舞宵 18
「これより詮議を執り行う」
家臣団より立ち上がった男が高々と声を上げた。信長の右筆であり、織田家の代表的な文官である松井友閑である。
友閑はの前に立つと、顔を上げさせた。整った顔に、ほう、と片眉を上げる。
「名を名乗るが良い」
「旧斉藤家臣、影由が子女にございます。名はございません」
ふざけているのか、と家臣たちの間にどよめきが広がる。
「名がないとは如何なる事か」
「古来より常世と呼ばれる女児には、名をつけぬ仕来りとなっております。故に総称で呼ぶ際は常世、個人を指す時は何代目と呼び、私はその十七代目にあたります」
ふむ、と友閑は目を細めた。
「名がないのは何とも不都合だ。では、便宜上そなたの事は以後、常世と呼ぶ」
「はい」
「して、その方、千里の彼方も見通すというのは誠か。この手の平の中の紙が読めるか」
は頷き、両眼に力を込めた。夢幻の如き輝きが双眸に宿ると、家臣団から再びおおっと声が上がる。
あやかしじゃ、魔性じゃと謗る声を耳にしながら、は友閑の手の中を見据えた。
「どうだ」
友閑の問いには首を横に振った。
「読めませぬ」
再びどよめき。
だが、友閑のみが平然とした顔で、何故か、と問う。
「その御手の中は空でございます。故に何も読む事はできません」
友閑は大仰に頷くと、手の平を開いた。その分厚い手の中には何も握られていなかった。
「そなたが誠の常世姫である事は確かなようだ。では、質問を変える。かつて織田がを攻めし時、そなたの首は降伏の代わりとして信長様の下へ届けられた。あの首は誰のものか」
「の侍女にございます。名は存じません」
「そなたの身代わりとして果てたというのは誠か。それは誰の計略か」
友閑の問いには一瞬、戸惑いを見せた。ここで官兵衛の名を出せば、官兵衛にも類が及ぶかもしれない。
だが、あの一件の事をこのまま隠し通せると考えるのは、楽観だろう。むしろ下手に隠し立てすれば、余計な疑念を与える事になる。
は覚悟を決め、正直に事実を語った。
「黒田官兵衛様にございます。官兵衛様は私の代わりに侍女の首を切り、その場に居合わせた者も討ち捨てられました」
途端に座敷の下座に座った官兵衛に、一同の視線が集まった。だが、官兵衛はいつもの無表情を崩さない。隣に座る秀吉だけが目を白黒させている。
「では、この問いは黒田官兵衛が答えよ。何故、常世の代わりに侍女を切った。その命は誰のものか」
官兵衛は膝を一歩前に進め、口を開いた。
「音に聞く常世の力は千里の先を見渡すもの。その力を以ってすれば信長様の天下はより磐石なものとなりましょう。誰の命でもござらぬ。某が最善であると判断し、そのように動いたまでのこと」
一介の軍師如きが差し出がましい、と家臣が口々に官兵衛を非難した。だが、これ以上は語る事はないとばかりに、官兵衛は膝を退くと瞑目した。
「羽柴秀吉。それは誠か?」
唐突に名を呼ばれ、秀吉はびくんと大げさなまでに肩を震わせた。
「は、はあ……誠でございます。わしにはは、戦で親を亡くした孤児じゃと知らされておりました」
実を言うと、秀吉は完全に官兵衛の言葉を信じていたわけではなかった。は確かにぼろを纏ってはいたが――――官兵衛が嘘の信憑性を高めるために、わざわざ小汚い格好をにさせたのだった――――の手足は白く、餅のように柔らかかった。
農民や貧乏侍の子であれば、このような手足をしているはずがない。どこかやんごとなき家の子なのだろうと、秀吉は察していたのだが、官兵衛もも出自を語らないからには言えぬ事情があるのだと察し、あえて問い質さなかったのだ。
「では、そなたはこの者を子飼いとして養い、今日まで育てて来たのだな」
「はい。わしとねねには子が生まれんかったので、ならいっそわしらが育てようと……」
ふむ、と友閑は頷くと、再びの方へ顔を向けた。
「これらの言葉に嘘偽りはないか」
「ございません」
「では、詮議を進める。その方、先の戦にて影唯を追い詰めるも、その命を助け、逃がしたのは誠か」
「はい、誠にございます」
「何故、逃がした」
の瞳が答えを探すように虚空をさ迷った。
それは……、と言いよどむ。
「と通じていたのではないか? 斉藤が倒れ、かの一族は今は浅井に仕えておる。そなた浅井に与し、信長様を亡き者にせんと謀ったのではないか?」
「違います……」
「なぜ、違うと言い切れる。そなたは一度、織田に殺されたも同然じゃ。織田を憎む心は、誰よりもその胸に滾っていよう」
の碧の瞳の深淵を覗きこむ様に、友閑の顔が寄った。は目を反らせないまま、友閑の黒い瞳を見返した。
その時、恐れながら! と座敷の下手より声が上がった。
「恐れながら申し上げます! 先の戦で我が部隊が無事、殿軍を果たせたのも、そべてそこにいるの力のおかげでございます! 金ヶ崎だけじゃあない。幾度も幾度も、はその目で皆の命を救ったんさ!」
控えよ、サル! と家臣団から声が上がったが、秀吉は額を畳に擦りつけたまま、退かなかった。
「いいや、これだけは分かってくだされ! は決してわしらを裏切るような娘じゃありません。それは主人であるわしが……いいや、親代わりであるわしが保証します! だからどうか、どうか、命ばかりは……!」
秀吉の懇願は友閑を通りこし、まっすぐに信長に向けられていた。信長は笑みをこぼすと、もうよい、と告げた。それは友閑と秀吉の両者に向けられていた。
「くく、面白い……」
信長はゆったりと身体を起こすと、の前へと歩み出た。友閑を押しのけ、その眼前にどかりと腰を下ろす。
はすぐさま、叩頭の形を取ろうとしたが、信長の扇がそれを阻止した。顎の下に扇の先を入れられ、顔を上げさせられる。
「常世は人を惑わすと聞いたが、誠であったか……」
くくく、と楽しそうに信長が笑んだ。
「サルは腑抜けた。軍師共も、うぬが誑かしたか」
瞳の奥まで暴くような、鋭い視線が碧の双眸に注がれる。は視線を反らす事も出来ず、脳の奥まで侵略するような眼差しを受けた。
信長は冷笑を浮かべたまま、傍らに控える家臣達を見やった。
「だれぞ首を刎ねよ。うぬの命、あの者共が首で許そうぞ」
ははっと息を飲み込んで信長を見やった。その内にも、下手に控えていた家臣が三人を取り押さえ、すらりと刀を抜く。
「の、信長様……!」
あまりの展開に、秀吉が顔を青ざめさせて信長の名を呼んだ。だが、信長は冷笑を浮かべるばかりである。
官兵衛と半兵衛の二人は、すでに命運を受け入れたかのような大人しい顔で、首を晒されるのに任せた。
「くく、首を落とせ……!」
信長が命じたのと同時に、の懐から白銀の光が煌いた。
は短刀をすらりと抜くと、その切っ先を信長の眼前に突きつけていた。
end
勝手に家臣団から詮議役を選びました。
また、父親、兄も名前がないと不便なので、勝手に名づけています。
次回、詮議の後編に続きます。