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 秀吉様の軍師となるならば、一つ守ってもらわねばならぬ事がある――――
 稲葉山城を去り秀吉の麾下に加わった半兵衛に、官兵衛が告げた言葉だった。
「卿は口は堅いか」
「ま、軽かったら軍師は務まんないよね」
 茶化す半兵衛に官兵衛はそうか、とだけ答えた。
「これから卿に私の部下を引き合わせる。その者はある特殊な能力を有しているが、その事は他言無用だ」
「秀吉様にも?」
 半兵衛の問いに、官兵衛は無表情のまま無論だ、と答えた。
 主にさえ語れぬ秘密とは一体何なのだろうと、半兵衛は好奇心で胸をわくわくさせながら、官兵衛の後ろに続いた。
 通された部屋には、兵書やら軍略書が雑多と詰まれていた。その中にこちらに背を向けた、小柄な背中がある。

 声をかけると、少女がゆっくりとこちらを向いた。
 長い髪を揺らし振り返ったその白いかんばせには、幻想を注ぎ込んだような碧の輝きを放つ双眸が煌いていた――――





舞宵 02





「この娘はとうに死んだ事になっている。故に存在してはならぬ者だ」
 そう官兵衛から紹介を受けた少女は、始終凍ったような顔を半兵衛と対峙させていた。
 愛想笑いさえしない表情のない顔を、精巧な人形のようだと半兵衛は思った。
 娘は家の姫だった。
 と言えば美濃の斉藤家に仕える一族であり、かつて斉藤龍興の臣であった半兵衛とは同じ主を戴く仲。いわば同僚である。
 もっとも半兵衛は政務を省みず酒色に耽る龍興に嫌気が差し、稲葉山城を乗っ取った挙句、家中の事は弟の久作に任せ、さっさと隠棲を決め込んでしまったのだが、その頃にはすでには「死んだ事」になっていた。
 かつて美濃攻めを繰り返していた織田が、を襲った。城は陥落寸前まで追い込まれたが、後一歩という所で織田は兵を引いたのである。しかも、織田への従属を迫ったわけでもなく、はその後も斉藤に仕えた。
 いかなる約定が交わされたのか当時の半兵衛は知る由もなかったのだが、その時差し出されたのが、十七代目の常世姫であるの命だったのだ。
 の家には何代かに一度、千里眼を宿した女児が生まれる。それは常世姫と名づけられ、密かに城の中で育てられる。暗い座敷牢に存在を隠されたまま、常世姫はの命運を見つめながら一生を終える。まさしくその両眼で一族に降りかかる災禍を予見するのだ。    
 そして人知れず果てる。
 戒名も葬儀もなく、常世姫は密やかに葬られる。墓標も立たない、常世姫のための同じ墓に眠る。
 そして、座敷牢が空になると、まるでそれを待つかのように次の常世姫が生まれるのである。それを何度も繰り返すのだ。
 そんな悲しき姫の御伽噺が美濃には古くから伝わっていた。半兵衛も幼き時分に夜語りとして何度も聞いたが、まさかそれが実在するなどとは夢にも思わなかった。
 だが、を攻めた織田は、その存在を知っていたのだ。 
 の家を支えるのは、常世姫の目による所が大きいと睨んだ織田は、乱世の脅威を潰すべく、常世姫の首を求めたのである。そして、の父母はの家を守るためにそれに応じた。
 そして常世姫は死んだ――――否、死んだ事になったのである。
「泰平の世のために生きよ」
 身代わりに斬った侍女の血を剣先から滴らせ、官兵衛はにそう告げた。
 今までの家のために命を捧げよと言われてきたにとって、その言葉は衝撃的だった。
 官兵衛は身代わりの首を信長へ届けさせると、兵を引き、を孤児と偽って秀吉夫婦に預けた。名を持たなかったは官兵衛より「」の名を授かり、今日まで軍師見習いとして育ってきたのである。
 それがその日、半兵衛に語られた秘密だった――――
「どうして俺にそんな事を教えてくれるの?」
 信長を謀り、秀吉を騙した重罪を、なぜ新参の半兵衛に語ったのか半兵衛は真意を測りかねていた。
 半兵衛を信頼して、というわけではないだろう。そこまで互いに心を許しあったつもりはない。
 では、何かとすれば互いの利が合致したという事実が、そこにあるためだ。
「あれの目は戦で役に立つ。賢いやり方とやらを好む卿には、有用な力であろう?」
 敵の布陣、計略、天候までも知ることができれば、如何なる策謀も思いのままである。それは余計な戦闘を回避し無駄な血を流さない、半兵衛の戦術と確かに合致している。
「力を使わせる代わりに黙ってろってわけ」
 流石の半兵衛も重大な秘密に冷や汗をかきながら、ぺろりと唇の端を舌先で湿らせた。その存在を黙認すれば、事が露見した時に半兵衛も同じ咎を受ける事になる。
 だが、の能力はその危険を被っても余りある魅力を、半兵衛に投げかけていた。
 まるで碁盤を神の視点から覗くように、手に取るように相手の動きが分かる。それは軍師であるならば、一度は昇ってみたい知の極みであろう。
「約束は守るよ。一緒に笑って寝て暮らせる、泰平の世を目指そう」
 半兵衛はに微笑みかけると、女人のような白い手を差し出した。
 はしばらくの沈黙の後、ほっそりとした手をそれに合わせた。
 石膏のようにひんやりとした冷たい体温が、指先から半兵衛に伝わった。



end


説明が多くて恐縮ですが、当家のお決まり設定について。
基本は『常世の瞳』と同じです。
違うのは半兵衛との出会い方と、ヒロインの性格が固いことくらい。