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舞宵 14





 夜空を仰ぐの瞳には、煌々と輝く碧の光が宿っていた。
 千里の彼方をも見通す常世の目――――一族の女児にだけ伝えられるこの能力により、はかつて常世姫と呼ばれていた。
 個人としての名はない。常世姫は総称で、何代目という数字により区別されていた。はその十七代目に当たる。
 数奇な運命により今は織田にその身を置くが、が常世姫である事は官兵衛と半兵衛のみが知る秘密だった。故に余人にその事実を悟られないよう、は人気のない場所を選んで、千里眼を使う。
 その日も、陣幕から離れた森の中で、は遠く離れた場所を見つめていた。
「誰かに見つかるのは困るけどさ、独り歩きは危ないんじゃないの?」
 背後から声をかけられ、はゆっくりと振り返った。
 その両眼に碧の光が輝いている。何時見ても、はっと息を飲むような光景だ。
「いつもの偵察?」
 半兵衛は意識を反らすように、問いかけた。
 官兵衛の命により、は朝と晩にその目を用いて偵察を行っている。近隣諸侯の情勢から始まり、市井の状況、天候、今の様に戦時であれば当然辺りの索敵も行った。
 はいえ、とかぶりを振ると、瞳から力を抜いた。途端、宝玉のように輝いていた瞳は、鳶色の石に変わる。
「浅井の城を視ていました」
「浅井の? もう動きがあったの?」
「いえ、そうではなくて……秀吉様がお市様の身を案じておられたので」
 ああ、と半兵衛は頷くと共に、わずかに驚きを見せた。
 普段人形のように振舞うも、主人である秀吉には気遣いが感じられた。以前、官兵衛からは秀吉にもねねにも心を開かなかったと聞いていたが、まったくそうというわけではないようだ。
 子飼いの一人として育てられた恩義をなりに感じているのだろう。半兵衛はその事を我が事のように嬉しく思った。
「お市様のお姿にお変わりはありません。ご健勝であらせられます」
 秀吉に直に伝えてやりたかったが、情報の出所を問い詰められても困る。半兵衛は、良かった、とだけ呟いた。
「ただ……」
 の表情がわずかに曇る。
「浅井が織田に付くか、朝倉に付くかは分かりません。もし、長政殿が朝倉に加担すると決めれば……」
「お市さんは信長と敵対する事になるだろうね」
 はほの暗い瞳のまま頷いた。
 半兵衛とて、血を分けた兄妹が争わなければならないのは見るに忍びない。だがそれは乱世のならいだ。子が父を殺し、兄が弟を屠る事が当たり前のように起こる時代に、躊躇いは忽ち命取りとなる。
「半兵衛様には、ご兄弟はおありですか?」
 ふいにが尋ねた。
 が半兵衛の事に興味を持つとは珍しい。
「いるよ。兄貴と弟が一人ずつ」
 兄はかつて戦で負傷し以来隠遁生活を続け、弟は半兵衛と同じく、織田に仕えている。兄弟そろって無欲なためか、他家のように家督を廻って骨肉の争いを繰り広げる事はなかった。兄も弟も半兵衛の知恵に頼る事が多く、兄弟仲は良い方だと言えるだろう。
は……っと、お兄さんがいたね」
「ご存知なのですか?」
「まあね。人質時代に一緒だったから」
 半兵衛はかつて幼少期を稲葉山城で過ごした。斉藤家への忠誠の証として子を人質に差し出すのがならいとなっており、半兵衛は竹内家の人質として稲葉山城で生活を送っていたのだった。
 その時、同じようにの家からも預けられた男児がいた。の兄である。
 彼の口から妹がいるなどと聞いたことはなかったが、おそらく幼い頃から常世姫の事は口外法度と教えられて育ったのだろう。
 その後大人になり、半兵衛は竹中家の、の兄は家の家督を継ぎ、共に斉藤家の家臣となった。
 とは言え、半兵衛が主君・龍輿に疎まれる一方、彼は龍輿の寵臣だったため、決して懇意な相柄ではなかった。しかも、当の半兵衛が稲葉山城を乗っ取り、間接的に斉藤家の滅亡を招いたのだから、竹中家と家の溝は深いと言って良かった。
 斉藤が滅びた今、の家がどうしているか気にはなりがしたが、の手前それを口にするのは憚られた。
「私には……兄の記憶がほとんどありません。年が離れていましたし、常世姫の寝所には兄妹と言えども簡単に出入りする事ができないのです」
 半兵衛は脳裏に“囲い閨”という言葉を思い浮かべた。以前、書物で読んだ、常世姫の寝所となる特殊な座敷の事である。
 四方を黒い格子に囲まれた座敷牢のような部屋。様々な意味で外界から隔たれた常世姫には、血縁者と言えども容易に近づくことは許されなかった。
「そのうちに、織田がに攻めて来て、私は城を出てしまったので……。だから私は兄の顔さえおぼろげにしか覚えていないのです」
 でも、とは口の中で呟くように続けた。
 瞳は遠く、幼き頃を思い浮かべるように、夜空を見上げている。
「一つだけ、兄の思い出があるんです」
「どんな?」
「ある日、朝起きると格子の上に、花が一輪添えてありました。侍女に聞いても、誰も知らないと答えるのですが、それが毎日続くのです。雨の日も、風の日も、嵐の日も――――誰が花を届けてくれるのか知りたくて、夜遅くまで起きていた事もあったのですが、そんな時は私が寝静まるまでその人は来ないのです。そして、私がうとうとと寝入ってしまうと、そっと足音を消して花を置いていくんです」
 の瞳はいつの間にか、碧の光を湛えていた。まるで在りし日の光景をどこかに探すように――――
「ところが……ある日を境にぱったりとそれが途絶えてしまったのです。冬の寒い日で――――朝目が覚めても、花がなかったのです。私はいても経ってもいられなくて、本当はきつく禁じられていたのだけれど、千里眼を使って城内をくまなく調べました。そして、その日が兄の元服の日である事を知ったんです」
 決別のつもりだったのだろうか――――
 元服すればいずれ家督を継ぎ、家当主として常世姫と相対する日が来る。いくら兄とは言えその時は、非情に徹さなければならない。その覚悟を見せるように、彼は妹に背を向けたのだろうか。
「兄の心は分かりません。どんな気持ちで私に花を届けてくれたのかも。でも――――私は嬉しかった」
 半兵衛ははっと息を飲んだ。
 が感情を言葉にした上に、その顔がわずかに笑んでいたからだ。
 この娘はこんなに美しく笑うのだと――――半兵衛は不覚にも見蕩れてしまった。
「さあ、そろそろ陣に戻りましょう」
 話の終わりを告げるようにがぱちりと瞬いた。
 一瞬きの内に瞳の輝きは失われ、の笑みも消えてしまった。
 だが、半兵衛の瞼の裏にはいつまでもの微笑が残り、半兵衛の胸をどきどきと高鳴らせていた――――



end


調べてもあまり情報がありませんでしたが、半兵衛には兄もいたそうな。