月光を浴びた陶器のような白い肌に、真っ赤な鮮血が滴る。ぽたり、ぽたりと少女が手にした短刀から、血の雫が落ちて地面に染み渡る。
常軌を逸したとても残忍な姿をしているというのに、少女の纏った赤さえも、その姿を彩る化粧のように見える。
桜色の唇と煌々と輝く碧の瞳だけが浮きだって、目が離せない。
こんな姿をしているのに――――否、こんな姿だからこそ、半兵衛は少女の事を美しいと感じた。
そして、それと同時に心の奥に沈んだ渇くほどの情欲を、掻き立てられた――――
舞宵 07
明くる日、五つの首級が罪状と共に晒され、兵達はますますに恐れと畏敬を感じるようになった。
兵達が向ける視線を受けながらも、の表情は変わらなかった。その隣の官兵衛もこれが通例でもあるように、無表情を保っている。
ただ独り半兵衛だけが、昨夜の光景に囚われ悶々としていた。
あの晩――――現れた半兵衛と官兵衛に向けられたの第一声は、
「只今、首を落とします」
だった。
意識がある者は逃げようと必死に地面を這いずったが、の飛刀がその行く手を阻んだ。
「逃げないで下さい。手元が狂えば、貴方が苦しい思いをする」
機械的に告げられる言葉が、益々男達の恐怖を募らせる。
は自分を辱めた男達に憤っているのではない。ただ淡々と、それが決まりだからという理由だけで、男達の首を刎ねようというのだ。
せめて憎しみや怒りが見えた方が、まだ彼らは救われただろう。だがはあくまで凍りついた人形の顔で、まるで命じられた使命を一心に果たそうとするかのように、短剣を振りかぶったのだった。
風をも切り裂くほどの鋭い一閃――――
男の首が胴から離れたと思われたが、その刃は半兵衛の放った羅針盤によって遮られていた。
の瞳に不満げな曇りがわずかに生まれた。
「何故、邪魔をされるのです。この者達は軍規を乱しました。よって処断します」
略奪せし者は斬首が常例である。それは信長が定めた厳しい戒律であり、荒くれた兵が敵領土の民や女を狙わないよう秩序を守る、重要な軍規だった。
信長の定めた戒律は戦国乱世の世では特に厳しく、以前進軍途中に女性をからかった兵がその咎だけで、死罪を言い渡された。たったわずかでも秩序を乱す者は、信長の怒りを買い首を落とされるのである。
この軍規の前ではいかなる者も平等であり、たとえ未遂であっても、刑を免れることは出来ない。故には信長の命を忠実に果たそうとしたのだった。
だが、半兵衛の心の内は違った。
「が手を汚す必要なんてないよ」
は不可解そうな表情を一瞬見せた。
こんなものは誰がやっても同じだと思ったためだった。
「罪人は罪状を改めて、しかるべき者に裁かせればいい。がわざわざ手を下す必要なんてない」
だからそんな物騒な物はしまいなよ、と半兵衛はの前に出た。
の握り締めた短刀からは、ぽたりぽたりと絶えず紅い鮮血が滴り落ちていた。
「必要ありません。罪人は逃亡の隙を与えぬよう、その場で裁けと信長様からのご命令です」
「だとしても、それは軍師の仕事じゃない。武士の不始末は武士につけさせればいい」
「それでは他に示しが付きません。軍師の前なら刑の執行が行われぬと、いらぬ思い違いをさせるだけです」
半兵衛は罪を許せと言っているわけではない。ただ、誰でも物事に得手、不得手を持つように、その者の領分というのをわきまえろと言いたいのだ。軍師はいらぬ戦を回避し流血を減らすために働くべきだと、半兵衛は思っている。だからこそ、その軍師が自ら血に染まることを、半兵衛は厭った。
だが、には――――これ以上、下賎な男の血でを穢したくないという半兵衛の想いは通じなかったのだろう。
は頑なだった。
罪は罪、罰は罰と割り切りすぎているからだ。火種はすべて潰すという官兵衛の徹底した物の考え方が、染みついている。
「こんな奴ら……、殺す価値もない」
半兵衛は忌々しげに言い放った。
が憤らない反面、半兵衛は己の内から生まれるどす黒い憎しみが首をもたげるのを感じていた。
それはある種、傲慢な独占欲だったのかもしれない。
は誰のものでもない。だが――――まるで自分の女を穢されたような怒りが、半兵衛の中に沸々と湧き出ていた。
その女人のような柔和な顔からは、誰もその感情に気付くことはなかっただろう。だが、確かに半兵衛は怒りを感じ、憎しみを覚え、そして――――嫉妬していた。
その時――――
ズゥンと轟音を響かせ、鬼の手が虚空より現れ男の頭上に落ちた。悲鳴すらも上げないまま、男は鬼の手で潰され、体内の全てをまるで熟れた野菜が落ちたように四散させた。
官兵衛が無言で妖気球を手にしていた。
「もうよい」
二人の会話を遮るように、官兵衛が冷たく言い放つ。
訝る二人を振り向かぬまま、
「私が始末をつける。卿らは帰れ」
と、短く告げた。
その後、官兵衛がどのような形で処断を下したのかはわからない。ただ、醜くひしゃげた顔がいくつかあるのを見るに、意識があったものはあの鬼の手で潰された後、首を斬られたのだと半兵衛は推測した。
「こんな事が、今まで何度かあったの?」
五つの首を眺めた後、が近くにいないのを確認してから、去り際の官兵衛の背中に半兵衛は投げかけた。
肩越しに振り返った官兵衛の顔は、今にも下らぬ、と言い出しげだった。
「それを聞いてどうする?」
「どうするって――――官兵衛殿は何にも感じないの? はずっとこんな風に、」
言いかけて、半兵衛は唇を噛むようにして口を噤んだ。
詰まらぬ情欲を当てられては、その度に男達の首を落として来たというのか。
いくらそれが軍規に悖る行為と言えども、何も感じずに味方の兵を殺してきたのか。
「あれに人を殺させるのがそんなにも気に食わぬのか? ここは戦場だが?」
「そうじゃないっ。そうじゃないけど……」
何故、そんな悪夢のような事が繰り返される。それともあまりに頻繁に起こりすぎて、そんな事は当たり前になってしまったのか。
官兵衛は呆れたようなため息を付くと、きびすを返し半兵衛と向き合った。
「毒が回ったか、半兵衛」
「毒って! そんなんじゃないよ。ただ、俺は……」
否定しつつも、半兵衛は返す言葉を探しあぐねていた。
己がに向ける恋慕は、あの男達とは違う。そんな薄汚れた欲望ではない。
だが、昨日見せたの顔が、血に濡れた四肢が、視界の奥にちらついて消えなかった。
あんな姿まで美しいと感じてしまったのは、成程、確かに毒が回ったのかもしれない。半兵衛がに抱いていた好意は、確かに昨晩の一件で奇妙に歪んでしまったのだ。
「私が毒婦と言った意味を理解したか、半兵衛? あれは無意識に男を狂わせる。本人の意思など関係なく人を唆す。私とて、あれにむざむざ兵を狂わされるのには困っている」
それが代えの利く兵ではなく、稀代の軍師となれば尚更だ――――
「だったら……誰もに変な気を起こさないようにさせればいい」
「故に私の手元に置いた。だが、不埒者どもは私の目を盗んで、あれに近寄る」
その不埒者の中に自分も含まれている気がして、半兵衛は強く手のひらを握り締めた。
「たいていは自分ならどうにか出来るとでも思っているのであろうな。まだ勝手に恋慕を募らせるだけならかわいいものだが……、変に手を出すから噛み付かれる事になる」
それは忠告のようにも聞こえた。
自分がを襲う?
そんな馬鹿げた事はありえないと一昨日の半兵衛なら思っただろう。
だが、あの月光に晒された姿を見てしまった今、自分がそうならないという確証はなかった。
あの時、確かに半兵衛は――――鬼のように美しく、夜桜のように儚い姿に心を奪われた。
夢と現の間をさ迷う身体を引き寄せ、現実のものに、自分のものにしたいと、渇くような欲望を感じたのだ。
「常世姫というのは、人の姿をした魔性だ。毒が回った今――――以後、近づかぬ方が卿のためであろう」
「……」
「卿にはまだ死なれては困る。あれにもな」
それだけを言い捨てて、官兵衛は背を向けると去っていった。
半兵衛は地面を睨み付けたまま、唇を強くかみ締めた。
end
ヒロインの冷徹な面に戸惑う半兵衛。
ヒロインが冷たい分、官兵衛が優しい気がする。