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 暗い部屋の中に、明々と灯るぼんぼりが四つ。ひな壇のような緋毛氈の敷かれたこの部屋の中では、日月の光もなく、昼も夜も知れない。
 常世姫を飼い殺す囲い閨の中、雛人形のような娘がぽつねんと薄暗闇の中に座している。
 表情は固く、等身大の人形のように見える。
 だが、時折、和紙に挟んだ花を眺めて、わずかにその表情を和らげる。
 桔梗に椿、藤、百合、女郎花――――
 四季折々の鮮やかな花が少女の心の隙間に、わずかに光を照らしていた。




舞宵 15





 半兵衛の不安を的中させるように、浅井裏切りの報が信長の耳へ届いたのは、金ヶ崎城を落城させてまもなくの事だった。
 浅井長政は織田を裏切り、朝倉との盟約を果たさんがため織田に兵を進めた。それに呼応するように木ノ芽峠へと撤退していた朝倉本隊も進軍を始め、織田軍は浅井・朝倉連合軍の挟撃に陥る。
 追っ手を撃破しながらの撤退戦――――後世、金ヶ崎の退き口と呼ばれる戦である。
「ひゃぁぁぁぁ、こりゃあえらいこっちゃ! 殿(しんがり)を願い出たものの、こう敵ばかりじゃ命が幾つあっても足りんわ!」
 秀吉はひいひい言いながら、無我夢中と言った風に武器を振るった。
 殿を願い出たのは単に立身出世のためばかりではない。真に信長の窮地を救いたいという、秀吉の誠の忠心あっての事である。
 とは言え、敵に囲まれた挙句、見通しの悪い森の中で、秀吉の軍は未曾有の危機に陥っていた。
 常に亭主の背中を守るねねに加え、官兵衛、半兵衛、の三人が追ってをばったばったと切り裂いていく。
 しかし、どちらかと言えば、知の戦を得意とする面々にはいささか荷が重いように見えた。普段、飄々もしくは無表情の彼等も、顔に疲れが出始めている。
、官兵衛殿と一緒に退路を探して!」
 半兵衛は羅針盤で敵をなぎ倒しながら、の方へと呼びかけた。
「はいっ」
 引き際に飛刀を投げながら、は官兵衛の元へと向った。
 双眸に力を込め、千里眼を開く。今まで決して余人の前では使わず、また官兵衛もそれを禁じてきたが、この状況ではそうも言っていられない。
 より敵が少なく、最短の道を選び出し、は率先して隊の先頭に立った。
 連日の千里眼の酷使で、頭が割れるように痛かった。気を抜けばそのまま卒倒してしまいそうなほどに、体力の消耗が激しい。
 だが、今この目を閉じれば、敵軍に追い詰められた秀吉の部隊は壊滅する。それだけは避けねばならない――――
 は己に活を入れるように、瞳に力を込めた。
「官兵衛様、この先です。敵兵、およそ二千。右手に伏兵部隊です」
 官兵衛はの言葉に応じるように、妖気球を掲げると鬼の手を呼び出し、敵兵を蹴散らした。もそれに続き、短刀をすらりと抜いて敵兵の前に躍り出る。
 刃を交える度、掠めた剣撃がの身体に傷を作った。命が流れるように、傷口からじわりと血が滲み出す。痛みに顔をしかめつつ、はただ力任せに押し通るよう奮闘した。
「怨敵、信長の首はどこぞ! 信長の首級を挙げよ!」
 敵将の喊声と共に、一個中隊が雪崩のように襲い掛かった。すぐさま乱戦となり、勢いを削がれた秀吉の部隊は足を止められる。
 ここで足止めを食らえば、いずれ後ろの敵軍と共に挟撃を受けてしまう。
 なんとしてでも敵将を打たねば――――
 は瞳に更に力を込めて、馬上から槍を振るう敵将を狙った。飛刀は馬の喉を貫き、敵将を乗せたまま横転する。
 はその好機を逃さぬよう、短刀を構え敵将に襲い掛かった。
 だが――――
「な……」
 の剣撃に応じるよう敵将が刀を抜いたその瞬間だった。
 の碧の瞳は、刀の細部でさえ正確にその姿を視界に写していた。
 柄に施されたその印は――――かつて美濃を治めた土岐氏の流れを汲む桔梗に、それを囲む月輪。
 それはの生家である家の家紋だった。
「あに……うえ……」
 の唇が紡いだその言葉は、兵達の喊声にかき消されてしまうかと思われた。
 だが、その声は確かに男に届き、男の驚愕した瞳がの翡翠の瞳とかちりと合わさった。
 実に十数年ぶりの兄妹の邂逅に、二人は戦場である事も忘れ、互いの顔を驚きの眼差しで見つめた。
 この邂逅を素直に喜ぶ事は出来ない。だが、の心は懐かしさと、かつて手向けられた花の薫香に満たされた。
 兄も同じ気持ちであると、は信じた。
 だが――――
「貴様……常世かっ!? 何故、おめおめと生きておる!」
 兄の口から発せられたのは厳しい声音だった。
「命惜しさに織田に寝返りおったかっ! それが常世姫の名を受け継いだ者の所業か!」
 痴れ者がっ――――
 罵倒と共に男の剣撃がの首を狙った。
 は避ける事すら出来ず、驚愕と絶望の眼差しでその切っ先が己の喉を突き刺さんと伸ばされるのを、呆然と見つめていた。



end


金ヶ崎の退き口です。
未曾有のピンチの中、思わぬ人物との邂逅を果たしたヒロイン。