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舞宵 03





 明くる日、は何事もなかったような顔で、半兵衛の前に現れた。
 あの後、幾ら始末したとか、どういう輩が忍び込んだとか一切口にすることはなかった。する必要がないと思っているのだ。
 こちらの本陣まで忍び込んだということは、はあらかじめその存在を知っており、逆に誘い込んだという事になる。こちらの兵を差し向けるでもなく、味方を呼ぶのでもなく、むしろ誰の邪魔にもならぬところで粛々と始末した。
 己だけで十分だと――――判断した故である。
 半兵衛はその怜悧な頭を末恐ろしく思うと共に、嬉しく感じた。
 索敵を主な仕事としているため軍師というより忍びに近いと思っていたが、これはまさしく軍師の脳だ。自分と同じ――――幾重にも算段を重ねた油断ならない娘である。
 半兵衛は益々、この娘の事を知りたいと思った。
 官兵衛やその側近の者に聞けば多少の情報は引き出せるかもしれないが、半兵衛はの口から彼女のことを聞きたいと思った。
 正直に言えば、の心に近づきたいと、思ったためである。
 昼過ぎに半兵衛はを連れて偵察に出た。の千里眼があれば偵察など無用だと官兵衛は主張したが、半兵衛が自分の目で確かめたいと無理を言ってを伴ったのだった。
「それで、俺の前の上司の龍輿様っていうのがさぁ……」
 沈黙が苦手な半兵衛はあれやこれやと話題を出しては話を続けるが、はただ黙って聞き入っているだけだった。こうして自分の話をすれば、も話に乗りやすいと考えたのだが、その目論見は一切外れた。
 表情はない。あの人形のような顔で、時たま思い出したように瞬きを繰り返す。
、俺の話、つまんない?」
 尋ねると、がいえ……、とかぶりを振った。
 否定するくせに、その表情は一切変わらない。
 まるでそうやって無視をされているようで、半兵衛は苛立った。
「そのわりには、さっきから同じ顔をしているよ」
「そうですか……?」
「自覚ないの?」
 半兵衛の問いに、はわずかに眉根を寄せ不可解そうな表情を作った。
 その反応に半兵衛は呆れ、怒る気も失せて深々とため息をついた。
「あーあ。やっぱりひいなかぁ」
「ひいな?」
 怪訝そうな顔を見せるに、半兵衛は知らないの? と驚いて見せた。
 織田の兵ならば誰も彼もが噂している。
 あれはまさしくひいな人形じゃ。綺麗な顔じゃが、心がない、と。
「そうなのですか。兵達とは軍略以外で言葉を交わさないので……」
 の呟きに、半兵衛はおや、と片眉を上げた。
 表情からはうかがえないが、これでも恥じているようだった。ひいなと陰口を叩かれていることよりも、自分の情報を掴み損ねていた事を軍師失格とでも思っている風だ。
 もっとも兵が口を利けないのも無理はないだろう。
 この美貌に人形の顔をしているとなれば、おいそれと近寄れるものではない。
 が、逆にそれさえ取ってしまえば、は普通の娘だと考えているところが、半兵衛の他とは違う所だった。
 だからこそ声をかけ、こうして偵察に伴おうと思ったのだ。
 もっとも、半兵衛の想像以上に、本物は手ごわかったわけだが――――
「今度はの話をしてよ」
 馬を走らせたまま、半兵衛がの顔を振り返った。
 無表情はそのままだが、瞳にどこか暗い影が落ちる。
「私の事など……お話することはありません」
「そんなこと言わずにさ。官兵衛殿と会った時の話、ちゃんと聞いてないよ」
 はしばし沈黙していたが、やがて観念したようにぽつりぽつりと語り始めた。
 が幼少の頃、織田にの家が攻められたこと。降伏の条件として、当代の常世姫であるが人身御供に出されたこと。官兵衛の機転で命を救われたこと。秀吉に引き取られ、子飼い達と共に育てられたこと。
 語れば語るほどに悲惨な生い立ちだが、という人物は決して独りだけで生きていたわけではないのだと、思い知る。
 官兵衛をはじめ、秀吉、ねね、清正、三成、正則――――多くの者が彼女を囲んでいるのだ。
 なのに、なぜこの娘はこんな顔をしているのだろう。半兵衛にはそれが不可解だった。
 の語り口調は淡々としていて、まるで他人の物語を語るように客観的だった。
 その時どう思ったとかどう感じたとか、個人の感情を一切はさまない、記憶という名の記録。それが脳に詰まっているのだ。
「ねえ、――――あまり自分の事が好きではないの?」
 それは何気なく尋ねた言葉だったが、の人形の顔が一瞬外れた。
 驚きと戸惑いを混ぜ合わせたような顔で、見開いた瞳が揺れている。
?」
「わかりま……せん」
 小さな呟きがかろうじて半兵衛の耳に届いたかと思うと、次の瞬間、の双眸に碧の輝きが灯っていた。
 きっと前を見据え、懐の短刀をすらりと抜く。
「前方、敵兵です」
 そして小さな身体を構え、敵兵に進んでいく姿は、再び人形のそれに戻っていた。



end


舞台が戦場に戻ってきました。
調略を仕掛けるも、なかなか手ごわいヒロイン。