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時限廻廊04





 明くる朝――――
 半兵衛は自分の腕を抱いたまま、深い眠りに落ちているの寝顔を眺めながら、今日この日の出来事を脳裏に展開させていた。
 が毒死するのは、朝の九時ごろ。胸を刺されるのはそれから三千秒ほど後のことだ。
 何に含まれて毒を飲まされたのか分からないが、前の世界では部屋の中にそれらしい容器はなかった。
 即効性の毒でないとすれば、あの時間帯で口に含んだものはおそらく朝餉だろう。
 半兵衛はゆっくりと己の腕を引き抜くと、の頬を優しく撫でた。
 昨晩、遅くまで話に付き合わせたせいか、いつも朝の早いが一向に目覚めない。命を狙われているのに呑気なものだと思ったが、昨晩の口にした言葉を思い出し、思わず頬が緩む。
 当然、は半兵衛が告げた運命に驚きを隠せないようだったが、不安がってはいなかった。何故かと問う半兵衛に、
『半兵衛様が守ってくださると信じていますから』
 と、微笑んで見せ、半兵衛を大いに照れさせたのだった。
 今日を越える事が出来たら――――この胸の想いを伝えよう。
 今までずっと秘めて、時が来るのを待っていたが、このような運命に陥ってしまった以上、そんな悠長な事は考えられなかった。早く懇ろになって、夫婦になってしまえばいい。もきっと同じ想いでいてくれるはずだと、半兵衛は確信にも似た自信を持っていた。
「今度こそ、守るからね」
 半兵衛はの頬にそっと口付けを落とすと、音を立てないよう褥から起き上がった。
 武器を手にして、まっすぐに炊事場へと向う。
 珍しく炊事場に現れた半兵衛を目にして、
「ありゃ、半兵衛。早いねぇ」
 などと、ねねが明るい声をかけて来た。本来であれば秀吉の妻であるねねが朝餉の準備などする必要はないのだが、家庭的な性格のせいか皆のご飯はあたしが作る、と侍女と一緒になって飯を作るのだった。
「ごめんねぇ、ご飯まだなの」
 笑いながら忙しそうに鍋をかき混ぜるねね。
「えー。俺、お腹ぺこぺこですよ」
 と半兵衛は笑いながら、目ざとく炊事場の侍女達を監視する。
 ねねを除いてここにいる女は三人。この内の誰かがの碗に毒を仕込んだことになる。
「おねね様、冷や水を一杯もらえます?」
 半兵衛はねねにそう頼み、炊事場から遠ざけると、じっと侍女達の動きを見つめた。
 半兵衛の存在に侍女達は恥ずかしそうにしていたが、手はてきぱきと朝餉の準備をしている。
 そして、膳に碗と箸が綺麗に並べられると、半兵衛はわぁ、美味そう! と声を上げて手を伸ばした。
 紅い箸の置かれたその膳から、ひょいと煮物をつまみ上げる。
 半兵衛が今まさに口に含もうとした瞬間、侍女の一人がハッと息を飲み込んだ。
 半兵衛は宙に上げた手を下ろし、冷ややかな目で娘の顔を見やった。





 乱暴に壁に叩き付けると、女は痛そうに顔を歪めその場に座り込んだ。半兵衛も顔をよく知る侍女の一人――――とは同い年のせいか、特に仲が良かったと記憶している。
 その娘がを殺すのかと思うと、はらわたが煮えくり返った。
「お前が、を……」
 ぎりり、と歯軋りすると、半兵衛は渾身の力で羅針盤を振るった。
 娘のちょうど頭上にめり込む様にそれは叩きつけられ、ぱらぱらと粉々になった木片が顔に降りかかる。
「どこのくのいち? 秀吉様の屋敷に潜り込むなんて、いい度胸だね」
 半兵衛は女の眼前に立つと、すごむように胸倉を掴みあげた。
 ひぃっと悲鳴を上げて、女は恐怖に顔を引きつらせる。
 下手な芝居だ。こちらはお前の凶行など、すべてお見通しだと言うのに。
「素直に吐くならあともう少し生かしてあげる。でも、あくまで惚けるんなら……」
 半兵衛の手にした羅針盤から、鋭利な歯が飛び出した。
 これを喉元で回転させれば、女の細首など容易く落ちることだろう。
 女はひぃひぃと泣きながら、それでも首を横に振った。
「知りませんっ……! 私、何も知りません!」
 まだ白を切るつもりか。
 半兵衛は苛立たしげに女を突き飛ばすと、羅針盤を構えた。
 仲の良い侍女が刺客だったと知れば、は悲しむ事だろう。秘密裏に始末してしまおうか。勝手に消えた事にして、躯は山中にでも捨ててしまえばいい。
 こちらは何度も――――の死ぬ光景を見せ付けられたのだ。己の無力を思い知らされ、幾度も運命に弄ばれ――――
「もう、たくさんだ」
 半兵衛は冷ややかに女を見下ろすと、羅針盤を手にした指先に力を込めた。
 そして、今まさに女の命を奪おうとした瞬間――――
「し、知らなかったのです! 薬だと聞かされていたから……だから……私!」
 半兵衛は振るいかけた腕を止めた。
「どういうこと?」
「最近、お加減が優れなくて……そのまま飲むと苦いから、食事に混ぜて欲しいと……だからっ、そんな危険な物だなんて……!」
 では、利用されたと言うことか。
「誰がその薬を渡したの?」
 半兵衛は喉元に刃をあてて詰問した。
 娘は滂沱の涙を零しながら、震える声で名を告げた。
 その名前に、半兵衛は大きく目を見開き――――
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
 女の悲鳴にハッと我に帰り、半兵衛は屋敷の方を見やった。
 甲高い女の声。
 娘の身体を突き飛ばして、半兵衛は屋敷へ向った。高下駄を蹴り飛ばすように脱ぎ、の寝室へと走る。
 そして、息を弾ませたどり着くと、廊下でぺたんと座り込んだねねがいた。
「おねね様、何があったんですか!?」
 茫然自失のねねに声をかけると、ねねは視線を部屋の中に向けたまま呟くように答えた。
を……起こしに来たの。ご飯だよ、起きなさいって……そしたら、中からパンって音が聞こえて、それで、」
 それで――――
 半兵衛はねねを押しのけるようにして、部屋の中に飛び込んだ。
 起こり得るはずがない。は毒殺されるのだ。刺殺されるのだ。それ以外の、未来など――――
「あ、ああぁぁ……」
 半兵衛は体中から力が抜けるように、すとんと両膝を付いた。
 どうして――――どうして、救えない。
 何故、いつも……この手は虚空を掴むばかりなのだ。
 白い褥に横たわる身体はまるで眠っているようで――――即頭部に穿たれた穴が、紅い飛沫を床や襖に飛び散らせていた。
 火薬と血の匂いに、胃の中がむせ返る。
 かち、かち、かち、かち――――
 無情に時を刻む、秒針の音に半兵衛はひどい眩暈に襲われた。



end


いい加減、欝すぎる。
どうかもうしばらく、ご辛抱ください……