Text

 月月紅の華が咲いたように紅い花弁が開いて――――
 それがゆっくりと散る姿を、半兵衛は呆然と見つめていた。
 眩い日差しを受けて血潮さえも透けて見えるような白い肌に、真っ赤な花弁が開いて散る。
……?」
 名を呼ぶ。
……、ねえ?」
 身体を揺さぶり、頬を撫でるが、固く閉じられた瞳は開かない。銀のかんざしがきぃんと甲高い音を鳴らして地面に落ち、艶やかな黒髪がぱっと広がった。
「ああ、ああああ、あああああああ」
 声が漏れる。
 それは絶望の叫びなのか、悲哀の慟哭なのか、よく分からず、ただ唇からだらしなく漏れ続ける音となって響く。
 体温を残すそれはまだ温かいのに、だらりと弛緩した身体には人を自律させる芯がない。
 糸の切れた人形のように、それは崩れ落ち、壊れて――――
「止せ、半兵衛。それはもう、死んでいる」
 揺さぶり続ける半兵衛の手を、官兵衛がやんわりと掴んだ。
 怪訝そうな顔をした半兵衛の、限界まで見開かれた瞳がようやく現実を見つめるのと同時に――――喉が潰れるほどの大音声で、半兵衛は絶叫を上げた。
 己の声に鼓膜を劈かれる中――――半兵衛は遠くで、時の刻む音を聞いた。




時限廻廊





 かち、かち、かち、かち――――
 聞こえないはずの秒針が鳴る。
 いつか、信長の屋敷で見た、舶来ものの時計の音だ。
 それがずっと鼓膜の奥底で、鳴り響いている。
 その数を、ひとつ、ふたつ、と数えて――――半兵衛はゆっくりと瞳を空ける。
 朝。庭先で一番どりが声を上げる。
 わずかに開いた障子の間から陽光が差して、それが顔のちょうど目の辺りに当たる。
 かち、かち、かち、かち――――
「あれ、起きていらしたのですか?」
 陽光が差してからちょうど三百回目の音を秒針が立てた頃、障子の向こうからの驚いた声が響く。朝の弱い半兵衛を起こすのが日課となっているにとって、半兵衛が自主的に――――しかも身支度まで整えて、朝を迎えるのはとても珍しい事なのだ。
 はくすりと笑みを零して、
「今日は雨でも降りそうですね?」
 が「き」という音を発音するよりも早く、半兵衛がその言葉を口にした。
 驚くの顔を、半兵衛はじっと見つめる。
「え、ええ……、よく私が言おうとした事がわかりましたね」
「まあ、ね。の事なら、俺は何でも分かるよ」
 また変な事を半兵衛が言い出した、とは苦笑を漏らしたが、半兵衛は笑わなかった。どこか悲嘆に満ちた悲しげな顔に、は表情を曇らせる。
「あの……どこかお加減でも?」
 もしや身体の調子が悪いのではと案ずるだったが、半兵衛は首を横に振る。
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れているだけなんだ。ごめんね、心配かけて」
 半兵衛が淡く笑ったので、は安堵の吐息を漏らした。
「朝餉の準備が整っております。お座敷にお越しください」
 と頭を下げて、去っていく背中。
 半兵衛はその背に手を伸ばしかけ――――
 がくるりと振り返る。
 それはちょうど、が立ち去ってから十回後の秒針が鳴ってから、
「二度寝は駄目ですからね?」
 悪戯っぽく微笑んだがくるりときびすを返し、去っていくのを半兵衛は暗澹たる思いを抱えて見つめる。
 かち、かち、かち、かち――――
 秒針が耳の奥から、消えない。





「暗殺?」
 と、は怪訝な表情で聞き返した。
 文机が三つ並んだいつもの執務室で、官兵衛は無表情を崩さぬまま書面に筆を走らせながらそう告げたのだった。
「忍びの手の者から報告があった。大方、千里眼を持つお前に脅威を感じた輩の手先だろう」
「それで私に刺客を……?」
「そうだ。警護は付けるがくれぐれも警戒は怠るな」
 はぱしぱしと目を瞬かせると、ううん、と思案するような声を上げた。
「なんだ?」
 官兵衛が手を止め、顔を上げる。
「何故、刺客を送るのでしょう。敵は私の目の事を知っている。ならば、如何に裏をかこうとも死角などない事は、承知なのでは」
「侮るな。お前の目とて、万能ではあるまい」
「そうですが……」
 それでもは納得がいかないという風だった。
 確かに就寝中や千里眼を閉じている時は、常人の目と変わらない。だが、警護の固いこの屋敷の中に潜り込み、己の千里眼を掻い潜って自分を殺めようなどとすること自体、ひどく無謀な事に思えたのだ。
 そもそもこちらの忍びに手の内がばれている時点で、計画を改めるのではないか。ならば、いくら気を張って警戒網を広げたところで、刺客など現れないような気がする。むしろ、虚報での警護を固めさせその隙に別の誰かの命を狙うのでは、とさえ思えた。
 どうでしょう、と意見を仰ぐようにが半兵衛の顔を見やると、心なしか半兵衛の表情は青ざめて見えた。
「半兵衛様?」
 声をかけると、はっと我に返ったように顔を上げ、取り繕うような笑みを浮かべる。
「えっと……、の言いたいことも分かるけど、官兵衛殿の言い分ももっともだと思うな。油断大敵だからね」
「わかり……ました」
 やはりは納得がいかないようだったが、二対一では従わぬわけにはいくまい。
 は渋々と官兵衛の命に従うと、その日から護衛を側に置くようになった。



end


わけの分からない話ですみません。
次回あたりから徐々に伏線回収していきます。