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 視界の先で標的の足が止まった。
 一つの大きな塊だった軍が、十数人の小隊に別れ方々へ散る。
 これを一つずつ撃破するのは骨が折れそうだが、官兵衛の命をまっとうすることこそが今のにとって全てだった。
 やっと軍を指揮させてもらえるほどになったのだ……。官兵衛や半兵衛の期待を裏切る事はしたくなかった。
 ぱちり、と目を瞬くと、軽い眩暈が襲った。
 朝から千里眼を使い続けたせいで、体力の消耗が激しい。戦闘が長引けば、不利になるのはのほうだ。まだ勝機が自分にあるうちに、敵の総力を削がなければならない。
 は自軍の兵を集めると、追撃を命じた。敵の位置は的確に抑えている。奇襲をかければ間違いなくこちらが有利だ。
 大丈夫……
 は自分に言い聞かせるように、両手を強く握り締めた。




常世の瞳 11





 そろそろか……
 半兵衛は眼前に広がる戦模様を眺め、勝利を確信した。
 戦力は秀吉軍が劣勢だったが、半兵衛の策で敵の主力はほぼ抑えられている。の予知した風雨で川が氾濫し、遊撃を狙っていた騎馬隊が上手く働かなかったためでもある。見せかけの撤退で追撃したこちらの兵を伏兵と共に叩く算段だったのだろうが、主力の退路が断たれている今、まさに袋のねずみだ。渓谷で待ち構えている伏兵たちは策が失敗したことに気づき、今頃慌てふためいている事だろう。
 このまま攻めれば主力はやがて潰れる。自分の仕事はこれで十分だろう。
「ねぇ、後詰めは任せちゃっていいよねー?」
 と、副将に任を半ば押し付けて、半兵衛は馬を走らせた。
 目指すは山中で交戦しているの軍。
 本陣が敵に攻められたという報せは聞かない。という事は、の軍が未然にそれを防いだのだろう。
 だが、が無事なのかどうかは別だ。如何に敵の動きが見えているからと言って、一方的に攻め手になる事などあり得ない。反撃を受けたら、あのか細い体は容易く折れてしまうのではないか。
 遠くから響く喚声に、半兵衛は馬の腹を思い切り蹴り、先を急いだ。
 木がまばらになった開けた場所で、の軍と敵部隊が乱戦を繰り広げている。
 数ではの軍が優勢だったが、兵たちは長い山中の移動と続く戦闘に、疲弊が見え始めていた。その上、敵は身軽な忍びであるから、なかなか決定的な一撃を与えられずにいる。
 はどこに……
 半兵衛が目を凝らすと、混乱の中、小柄な少女が敵兵数人を相手に奮戦している姿があった。
 助勢に向かおうと半兵衛は馬を走らせたが――――だが、それは無用な気遣いだった。
 まるで水が石を避けて流れるような滑らかな動きで、敵の攻撃をかわし、手にした短刀を敵の身体にのめりこませる。
 糸が切れた操り人形のように、一人一人と敵兵が崩れ落ちた。まるでどこに人形を操る糸があるのか見えているように、一閃で敵の命を奪い取る。その動きに一切の無駄はなく、すべての攻撃が的確に急所を突いていた。
 だが、攻勢にかかる反面、守りが弱い。敵の攻撃を掻い潜りながらも、振りかざされた刃は容赦なくを襲った。一撃でしとめられなければ、間違いなく深手を負っているだろうそれは、あまりに無防備で危険な戦い方だ。
 攻勢を保つ以上は負けない。その絶対の自信と一切の躊躇がない状態でなければ、そんな捨て身の法などとれるはずがなかった。それを実現させているのが、あの煌々と輝く碧眼だったのだ。
 は感情がごっそり抜け落ちたような人形の顔で、的確に敵を仕留めていく。
 青白い白面に目だけが妙に爛々と輝いている。そのくせ色はぞっとするほと冷めていて、生と死のぎりぎりの境を冷静に見つめていた。
 嗚呼、人形が人形を壊している――――
 半兵衛はぼんやりとそう思った。




 そして、交戦は軍の勝利で終結した。
 しとしとと降り続ける雨の中、はまるで己も糸が切れてしまったようにじっと立ち尽くしていた。
 味方の歓声も聞こえないかのように、呆けたような表情で灰色の空を見上げている。

 声をかけると、雨に濡れた白面がゆっくりとこちらを向いた。
 鳶色の瞳が驚いたように揺れ、それからまるで秘め事を見つかったかのように、恥かしそうに苦笑した。
「私、ちゃんと戦えたでしょ」
 と力なく笑う。
 半兵衛はそっとの頬に手を添えた。
「傷、出来てる。顔に傷なんて作ったら、おねね様に怒られちゃうよ」
 えっ、と今頃頬に傷があることに気付いたのか、はごしごしと手の甲で頬をぬぐった。
 戦装束はどこもかしこも返り血に濡れ、ところどころ斬りつけられ露出した肌に赤い刀傷が残る。刀を持たない方の腕はだらりと下がり、指先からぽつぽつと鮮血が滴り落ちていた。
 腕を失ったわけでも、致命傷を受けたわけでもない。だが、もともと身体の線が細い分だけ、それだけで妙に痛ましく見えた。まさに満身創痍。己の命を削って戦っている。
 こんな戦いは、正しくない――――
「ねえ、はどうして戦うの?」
 半兵衛の突然の問いに、はなぜそんな事を聞かれるのかわからない、という顔をした。
 そして、一拍間をおいてからにこりと微笑み、
「泰平の世のためです。そのためなら私の命など、惜しくない」
 と疑いを知らないような純粋な目で答えた。







「俺はやっぱり反対だから」
 城へと戻るその帰途で、官兵衛と馬を並べた半兵衛がおもむろに口を開いた。
「あんなの全然賢いやり方じゃないし。はやっぱり戦わないほうがいいと思う」
 と憤然とする。
「それで本人に正直に伝え反感を買ったのか? 卿は賢いやり方とやらを好むと思っていたが」
 官兵衛の問いに半兵衛はぐっと言葉を詰まらせる。
 官兵衛から見える逆側の頬に紅葉形の手の跡がくっきりと残っていた。
 あまりにも純粋に『泰平の世のため』と答えたのが悔しくて、思わずかっとなってしまったのは事実。その『泰平の世のため』に、命を削ってどうする。それでもし自分が死に際に立たされたとしても、潔く死を受け入れると言うのか。
 そんなのは間違っている。全然、賢いやり方なんかじゃない。
 そう思って、思い切り力を込めての事を否定してしまった……
 そして、の戦い方がいかに効率が悪くまた戦闘に向かないかをつらつらと並べ挙げた所で、涙ぐんだに『半兵衛様の馬鹿っ!』とやられたのだ。
 任務を果たし褒められるのかと思いきや、全力での駄目出しをくらったのだから、にとっても衝撃だったに違いない。
 はすっかり官兵衛の泰平の世に心酔してしまっており、それはいっそ信仰と言っても良かった。純粋ゆえに危険。見えているようで、まったく先の見えない盲目。
 だからこそ、そんな危ない事は改めさせたかったのだが――――の満身創痍の姿を見て、半兵衛も焦ってしまっていた。いくら正論を重ねたところで、の信仰が揺らぐはずなどなく、むしろ傷つけてしまうことなど、分かっていたのだが――――
「これは長期戦かな」
 半兵衛はうーんと大きく伸びをした。
「まだやるのか」
 官兵衛が呆れたような声を発する。
「やるよ。こんな間違ったやり方、変えていかなくちゃね」
 一度で聞かないのなら、何度でも同じ事を繰り返すだけだ。
 そう。あんな痛みを痛みとも感じないような、無感動な戦など、止めさせなければならない。
「だからそれまで俺が守ってあげるよ。が俺の知らないところで、勝手に怪我なんてしないようにね」
 盾を持たないなら、自分がその盾となろう。
 百本の槍も、雨のような弓矢も、きっと守ってみせるから。
「まずは機嫌を直してもらわなくちゃね」
 さて、どんな策での機嫌を取ろうか――――
 まるで軍略を考える時のような明るい声で、半兵衛は笑った。




end


『常世の瞳』ひとまずこれにて第一部完です!
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。