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舞宵 17





 信長からの使者はその三日後に訪れた。
 秀吉、官兵衛、半兵衛の三名はを伴い登城すべし、と使者は告げた。
 金ヶ崎の一件より秀吉は幾度も許しを請う文をしたためていたが、ついにその願いは聞き届けられなかったのだった。
「いや、まだじゃ! まだわしは諦めんぞ!」
 秀吉は最後までを擁護すると覚悟を決めたが、その瞳は信長の咎が如何なるものかと想像し血走っていた。
 一方、報せを受けたは、落ち着いた表情で蔵から出てきた。
 水風呂で身体を清め、淡色の小袖を着ると、一張羅の紅い内掛けを羽織った。
 ねねは泣きながらの唇に紅を塗った。まるで死に化粧のようなそれを秀吉は叱ったが、ねねは信長様に会うのだから綺麗にしなくちゃ、と突っぱねた。
「大丈夫。はこんなに美人なんだもの。きっと信長様に気に入られて、罰なんて受けないよ」
 ねねは目じりに涙を浮かべながら、精一杯明るく振舞った。
 あの日に似ている――――、とはぼんやりと思った。
 十数年前、が織田への降伏の代わりに、城を出された時と一緒だ。
 あの日も紅を差し、一番上等な服を着せられ、は織田軍の元へと向った。あの時はそれが自分の定めであり、の家のために死ぬ事に疑問も感じなかった。
 個人の名前を持たぬ常世姫は、同じ魂が輪廻するのだと言う。
 だから、ここで死んでもまた十八代目の常世姫として、の家に生まれ来るのだと説かれた。
 だから、を見送った者達は皆一様に「いってらっしゃいませ」と言って、送り出したのだった。
 一度は死したこの身。同じように死に往くのは、定めのようにも思える。
 は秀吉とねねの前に膝を付くと、指をそろえ深々と頭を下げた。
「今日この日まで、わたくしが生き長らえて来られましたのも、お二人のおかげでございます。どうか末永くお健やかに」
 まるで先立つ不幸をお許しください、と告げられているようだった。
 ねねはついに耐えられなくなり、の頭をかき抱いて泣いた。
「ねねっ! 泣くな! 笑え、笑うんじゃ……!」
 秀吉は必死に笑おうと努めたが、その瞳からは年甲斐もなくぼろぼろと大粒の涙がこぼれていた。
 子供のないこの夫婦にとって、子飼いは我が子も同じである。しかも清正達のように実の父母がいない分、二人はの誠の親になろうとしてきたのだ。加えて男児ばかりの子飼いの中で、唯一の娘。目に入れても痛くないほどの可愛がりぶりは当然で、その最愛の娘が自ら死に向おうとする様は二人の慟哭を誘った。
 は二人から存分に抱擁を受けると、次に官兵衛と半兵衛の前に膝を着いた。同じように深く叩頭し、これまでの礼を述べた。
 そして、官兵衛の方へと向くと、
「官兵衛様、今日この時を以ってして、賜りましたお名前をお返しいたします」
 懐より差し出した紙を、すっと官兵衛の前に差し出した。紙面には「」の名がある。
 かつて、名を持たなかったに官兵衛が与えた名前だった。
 官兵衛はそれには手をつけず、
「……愚か者が」
 とだけ返した。
 はわずかに微笑んだ。
 自分は官兵衛にとって不肖の弟子だったに違いない。だが、その一言で官兵衛が決してを厭っていなかった事を、示してくれたような気がした。
……」
 半兵衛の呼びかけに、は首を振った。
「もう私はではありません。誰でもないのです。竹中殿……いえ、竹中様。どうか、お元気で」
 別れの言葉と共に、は最後に微笑んだ。
 いつか夜空の下で見せた美しい微笑み。だが、今日ばかりは胸躍らない。
「俺は……諦めてないよ。信長にみすみすを殺させたりしない」
 半兵衛は膝の上で握り締めた拳に力を込めた。
「そうじゃ! よく言った、半兵衛! わしらでを守るんさ!」
 秀吉は半兵衛の背中を強く叩くと、まるで戦に赴くように声を上げた。こうしちゃおれん、と秀吉は立ち上がると、家中から必勝祈願のお守りをかき集めるよう、ねねに命じた。
 はそんな光景に、ただ儚げに微笑むだけだった。





 を乗せた輿と、秀吉達の馬が信長の居城に到着したのはそれから一刻後の事だった。
 秀吉は始終そわそわと、はまるで刑場に向う咎人のように殊勝な顔をしていた。
 通された座敷は城の中で最も大きい広間で、信長の家臣達が勢ぞろいで四人を迎えた。皆、一様に顔が殺気立っている。その中には柴田勝家や前田利家といった、顔見知りも多く見えた。秀吉はその威圧感に負けないよう、肩をいからせて踏ん張った。
「くく、来た、か……」
 広間の奥に、脇息に肘を付き信長が座している。その両脇に蘭丸と濃姫が侍っていた。
 秀吉は座敷の下手に座し、官兵衛と半兵衛はさらにそこから下手に座る。
 はゆっくりと歩を進め、家臣達の鋭い視線を浴びながら、広間の中央に座すと、信長に向って深々と叩頭した。



end


ついに信長の前へ。
次回、命を賭けた審問に続きます。