆発させるように、声を荒げた。
そんな馬鹿な話があるか。それでは死の連鎖ではないか。
その人物はの代わりに命を落とす。はその誰かのために、運命よりも前に死のうとする。
「刺客が滅したいのは私の存在なのです。だから、私が先にいなくなれば……」
「馬鹿言わないでよ!」
半兵衛はの両肩を強く揺さぶった。
「いくら誰かが犠牲になるからって……どうしてが死ななくちゃいけないわけ!? その刺客を仕留めればいいんでしょ? どうしてそうしないの!?」
は力なくかぶりを振った。
顔を覆って、駄目なのです……と涙で濡れた声を発する。
「どんなに手を尽くしても、どんなに先手を打とうとしても、刺客は必ず現れる。そして私を……その人を殺してしまう」
幾度も幾度も幾度も――――半兵衛と同じように、はずっとその光景を見続けて来たのだろう。幾度も繰り返し、そしてやがて抗う事をやめてしまった。
「でも……っ、は結局、世界を繰り返してる! 時限廻廊から抜け出せたわけじゃない!」
これでは何も解決しない。永久に自分達は、死の連鎖に翻弄されるだけだ。
「それは……分かりません。何故、私が時限廻廊に落ちたのか、理由はわからないのです。でも、ここ数回くり返される世界は……きっと私ではなく、半兵衛様の時限廻廊です。きっと半兵衛様が、世界をやり直す事を望んでいるから……だから私はあなたと共に運命の朝を越えるのです」
「そんなのっ……の死ぬ世界なんて、受け入れられるはずがないよ! 俺は何度でもやり直す! はずっと、運命に従って死を選び続けるの!?」
「……」
「俺と一緒に生きてよ。これ以上、俺に残酷な世界なんて見せないで……」
半兵衛はの肩を抱き寄せると、力を込めてその身体を抱きしめた。
昨日、散々抱きしめたはずのの身体は、まるで異質のもののように思えた。それはきっと、ここに居るが自分と同じように幾つもの世界を越えて来た存在だからだ。
「ねえ、刺客の正体を教えて。俺がそんな奴、やっつけてやるからさ」
不安げなを安心させるように、半兵衛は微笑んで見せた。
だが、は未だ決心が付かぬのか口を割らない。
「。どうして教えてくれないの? 刺客さえ倒せば、誰も死なずに済むんでしょう?」
「それは……」
が重い口を開いたその時、がさりと草を掻き分ける音が響いた。
はっと我に返り、二人が揃って顔を向けると、
「空言だからだ、半兵衛」
顔色の悪い黒衣の軍師が、まるで空から現れたようにそこに佇んでいた。
「官兵衛……殿?」
官兵衛はいつもの凶相に更に不吉な影を作り、後ろ手に手を組んで二人を見つめていた。
「空言って……どういう事?」
訝る半兵衛に、官兵衛はふんと鼻を鳴らしてみせる。
「偽りだという事だ。刺客など現われはしない。あれは全て、私が作った嘘だ」
end
官兵衛殿、登場。
次回、刺客の正体について。