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常世の瞳 18





 曖昧な輪郭は次第に形を象り、ぼやけた色彩は鮮やかな緋色となって視界に広がった。
「ここ……は……?」
 はぼんやりとした意識のまま、視線を天井に放った。
 赤い――――
 天井も壁も、赤一色で塗りつくされた異質な空間。
 ゆっくりと身体を起こすと、ずきりと後頭部が痛んだ。手をやると、何重にも包帯が巻かれている。
「わたし……」
 ゆっくりと記憶を手繰り寄せる。
 官兵衛から下された命。半兵衛と共にあじとに乗り込み、そこで――――
「よう、お目覚めかい?」
 がらりと襖が開いたかと思うと、着流し姿の男が姿を現した。
 男の纏った堅気ではない空気に、ならず者の一味だと悟る。へらへらと軽い笑みを顔に貼り付けたまま、の前にしゃがみこむと、覗きこむ様にしての顔を見つめた。
「ふう……ん。なるほど、こいつは上玉だぁ。これなら逃がした娘の分も元が取れる、か」
「……何のこと?」
「何のこと、ねぇ。娘がどこに連れて行かれるのか、あんたの主人は教えちゃくれなかったのかねぇ」
 男の言葉にははっと息を飲んだ。
 攫われた娘達は花街に売られていると聞いた。という事は、は娘達の代わりにそこに連れて来られたのだ。この赤で敷き詰められた部屋も、遊郭の一室に違いない。
「わかったかい? あんたには邪魔された分、じゅーぶん働いてもらわないとね。なぁに、あんたの器量なら問題ない。すぐに馴染みの客が付くさ」
 だが、その前に――――
 男はぽつりと呟いた。
 すっと目を細めたと思うと、の髪を無理やりに引っ張り上げた。
「痛……っ!」
「まずは、あんたの主人を吐いてもらわなきゃなぁ」
 は痛みに顔を歪ませた。が、男は依然と笑みを浮かべたまま、の髪をぐいぐいと引っ張り上げる。
「さっさと吐いちまった方が楽だぜぇ? 痛いのはあんただって嫌だろ」
 なあ? と顔を上向かせ、男がの頬に舌を這わせた。
 爬虫類に舐められたような悪寒には身震いすると、鋭い瞳で威嚇する。
「誰がお前達なんかに……!」
「あっそう」
 男は瞳を細めると、の頬を力いっぱい平手打ちで打った。パァンと渇いた音が響き、の体が床に崩れ落ちる。
 男は立ち上がると、背後に控えた部下に声をかけた。
「おい。自分の状況ってのを分からせてやれ。壊さない程度にな」
 へい、と返事を返し、男と入れ替わりになってがたいの良い二人組みが、の前に立った。
 好色な視線とげひた笑みに、思わず身震いする。
 武器を構えようと袖の中を探ったが、すでに奪われた後なのか袖の中は空だった。
 壁際に追い詰められたは運を天に任せ襖の向こうへ向って駆けたが、男の丸い腕が背後からの身体に絡みついた。敷布の上に引き倒され、薄ら笑いを浮かべた男が後ろから圧し掛かってくる。
「はい、残念」
 襖の側で着流しの男が楽しげに告げた。
 無遠慮に身体をまさぐる男達の指に、がついに覚悟を決めようとしたその時――――
「おやめ」
 凛とした声が響いて、男達の手が止まった。
「商品に傷つけるなんて、馬鹿かい。お前達」
 赤地に黒い花の小袖を来た女が、襖の向こうから姿を現した。
 着流しの男は忌々しそうに女を見やると、
「なんですかい、姐さん」
 と声をかけた。
「俺たちゃ、鼠の親玉を割ろうってしてただけですぜ。そんな風に咎められる筋合いはねぇや」
「そんな風に言って、あんたこの前も商品を殺しちまったじゃないか。それにその子は吐きゃしないよ。無駄な事だって、顔見りゃわかるじゃないか」
 男はちっと舌打を打つと、手下に向って顎をしゃくって見せた。それを合図に男達が離れ、はほっと安堵の吐息を漏らす。
「この事は、俺から頭に伝えておきますぜ」
 去り際にそう告げると、男はどかどかと足を踏み鳴らしながら去っていった。
 女は男達の背中に向ってふんと鼻を鳴らすと、呆けた顔をしているの前に、膝を折って座った。
「大丈夫かい、あんた。起きたばっかりで災難だったね」
「あなたは……」
 女の顔には見覚えがあった。あの時、山道でを後ろから昏倒させた娘だ。
 化粧や着物は派手だが、年はのそれと対して変わらない。蓮っ葉な物言いと、その派手な姿を改めれば、五歳は若く見えるだろうと思えた。
「礼は言わないから」
 が強い口調で告げると、女は一瞬呆けた顔を見せ、それから腹を抱えて笑い出した。
「はははは、何を言うと思えば!」
「な、何がおかしいの!?」
「いやね、ずいぶん世間知らずなお嬢ちゃんがかかったもんだと思ってね。別に礼なんか要らないよ。あんたには悪い事をしたし、これからも悪い事をするんだから」
「悪い事……?」
「話聞いてりゃ、分かるだろう? ここは遊郭だ。女がすることと言えば、男に突かれて喘ぐだけさね」
 女の直接的な物言いにはかっと顔を赤らめた。その反応が面白かったのか、女は再び腹を抱えて笑い出す。
「まあでも、ここはこれでも格式の高い店なんだ。傷物のあんたを、そのまま店に出すわけにゃいかないよ」
「じゃあ……」
「しばらくは下働きでもしてもらおうかね。それで遊郭の仕来りでも学ぶといい」
 しばらくは客の相手をしなくていいのだと、は安堵の吐息を漏らした。その間に隙を見つけてここから逃げ出そうとは考えたが、ああ、ただね――――と、女が付け足すように呟き、
「逃げだそうだなんて思わないことさ。あんた腕っぷしが強いみたいだけど、ここじゃあ逃亡は重罪なんだよ。もしあんたが逃げたりしたら……一日に一人ずつ攫った娘を殺すから」
 覚えておいで、と女は言い残すと、手をひらひらと振って去っていった。




end


ヒロイン、遊郭に連れ去られてしまいました。