時限廻廊06
かち、かち、かち、かち――――
聞こえないはずの秒針が鳴る。
いつか、信長の屋敷で見た、舶来ものの時計の音だ。
それがずっと鼓膜の奥底で、鳴り響いている。
その数を、ひとつ、ふたつ、と数えて――――
はゆっくりと瞳を空ける。
朝。庭先で一番どりが声を上げる。
わずかに開いた障子の間から陽光が差して、それが顔のちょうど目の辺りに当たる。
かち、かち、かち、かち――――
ゆっくりと身体を起こすと、身体中がきしむように痛んだ。
汚れた身体は綺麗に清められ、きちんと夜着を着せられていたが、襟元から除く白い肌には昨夜の情交の痕が深く残っている。
褥の隣には穏やかな寝息を立てる半兵衛の姿があり、は複雑な思いでその顔を見つめた。
半兵衛に無理やり抱かれ、胸が穿たれるほどに悲しかった。
好きだったのに――――否、好きだったからこそ、この悲しみは拭いきれない。
密かに憧れていた甘美なはずの夜は、乱暴で一方的な欲望に満たされ、の心を粉々に踏みにじった。
何が彼を変えてしまったのかは分からない。の護衛が始まった日から、半兵衛はどこか変わってしまったように思う。
はあふれ出す涙を拭い、静かに褥の中から抜け出した。
夜着の上に紅い羽織を肩にかけ、音を立てぬよう襖を開く。
かち、かち、かち、かち――――
考えたい事はたくさんあったが、今は一分一秒でも惜しかった。
少しでも遠くに行かなければ……
肌寒い朝の空気を感じながら、は草履を引っ掛けた姿で屋敷の裏へと回った。小高い丘を越えて、草の生い茂る山道を進む。
奥深くへ進むほど、空気が冷えていくのを感じた。清涼な空気を吸い込みながら、奥へ、奥へと誘われるように進む。
獣道と大差ない道を歩き十数分、木々の生えない開けた場所に出る。
この先には何もない。
自然の生み出した断崖絶壁と、眼下に広がる滝つぼだけだ。
は胸の前で手を握り締め、ゆっくりと歩を進めた。
歩みが、重くなる――――
恐くて、足がすくんでしまいそうだった。
それでも、前に進まなければならない。あの秒針の音は、そう長く続かないのだから――――
「今度は入水自殺でもするつもり?」
突如、背後から声をかけられ、は勢いよく振り返った。
そこには――――怒りの形相でを見つめる半兵衛の姿があった。
「半兵衛……さま」
半兵衛はすたすたとに歩み寄ると、対面した瞬間、の頬を思い切り引っ叩いた。パァンと弾ける様な音をまるで他人事のように聞き、は呆然と叩かれた頬に手をやる。じんじんと痛むそれは、わずかに熱を持っていた。
が何かを言いかけるよりも早く、バカヤロウと半兵衛が遮るように呟いた。
「は馬鹿だよ。軍師のくせにぜんっぜん賢くない」
「はんべ、さま……」
「俺が……っ、どんな気持ちでを抱いたかわかる……? 何度救おうとしても、何度知恵を巡らせても、は俺の事なんか……」
ぶるぶると肩を震わせて、半兵衛は悔しそうに唇を噛み締めた。
言っている事が分からない。昨夜から半兵衛の行動は支離滅裂だ。
なのに、が何を考え、何をしようとしているのかばかり、知っているような振りをする。
それでは、まるで――――
「俺の敵はいつだって一人だった」
かち、かち、かち、かち――――
秒針の音に合わせるように、半兵衛はゆっくりと手を伸ばした。
「世界を壊す敵は、いつでもたった一人だけなんだ」
かち、かち、かち、かち――――
秒針の音に合わせるように、はその手を受け止めて、
「を殺すのは自身だ。だから俺は、いつだって君を救えない」
誰とも共有できぬはずの時の音を聞きながら、は世界と半兵衛の運命の結末をようやく結び付けて理解したのだった。
end
六度目の世界でようやくたどり着いた真実。
次回、ヒロインの世界について。