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舞宵 23





 それから数時間後、空に丸い月が浮かぶ頃――――
 二千五百人の殺気だった兵に囲まれる中、織田との両軍は山王寺の本堂で会見を果たした。
 先に本堂に入ったのはと半兵衛で、二人は西側の端に座した。
 会見に挑むにあたり、半兵衛はの二つの事を言い含めていた。
 一つ、半兵衛が合図を送るまで決して口を開かず、顔も見せぬこと。
 一つ、言動は己が常世姫であることを誇示すること。口を開くときは居丈高に、有無を言わさぬ強さで発すること。
「それと、俺はこれからの事を、常世様って呼ぶから。嫌かもしれないけど許してね」
 は素直に頷くと、半兵衛から受け取った垂れぎぬを頭からかぶった。
 そして、会見の時――――
 の諸将は本堂に姿を現すと、その入り口で一瞬足を止めた。
 障子の隙間から漏れる月光が、の姿をぼんやりと浮かび上がらせている。そして頭にかぶった垂れきぬが、の輪郭をうっすらと浮かび上がらせるも表情を隠し、得も言えぬ雰囲気を生み出している。
「どうぞお座り下さい」
 半兵衛に促されて、の将ははっと我に返った。
 常世姫の雰囲気に飲まれていた事は明らか。現と幻の合間に佇むような、人の心を放っておかない存在感を演出するには、半兵衛の策は抜群の効果を発揮したようだ。
 東側の端に腰を下ろすと、男達はそれぞれに不破、岩手と名乗った。
「私は竹中半兵衛と申すもの。織田の軍師にて、常世様の後見を果たす者です」
 普段聞くふざけた物言いとは異なる、真面目くさった口調だった。
 半兵衛の名乗りを聞いて、二人はわずかに眉をひそめた。当然の反応だろう。
 美濃の者ならば、かつて稲葉山城を乗っ取った半兵衛の名を知らぬはずがない。それが原因で、の仕える斉藤が滅んだと言ってもいいのだ。二人に取っては主が路頭に迷う事になった諸悪の根源と言ってもいい。
 半兵衛はそしらぬ顔で一礼すると、では、と始まりの声を上げた。
「此度の戦、主君・信長様の命と言えども、常世様は同族で争われる事を大変悲しんでおられます。こうして身共が常世様をお連れしたのも、兄上様を説得したいという常世様たっての願いがため。どうぞその意を汲み、無駄な争いは起こさぬようお取り計らい願いたい」
「我らに兵を退けと申すか」
 渋い顔で唸るように声を上げたのは不破だった。どうやらこちらが大将で、岩手はそれに従属する関係にあるようだった。
「無駄な血を流さぬという点では同意できる。が、ただでは帰れぬな。我が主君は常世姫様をお連れせよとの命だ。もし拒まれぬならば……、その時は致し方あるまい」
 不破はすうっと目を細めると、腰の刀に手を乗せた。一歩踏み出して凪げば、それだけでこちらの首が飛ぶ距離。
 の身体がびくりと震えたのを察し、半兵衛は打ち掛けの袖に隠れたの手に触れた。普段、石膏で出来ているのかと錯覚させるほど冷たいそれは、今はしっとりと汗に濡れ、わずかに震えている。それを安心させるように握りしめると、応える様にの指先がぴくりと動いた。
「主の命があれば常世様の首を落とされると。の将は義に厚き武士と聞いていましたが、これは身共の勘違いでしたか」
「なにぃ……?」
 岩手が殺気だった。
「主君を謀り貶めた貴様が、我らを愚弄するか!」
 先の稲葉山城での一件を指しているのだろう。事実を知っているならば決してそのような謗りなど出来ぬはずだが、彼らが半兵衛を不忠の臣と錯覚するのも無理はない。
 半兵衛はさらに挑発するように、唇に嘲笑を浮かべた。
の家が栄えたのは常世様の御力ゆえと、美濃の者なら幼子でも知っています。それを主が命を受けて、聞けぬなら切るとはいささか無礼が過ぎませんか?」
「その常世姫様が先に我らを裏切られたのではないか。織田に付き、その者どもを手引きするとは、に対する反逆はどちらか!」
「これは異な事を仰います。元よりこの地を千里眼で守ってこられたのは常世様であらせられましょう。ならば、此度の進軍は侵攻ではなく帰還と考えられたい。それを反逆と謗るとは、一体そこもとはどなたにお仕えなのか」
 か常世姫か。どちらに従い武士の誓いを立てているのだと、迫る文句だった。
 これがもし美濃以外の土地であれば、主君以外に仕えるものかと、一笑に付されただろう。だがここは、かつてより常世姫の千里眼が睨みを聞かせて来た領である。斉藤家の重鎮として名を馳せたのも、その前の土岐氏の頃より自衛が認められたのも、すべて常世姫の千里眼で時代をうまく渡ってきたためだ。城の奥に隠され人々が口を噤んで来たと言っても、彼らの心の根底には常にあの碧の瞳があるのだった。
「殿を差し置いて、姫君こそが真の城主だと仰られるか」
 不破の低い声が響いた。
 そこまでは言及していない。が、言ったも同じだ。
 今もいまし、昔もいまし――――
 主君は代を重ねて変わるが、同じ魂が繰り返すと言われる常世姫は決して変わらぬ普遍の存在である。この地は常世姫の眼により守られていると……幼き頃より常世姫の話を聞かされ続けたの将が、これに揺るがぬわけがない。
「かつて織田の侵攻を我が身を賭して救ったのは誰か。そして今、将兵の命を真に救おうとしているのは誰か――――よく考えなされませ」
「なにを……殿とて、真に領民のことを、そして我らの事を考えて……」
「果たしてそうでしょうか。家は幾たび、己が栄進のために常世姫を犠牲にしてきたのか……。血を分けた娘ですらそうならば、諸将の命など紙も同然ではありませんか」
 半兵衛の嘲りの言葉に岩手は顔を真っ赤に染め上げ、ぶるぶると拳を振るわせた。
 己らの忠義の代償がその程度だと嗤われ、我慢できるはずがない。真に家に忠誠を誓い続けてきたからこそ、この言葉は利いた。
 そして、
「何を戯けた事を! 女子が城主とは小賢しい。常世姫など、所詮乱世の道具ではないか!」
 吼えて後、岩手ははっと己の失言に我に返った。
 それは常世姫への信仰を覆す禁句である。疑いつつも、決して口にしてはならない言葉だった。
 半兵衛は好機を悟ると、打ち掛けの袖に隠れたの手を強く握った。
「私を、乱世の道具と……?」
 の身体がふわりと浮かんだ。
「あ、いや、某は……」
「この私を、乱世の道具と罵るか」
 一歩、また一歩と、のゆっくりとした歩みが、じりじりと岩手を追い詰める。
 顔を垂れぎぬで隠し表情が見えないからこそ、尚更恐ろしい。
 そのくせ声は鈴の音のように美しく、その所作もはっと見入ってしまうほど洗練されている。
「如何なる英傑も女の腹を借りて生まれゆく。それを……女子は乱世の道具に過ぎぬと言うか、痴れ者が」
「い、いや、そうではございませぬ。あれは言葉の文に過ぎず……」
 眼前に立つ常世姫に、岩手は目を奪われ許しを請うようにすがり付こうとした。
 途端――――
「控えなさい、愚か者!」
 垂れぎぬがばさりと外され、長い髪が宙を泳いだ。そして、髪の合間から覗く碧の瞳――――
 岩手は床に額をこすり付けるように叩頭すると、その姿勢のまま後ろにずざざと退いた。
 不破は退かなかったが、その表情に明らかに驚きと慄きが浮かんでいる。ずっと夜語にのみ聞いていた常世姫が今、眼前に――――絶対的な支配者の顔で立っているのだ。
「このままでは家はいずれ他家に滅ぼされます。そうなれば領地は蹂躙され、多くの民が命を失うでしょう。私はそれを止めたい」
「それは……我らも望むところですが……」
「ならば答えは一つです」
 はすらりと短刀を抜くと、その切っ先を二人に向けた。
「これより我が軍は翡翠城を目指します。あなた達も従軍しなさい」
 二人は大いに戸惑ったが、は床に片膝を付くと、二人の眼前で婉然と微笑んで見せた。
 そして、その煌々と輝く瞳でまっすぐに見つめると、
「私に従いなさい」
 それ以上の言葉はもはや不要だった。二人は玉のような汗を額に浮かべ、絶対の忠義を示すように体を折り曲げると、深く頭を垂れかしずいたのだった。



end

半兵衛が真面目な口調だと誰だかわかりませんね……。
モブの名前は適当です。
不破、岩手はこの当りの地名から。