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舞宵 20





 空の彼方が白み始めた夜明け過ぎ、の容態はようやく落ち着き、規則正しい寝息を立て始めた。
 傷口が熱を帯びているのか、高熱にうなされたその額には、玉のような汗がびっしりと浮かんでいる。
 顔に巻かれた包帯が痛々しい。なかなか血が止まらず、傷口の奥からじんわりと血がにじみ出る。
 半兵衛はの枕元に腰を下ろし、包帯に紅いしみを作るそれを暗い表情で見つめていた。
 信長の突き刺した刃は、の眼を貫いてはいなかった。
 眼球のすぐ真下、骨と眼の合間に危ういほどの僅差で刃を突き立てたのだ。
 眼を最大の武器とする常世姫の眼を奪わなかったという事は、その眼に利用価値があると信長が認めてた事になる。
 だが、少しでも手元が狂えば、眼球を貫き、失明に至らしめていた事実に、半兵衛の怒りは収まる事はなかった。
 もし、あの時の問答のどれかが気に食わなくても、同じ事をしただろう。
 もしかしたら、足や腕を切り落とされていたかもしれない。最低限、生きて眼を使える状態で、生かされたかもしれない。秀吉と共に帰る事を赦さず、一生己が居城で飼い殺しにする可能性も十分にあり得た。
 今もあの光景を思い出すと、両手がぶるぶると震えた。
 元より気に食わぬ主ではあったが、今や半兵衛の胸にはどす黒い憎悪が渦巻いている。
 だが――――
 半兵衛は憤る反面、信長の仕打ちを冷静に分析していた。
 もし、半兵衛がと何の関係もなかったら、信長の行為を半兵衛は至極当然と受け止めたかもしれない。
 一見、残酷に見えるその行為も、実は周到に計算付くされている。
 かつて己が命を背いて生きながらえた常世姫が、知らぬうちに己の配下に降っていた。脅威と思えたその力が、いつの間にか手中にあったとは僥倖である。
 だが、家臣の手前、手放しでそれを喜ぶ事はできない。殊処罰に厳しい主として、死ぬ定めにあった者を何の咎めもなく受け入れる事はできないのだ。
 だからこそ、あの詮議の場を用意した。家臣の前での生い立ちを明らかにし、交換条件を示す。忠誠を示すために、生家に背けと信長は言った。
 出来ねば、即ち死。
 そのくらいの事をしなければ、諸将の納得は得られぬと判断したためだった。
 を滅ぼせなければ、それまで。使えぬ奴と切り捨てるまでだ。
 逆に兄を討てるならば、を当主に掲げ後継者としての正当性を主張する。元より、の家は常世姫の力があって成り立っていたと言っても良い。兄を廃し、が当主の座に付くならば、未だ反信長の姿勢を崩さぬ美濃の領民を懐柔する事ができるだろう。
 そして……の紅き血を以って、信長は秀吉と両兵衛を御した。
 悔しいがの命を盾に取られてしまえば、自分はそれに従わざるを得ない。秀吉も、そしておそらく官兵衛もそう思っているだろう。官兵衛はあくまでの力を泰平の世の実現に利用するためと答えるかも知れないが、を今失う事は避けたいと考えるはずだ。
「こんなに皆が君の事を想っているのに、にはそれが伝わらないの……?」
 半兵衛はの穏やかな寝顔に問いかけた。
 人形の仮面は未だ外れない。むしろ、今回の一件で、益々それが硬化してしまうように思えた。
 兄を討てば、の常世姫に戻ってしまう。の名を捨て、心を持たぬ人形になってしまう。
 あの微笑みも、失われてしまうのだろうか――――
……。俺はが好きだよ」
 半兵衛は呟く様に告げると、の唇に静かに自分のそれを重ね合わせた。
 言葉と共に想いも伝わればいいと、そう願って――――



end


離れていくに半兵衛は益々想いを募らせて……
次回、決意へ。