舞宵 22
その日からは家に幾度となく降伏勧告の文を送りつけたが、兄・はそれをすべて黙殺した。
朝倉・浅井との戦は織田が優勢になりつつあり、浅井に付けばも共に倒れる。それを切々と説き、降伏すれば一族・将兵の助命、また古参の将達を信長に推挙すると破格の条件を示したが、兄はそれでも靡かなかった。
常世姫であるが戦を起こせば、将兵や領民を大いに脅かす事になると、知らぬはずがなかった。だが、それでも退かぬのは、家当主としての矜持と誇りのためか、には分からなかった。
「すまん、。わしも付いていってやれたらええんだが」
出陣の朝、秀吉はすまなそうな顔をに向けた。
浅井・朝倉との大事な戦を控えた今、戦力を家討伐に割く事は出来ない。あくまで信長から与えられた五百の兵で、この戦を制さなければならなかった。
勿論、たったそれだけの兵で城を落とせるはずはない。がの諸将を降せると見越しての兵力である。
そして、仮にそれが失敗しても信長には損失はほぼない。常世姫をしいした逆賊として、領民の不満を起こさずに今度こそを討てるからである。
「半兵衛。を頼むぞ」
せめてもの助力にと、秀吉は半兵衛を浅井・朝倉との戦ではなく、家の討伐に向わせる事にした。勿論、その分自分の戦力に穴が開くことにはなるが、そこは自分と官兵衛が踏ん張るしかない。
「任せてくださいよ、秀吉様。ちゃちゃっと片付けて、すぐにそっちの助勢に行きますから」
と、半兵衛は明るい声を馬上から返した。
不利な戦。場合によっては死ぬかもしれぬと言うのに、半兵衛の顔はいつもの飄々とした表情を崩さなかった。それに励まされ、秀吉も顔に笑みを浮かべる。
官兵衛はいつもの無表情、いささか仏頂面という顔でを見送った。言葉には出さぬが、この冷徹無比と呼ばれる軍師も人並みにの身を案じているらしかった。
だが、半兵衛とどちらが姉川に向かい、どちらがを討つかと決めあった時、卿があれに付いていってやれと推したのは官兵衛だった。
「私はいざとなったらあれを見限るやもしれぬ。それでは卿は不満であろう」
といつもの皮肉で、官兵衛はその役を半兵衛に譲った。
ねねや子飼い達に挨拶を済ませたに向かって、官兵衛はただ一言、死ぬなと命じた。
「泰平の世はまだ定まっておらぬ。それまでは、お前にも働いてもらわねば困る」
どこまでこの男は不器用なのだと半兵衛は思いながら、それでも官兵衛の不器用な気遣いが有難かった。
は淡い微笑を浮かべると、
「はい、官兵衛様。必ず御身の御前に戻って参ります」
と約束した。
は戦装束に紅い内掛けを羽織り、軍勢には家の女紋を描いた旗指物を持たせた。
月輪に桔梗という家の家紋ではなく、あえて月落ち桜の女紋を用いたのは、これが常世姫の軍であると知らしめるためだった。
また、に内掛けを着せたのも同じ理由である。甲冑に身を包んだ武士ではなく、内掛けを纏った姫を大将として掲げる事により、こちらの軍を侵略者ではなく常世姫を守る護衛隊に仕立てあげたのだった。
それらはすべて半兵衛の策である。
この少ない軍勢で翡翠城に到達し、出来るだけ血を流さずを降すには、が由緒正しき常世姫の末裔である事を知らしめる必要があった。
「とはいえ、そう簡単に通してくれるわけないか……」
半兵衛は川を挟んで展開される大軍へ、視線を向けた。
数、二千との千里眼は告げていた。浅井に従うもののその兵力は馬鹿にできない。屈強な兵たちがの紋の入った軍旗を高々と掲げ、対岸に馬首を並べるの軍を睥睨している。
迎撃部隊が差し向けられたのは、達が軍を進めてから一日後のこと。
すぐに兵を向けなかったという事は、家でも多少のごたごたが発生していたのだろう。つまり、家の加護神でもある常世姫を討ってもよいものかと、家中で分裂があったのに違いない。
半兵衛はそれこそが勝利の糸口であると睨んだ。
彼らにを討つ事は出来ないと、半兵衛には確信があった。
わざわざ五百の部隊を潰すのに大軍を構え、しかも家の軍である事を誇示するように二千の軍が、月輪に桔梗の家紋を高々と掲げている。
こちらを威圧して降伏を促すつもりなのか。
半兵衛の読みどおり、両軍の睨み合う中、使者が文を掲げてと半兵衛の前に現れた。停戦の申し入れだと言う。
だが、半兵衛は文を読まずに破り捨て、直接掛け合わなければ話しは聞かぬと、使者を突き返した。
この一見傲慢とも言える態度にあちらが激昂しないかと故は不安を露にしたが、半兵衛の自信は揺るがなかった。そして、半兵衛の読みはまたもあたったのである。
しばらく後、再び使者が戻り、軍を率いる不破影明なる人物が話し合いに応じると告げたのだった。
そうして両軍の兵が見守る中、家臣と、半兵衛はそこから程近い山王寺と呼ばれる古寺で会見を果たす事となった。
end
ついに進軍です。
モブの名前は適当なのであしからず。