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舞宵 19





「おのれ、正体を現しおったか!」
 が刃を信長に向けるのと同時に、両脇に控えた家臣たちが次々に腰の刀を抜いた。
白銀の刃が無数に煌く中、信長と濃姫だけが平然と――――いや、むしろ楽しそうな笑みを浮かべて、それを眺めていた。
 の首先には無数の刃が突きつけられていた。短刀を振るえば、すぐにでも首を刎ねられるだろう。
 は煌々と両眼に碧の光を込め、信長を睥睨した。
「どうした。信長の首はここぞ」
 挑発するような信長の声が、一触即発の殺気に満ちた空間に響く。
 は唇を強くかみ締めると、冷笑を浮かべる信長に精一杯の冷静を装った顔を向けた。
「御三方を弑する必要はございません。わたくしの命で事が済むのなら、どうぞこの刀で両眼をお突き下さい」
「ほう、自ら死を選ぶ、か……」
 信長は楽しげに笑むと、片手を軽く挙げた。それを合図に一斉に刀が引き、首を押さえられていた秀吉達も解放される。秀吉はひいひいと声を上げ、その場にぺたりと尻餅を付いた。
 赦されたのだと、秀吉は安堵の吐息を付いた。
 きっと信長はの忠心を試したに違いない。そのために三人を伴ったのだと。
 だが、次の瞬間、秀吉は己の判断が甘かった事に気付かされた。
 信長はの手から短刀を取り上げると、勢いを込めての片目に突き刺したのだった。
「っっっ!!!!!!」
 は身体を跳ね上がらせると、刃から逃れるように身を引いた。だが、背後に立った家臣の一人がその身体を押さえつける。
「痛いか? これが命の痛みよ」
 信長はさらりと告げると、傷口をえぐるように、刃を左右に回した。
「ぅ……ぅぁあ……!!!!」
 の身体が痛みに耐えるようにびくびくと痙攣する。
 顔面から流れ滴る鮮血が顔を濡らし、ねねの塗った紅をさらに赤く染め上げ、一張羅である真紅の内掛けを染め上げた。
 あまりの惨さに秀吉は目を背けた。だが、傍らの官兵衛と半兵衛はじっとの姿を見つめている。
 その表情に感情は見られない。
 だが、半兵衛の片手がわなわなと戦慄いているのを、秀吉は見た。手の平に爪を立て、血で指先を染め上げながら、今にも暴れだしそうな左手を右手が必死に押さえつけている。
 信長の所業に怒りを感じないはずがなかった。
 今すぐにでも立ち上がり、斬り付けてやりたいのを必死に堪えているのは、が悲鳴すら上げず、その痛みに耐えているからだ。
 は必死に戦おうとしている。
 たとえそれが苦痛を与え、殺す事だけを目的とした行為だとしても、は誇りを捨てていなかった。
 鮮血に塗れたの爪先が、畳を毟らんほどに強く付き立てられている。骨が浮き出るほどに力を込められた手は、ぶるぶると震え、まるで獣が暴れるように畳を穿った。
 存分に傷口を開くと、信長は満足したように短刀を抜き、足元に捨てた。
 そして、の髪を掴み上げ、自分の顔の間近に寄せると、
が城を奪え。兄を……屠れ」
 無事だった方の左目に向けて、絶対の命令を放ったのだった。
「約定を違えれば、次はその両眼を穿とうぞ」
 くくく、と高らかに笑い声を上げ、信長は立ち上がると、蘭丸と濃姫を従え去った。
 信長が視界から消えると共に、はついに意識を保てなくなり、その場に崩れ落ちた。
!」
 すぐさま、秀吉達が駆け寄り、その身体を抱き起こす。
 顔の大半は血に塗れ、ねねの紅も、一張羅の内掛けも、鮮血で真っ赤に染まってしまっていた。
 だが、苦しそうに歪められた顔は熱を持っており、荒々しい呼吸もしている。
 はまだ生きている――――
、偉いぞ。ようやった。よう生きた!」
 秀吉は涙を流しながら、の身体をかき抱いた。そして自らをその手に抱きかかえると、
「医者じゃ! 医者はどこじゃ!!」
 と、声を張り上げ、襖を蹴飛ばすように飛び出して行った。





 取り残された半兵衛は、の座ってた辺りについた血痕を眺めながら、未だぶるぶると震える左手を押さえていた。
「卿が詰まらぬ事を起こさぬか肝を冷やしたぞ」
 と、官兵衛。
 半兵衛は震える拳に対して、妙に冷ややかな顔を官兵衛に向けた。
「そりゃあ、信長がを殺さないって分かっていたからね」
 半兵衛は信長がを殺すよりも、利用するだろう事を見抜いていた。
 かつてを攻めたのも、その力が脅威であると考えての事である。今、手の内にそれがあるならば、汚名を着せて殺すより存分に力を発揮させる方が賢い。
 だが、半兵衛にも読めない所があったのは、信長がどこまで制裁を与えるか、だった。
 表向きにも、力で屈服させたという構図は欲しいはずだ。そのために、殺すまではいかないにしても、信長がを虐げる事は予想できた。
 突き詰めてしまえば、目さえ無事なら、常世姫としての力は発揮できるのだ。ともすれば、両手両足を切られて、胴だけの姿で生かされる可能性もあったのである。
 もしそこまで信長が及ぶなら――――その時は、謀反を覚悟で事を起こそうと半兵衛は決めていたのだった。
 結果的に片目だけで赦されたわけだが、半兵衛の胸の奥には業火のような憎悪が渦巻いていた。
 を傷つけた事は勿論、赦せない。
 だが、それ以上に、信長はを盾に三人を御そうとしたのだ。
 の目に刃を突き立てた時、信長は秀吉達三人を見て、嗤った。
 目を背けていた秀吉はそれに気付かなかっただろうが、それは信長から三人に与えられた交換条件だったのだ。
 今回はの命は救う。
 だが、次は――――両目を潰し、命を奪うと、言外に告げていた。
 そうならぬよう、うぬらが励めと、信長は告げていたのだ。
「やってくれるじゃん」
 半兵衛は忌々しげに呟くと、畳の上に討ち捨てられた血まみれの短刀を、深々とそこに突き立てた。ちょうど信長の座っていた辺りに、もしそこに信長がいるならば、一撃で心臓を射止めんとでも言うように。
は絶対に殺させない」
 半兵衛は誓いを立てるように呟くと、ぎらぎらと輝く瞳で突きつけた短刀を見つめた。



end


目を代償に、ひとまずの猶予を与えられた
信長の挑戦に憤りを覚える半兵衛は、決意を新たにします。