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 目を細め、静かな心で彼方を見つめる。
 山の向こう。街の向こう。森の向こう。
 まるで駆けるように視界が加速する。
 早馬よりも、鳥よりも、風よりも早く。





常世の瞳 10





 山の彼方に行軍する大軍の姿が見えた。率いるのは白馬に乗った甲冑の将。その数、およそ二千といったところだろう。
 視界を東に向けると、土煙をあげながら騎馬隊が移動している。
 さらに東の森に目をやると、木々の合間を駆け抜ける忍びの姿が見えた。斥候にしては数が多い。一部隊としてこちらの要を突くつもりだ。
「子(ね)の方角に敵主力、数二千です。艮(うしとら)より騎馬隊が川辺を沿って移動。支流に沿い二手に分かれて進軍。甲(きのえ)に忍び部隊、山中を迂回しこちらの本陣に向かっています」
 の報告にあわせ、官兵衛が地図の上に凸の形の模型を配した。自軍が青、敵軍が赤に分けられた模型は、今回の戦の布陣を意味している。
 と官兵衛はその最も後ろに配置された模型の位置にいる。秀吉のいる本陣。天幕で隔たれたこの空間は、さしずめ作戦司令室といったところだ。
 ひと時の平和な日常もつかの間、秀吉のもとに信長より出陣の命が下ったのはちょうど数日前のこと。隣国との境界で続く小競り合いに、終止符を打てとの厳命だった。
 信長の命を受けた秀吉が主力として出陣し、その配下である将たちがこぞって参戦するなか、軍師として伴った両兵衛の傍らには、常世の瞳を見開くの姿があった。
「伏兵を潜ませている気配はあるか」
 官兵衛の声に応じるように、は目をわずかに見開いた。両目に宿る碧色の光が一層輝きを増す。
「はい……。渓谷の先に伏兵を二百ずつ。すべて歩兵です」
 地図の上に二つの凸が加えられる。
 目を閉じかけて、はふと天を仰ぐ。空は青く透き通っている。が、上空は風が強い。
「官兵衛様……、雨が降ります。北東の空に黒雲が……あと数刻で風雨が訪れます」
 官兵衛はふむと呻り、地図に筆を走らせた。
 北東から吹きつける風を渓谷の上に書き足す。南から攻めるこちらにとっては向い風だ。
「以上か?」
 問うと、はい、とは短く答えた。
 ゆっくりと瞼を下ろす。ぱちり、とひと瞬きすると、双眸に宿っていた碧の輝きは失われていた。
 間近で二人のやり取りをみていた半兵衛は、おおと感嘆の声を漏らした。
「すっごいなぁ、本当に視えるんだ」
 との目を覗き込むように顔を寄せる。顔を至近距離に寄せられて、は落ち着かなげにきょときょとと目を泳がせた。
 普段は鳶色をした瞳が、色素が抜けていくように碧に変わる様子は、石が美しい宝石に変化するのを見ているようだった。まるで翡翠をはめ込んだような輝きに、思わず見蕩れてしまったほどだ。
がいれば百人力だよ! うん、絶対負けない!」
 と、両手を挙げて褒める半兵衛に、官兵衛がいつもの淡々とした口調で口を挟む。
「褒めるほどのものではない。敵の陣容が見えていようと、防げなければ無用の長物だ」
「官兵衛殿は素直じゃないな〜。安心してよ。俺の切れまくった軍略で、絶対勝つから!」
 だからど〜んと頼ってよ! と半兵衛は己の胸を叩いた。
 いささか人を不安にさせるような物言いだが……、半兵衛ならば問題はあるまい。なにせ「今孔明」と言わしめる名軍師なのだ。敵戦力が優勢といえど、遅れをとることはあるまい。
「では、主力の相手は卿に任せることにしよう。我らは別働隊を叩く」
 官兵衛は本陣に配された青の凸を手にすると、山中の忍び部隊の前にぱちりと置いた。一回り小さいそれはの部隊だった。
「お前には忍びの殲滅を任せる。一人たりとも本陣に入れるな」
「はい! 必ずやご命令通りに」
 は一礼し、愛馬の元へと向かった。
 知れず足早になる。官兵衛に軍の指揮を任された喜びが、の足を浮き足立たせていた。






「ねえ、官兵衛殿。やっぱりにも戦わせるの?」
 が十分に離れたのを見計らってから、半兵衛は不満げに口を開いた。
 の能力は半兵衛も十分認めている。常人離れした力に加え、その分析力は軍師として申し分ない。まだ荒削りなところも多く、考え方が兵書の用法に頼りすぎているところもあるが、実践を重ねればさぞや名高い軍師になるだろう。
 が、それは軍師としての才であって、決して武将としてのそれではない。将としての能力にはいささか不安が残るのも事実だった。
「稲葉山城の時も思ったけど、は白兵戦に向かないよ。女の子だし、どちらかというと非力な方でしょ? 力で抑え込まれたら勝ち目がないよ」
 刃を喉元につきつけた時の、上気したあの顔が脳裏にちらついた。強がってはいたが、力では勝ち目などなかったはずだ。半兵衛が刃を引いていれば、容易くその命は散っていただろう。
 なにより、の姿は戦場にそぐわない。いくら武装し、武器を携えていたとしても、あの人の心をざわめかせる危うげな色香を隠せるものではないのだ。もし敵に捕まりでもしたら……戦場で捕縛された女の末路は無残だ。
「本人には言わぬことだな。烈火のごとく激昂する」
「でもさぁ、怪我したら元も子もないじゃん。俺、おねね様に怒られちゃうよ」
 肋骨にひびが入っただけであの騒ぎだったのだ。もし顔に傷でもつけて帰ったら、心配性のねねは泣いてしまうかもしれない。
「戦に出る以上、傷を負うのは仕方あるまい。それに……、膂力こそないが腕はそれなりに立つ。案ずるな」
 本当に? と半兵衛は疑わしげな視線を送った。
「私が使えぬ者に軍を任せるとでも?」
 それは……ないだろう。官兵衛にかぎって身内びいきをするはずなどない。には官兵衛を納得させるだけの能力が備わっているのだ。
 だが、どうしてもを戦わせるのには抵抗を感じた。半兵衛と戦った時も、城下で間者と刃を交えた時も、は傷を負っても1人で果敢に立ち向かおうとした。良く言えば勇猛、悪く言えば無謀。己を身を省みないそのひたむきさが、いつか命に取りになるのではないかと心配なのだ。
、大丈夫かなぁ……」
 半兵衛は不安げにの向かった先を見やった。
 



end


二千人の軍が多いのか少ないのかよくわからない……
戦関連の情報は適当ですので、ご容赦を!