舞宵 08
あの一件以来――――は半兵衛を避けるようになった。
半兵衛が現れる場所には、予め千里眼で視て近寄らぬようし、半兵衛がいない時には常に官兵衛の後ろに控え、本陣から索敵や偵察を行う日々となった。
おそらく、半兵衛に近寄らぬよう命を受けていたのだろう。
半兵衛が官兵衛の忠告を聞かないと知っていた官兵衛は、に言い聞かせ先手を打ったのだった。
話せぬ日々が続くほど半兵衛の想いは募ったが、その気持ちをどのように伝えればいいのか半兵衛にはわからなかった。いくら命とは言えに避けられている事実が、思った以上に半兵衛の心を傷つけていた。
そんなある日のことである――――
半兵衛は策を練りながら、本陣の裏の林の中を歩いていた。何か考え事をする時に、うろうろと歩き回るのは半兵衛の癖だった。
ぼんやりと木々を眺めながら歩いていると、小川のせせらぎが聞こえれる木漏れ日の中で、それを見つけた。
木にもたれかかるようにして、目を閉じたの姿がそこにあった。
一瞬、千里眼でこちらを見ているのではと思い、足を止めたが、は目を開かなかった。
ゆっくりと近づくと、わずかに開いた唇から小さく寝息が聞こえた。
眠っている――――。
あの警戒心の強いが無防備な姿を晒している事に驚きつつ、半兵衛は久しぶりに見るの顔をまじまじと見つめた。
たった数日会わなかっただけなのに、まるで数年ぶりの邂逅を果たしたように懐かしい。
連日、千里眼を使い続けたのだろう。体力の消耗を示すように、の顔は青白かった。
官兵衛殿、容赦ないもんな……
絹のような細い髪がさらさらと風に揺れている。
触れてみたいと、正直な彼の心は願望を告げた。
そっと一房手に取り、指を絡ませる。
と――――
「わっ!」
の飛刀を構えた右手が、勢いよく横に凪いだ。
瞬時に半兵衛は身を引いてそれをかわしたが、半兵衛の指に絡めた髪は切れてしまった。
「な……、竹中殿?」
覚醒したの顔は驚きの表情を作っていた。戸惑いを隠せないまま、碧の双眸がかちかちと揺れている。
「落ち着いて、。俺はを起こしに来ただけだよ」
咄嗟に半兵衛は嘘をついた。だが、寝込みを襲われたと勘違いしたは自分の早合点を恥じ、申し訳ございません、と頭を下げて非礼を詫びた。
「その……うっかり寝入ってしまって……、敵襲かと思ったので……」
に「うっかり」など、それこそ珍しい。それだけ今の状況が無理を強いているのだ。無駄な余力を残さぬよう、官兵衛がの能力を酷使させているのだろう。
それでは、と頭を下げて、そそくさと去ろうとするの手を、半兵衛はすれ違い様に掴んだ。
「竹中殿……?」
の顔に戸惑いの表情が浮かぶ。先ほどの一件も相まって、人形の顔を作れていないのだ。
「どうして俺のこと避けるの?」
は大きく目を見開いてから、視線を反らした。
「避けてなど……」
「いるよ。官兵衛殿にそう言われてるんでしょう?」
は応えなかった。だが、その沈黙は答えだ。
普段のならもっと上手く誤魔化していただろう。もしくは開き直って、官兵衛に命じられているとはっきりと告げたはずだ。
だが、人形の顔を作りきれていない今のは、あまりに脆く隙だらけに見えた。
「官兵衛様に……竹中殿と極力、顔を合わせぬようにと言われました」
「どうして?」
「それは……私の目は、人をおかしくさせるのだと官兵衛様は仰いました。先の斬首にあった者達も、そうなのだと」
だから、竹中殿と顔を合わせてはならぬのです。
は淡々と、まるで言い含められた言葉を復唱するように告げた。
「は俺が――――あいつらみたいに、を襲おうとすると思う? 俺、そんな馬鹿に見えるかな?」
いいえ、とはかぶりを振った。
「暗示の類でもかけぬ限り、眼球を通じて人を動かすことなどできません。ましてや知恵者である竹中殿を、一介の軍師見習いである私が、喩え言葉を用いたとしても動かせるはずなどございません」
実際、人を狂わせるのは目ではなく、常世姫という存在そのものだが、はそれを理解していなかった。
官兵衛に言いつけられているが、納得しているわけではないのだろう。
当然だ。お前のせいで人が狂うと言われたところで、何もしていないにどんな咎がある。
喩えそれが事実だとしても――――常世姫が人の心を奪う存在であったとしても、当の本人にはそれは永久に分かるものではないだろう。
「じゃあ、俺と顔を合わせることに、不都合なんてないんじゃないの? 官兵衛殿の言っているのは戯言だよ。と俺が仲良くするのが気に食わないだけなんだ」
そう言って冗談めかしてみたが、は笑わなかった。
それはできません、と機械的に告げる。
「私は官兵衛様の命に背く事はできません。それが如何なる命であったとしても、理由など存在しないのです」
揺ぎ無い絶対の忠義がから官兵衛に向けられている。
だが、半兵衛はその蒙昧にも思える忠心を忌まわしく思った。
理由など存在しない?
それは不自然だ。理由がないなら何故、官兵衛の命に背く事が出来ない。そこには必ず、官兵衛の命を遵守するのと同じ理由があるはずなのだ。
「は官兵衛殿の事も好きじゃないんだね」
はきょとん、と目を丸くした。一瞬、何を言われているのか分からなかったのだ。
「何故、そうなるのです。私は官兵衛様をとても尊敬しています」
「だからどんな命令でも聞くの? それっておかしいよ。官兵衛殿の命令の意味も考えないのに、どうして尊敬しているなんて言えるわけ?」
の碧の瞳が、揺れた。
しばしの沈黙。再び人形の顔に戻ってしまうかと半兵衛は危ぶんだが、の顔には思ってもいない変化が現れた。
透明な雫がぽろりと、碧の光の奥から零れ落ちた。
人形が涙をこぼした瞬間だった――――
「ご、ごめん。俺、泣かすつもりじゃ……」
少女の涙に半兵衛は大いに慌てたが、はそんな言葉も届かないのか、瞬きもせず悲涙をこぼした。
「ごめん……」
涙で濡れた頬に触れると、びくりとの肩が震えた。だが、てっきり拒まれると思ったそれは払い除けられる事もなく、はただ静かに半兵衛の前で泣いた。
end
意外な所を突かれて動揺するヒロイン。
ところでこの人たち、一体どんだけ長い間、いくさをしてるんでしょうね……