常世の瞳 09
「首と引き換えに、兵を退けと?」
官兵衛の問いに、娘はこくりと頷いた。
「それほどの価値があるというのか?」
初めて娘の顔が曇った。娘はわずかにうな垂れて、目を細めた。
「ないかもしれません…。ですが、これ以上、お渡しできるものはないのです」
兵の命でもなく、城主の首でもなく、差し出せるのは小娘の細首だと言う。これがでなければ、なにを馬鹿げたことをと一笑される話だったろう。
だが、相手は美濃の。千里眼を持つ常世姫が、幾夜にも渡り生まれる血筋である。
官兵衛は伝説など信じていなかったが、こうして常世姫当人が訪ねに来てしまった以上、考えを改めなければなるまい。常人ではない何か不思議なものとして片付けなければ、娘の妖しく光る両目は説明がつかない。
「信長公がを滅ぼせと仰られたのは、この目を潰すためでしょう。ならば、私の命と共にこの目を献上いたします」
そう言って、娘は再び頭を下げた。
白いうなじが闇夜にぼんやりと浮かび上がる。刀を充てれば、そのままぽろりと落ちてしまいそうな首だ。
こんなものが、城一つの対価となるのか。
官兵衛は口元をわずかに緩ませた。
姫路城のおさかべ姫や猪苗代城の亀姫でもあるまいに、この娘は城に憑く魔かあやかしか。
「よかろう」
官兵衛は側近の持つ刀を手に取り、鞘をその場に投げ捨てた。鏡のような刀身が、その姿を現す。
官兵衛は娘のうなじに、その刃を充てた。
隣に座する侍女の身体が震えていたが、対して娘の身体は石のように微動だにしない。
「父母に言付けはあるか」
それは死に往く者への慈悲ではなかった。ただ、この人形のような娘が、死に際に何と答えるのか聞いてみたいだけだった。
「ありません」
と、ただ一言。
己を生贄に差し出した者たちへ、恨み言すら言わぬという気概は果たして信仰なのか、意地なのか。
官兵衛はわかった、と短く返し、刀をゆっくりと振りかぶった。
群雲から漏れ出でる月光が、きらりと刃を照らす。
「乱世の火種よ、潰えよ」
一瞬のうちに刀身が振り降ろされると、どう、と女の身体が前のめりに倒れた。
切り口から勢いよく噴出した鮮血が、官兵衛の頬に飛沫を飛ばした。
官兵衛は無造作に着物の袖でそれをぬぐいあげると、
「生きよ。生きてその目を、泰平のため役立てよ」
死んだ女の横で、娘は碧緑の瞳を大きく見開いていた。
明くる日、両眼を潰された女の首が、信長へと献上された。
聞いた話によると、信長は女の首を見て、
「無価値」
と、ただ答えたのだと言う。
戦は嘘のように終わり、一夜のうちに領から織田の兵は消えた。前線に出ていた官兵衛の軍はほぼ壊滅という状況だったが、常世姫の首一つでそれすらも嘘のように赦された。
官兵衛が戦場から伴った女児は、先の戦で親を亡くした孤児と称し秀吉の下へと預けられた。子供のいない秀吉の下には三成や清正といった、若い子飼いがおり、官兵衛が引き取るよりはよかろうという判断だった。
ねねに引き渡される間際まで、少女はなかなか官兵衛の手を離そうとしなかった。
まるで雛鳥の刷り込みのようだ、と官兵衛は窮したが、人形のような娘に感情らしきものが見え、同時に安堵した。
昨夜、侍女の首を切り落とした時、娘は一瞬驚きの表情を見せたが、それは本当に一瞬だけのことで、すぐに人形の顔に戻った。官兵衛が口封じのために次々と居合わせた兵たちを殺していく様を、己の身体が血に汚れる事もいとわず、じっと見届ける。
まるで、その両眼にこの光景を記憶するように、瞬きすらもなかった。
「名はなんという」
火種がすべて潰え、官兵衛と娘だけが残った。
「ありません」
と、娘が人形の表情で言う。
「常世に名前はないのです。私はその十七代目です」
名によって区別されない少女たちは、すべて繋がった魂の化身だと言う。
生まれては死に、生まれては死ぬ、その繰り返し。幾世も続くその輪廻は、まるで呪いか業のようだ。
「そうか。では、名をやろう……。これからは、と名乗るがよい」
「……?」
娘は与えられた名を、何度も繰り返した。
「……、……、……」
そして、ふふっと僅かに笑うと、官兵衛に向かってにっこりと微笑んだ。
ようやく、人形が呼吸をした瞬間だった。
秀吉とねね夫妻に預けられたは、初めこそ人形のような固さを残していたが、徐々にそれはほぐれ普通の娘のように振舞うようになった。それには、あの子飼いの三人が大いに関係したのだろう。何かと喧嘩ばかりをしているが、そうしてじゃれあっている姿は、まるで子猫か子犬のようだった。
秀吉に引き取られた後も、は官兵衛を慕っていた。暇があれば執務室に居座り、じっと官兵衛の仕事を見ている。それではつまらぬだろうと兵書を渡すと、今度はそれに没頭するようになった。そして、いつの頃からかは官兵衛の元で軍略を学ぶようになった。
「後は卿の想像通りだ。私はあれに軍略を学ばせ、戦に伴った。あれの目は百人の間者に匹敵する。泰平のため利用しない手はあるまい」
「利用、ね」
官兵衛はあえてそんなものの言い方をするが、それはのためだったのではないかと半兵衛は思った。
泰平の世のため。
目を使う事に大義名分を与えたのは、官兵衛なりの慈悲に違いない。禍物と封じるより、いっそその力を正当化することで、官兵衛はの常世姫としての存在を肯定した。
親に捨てられ、両眼に神通力を宿した少女の心の拠り所となるために。
「ねぇ、前に官兵衛殿がはよからぬ物を招くって言ったでしょ。あれってが常世姫だから、正体がばれないように俺に近づくなって事だったの?」
「それもある。が、よからぬ物を招くのは真実だ」
「よからぬ物って?」
官兵衛は答えるのにわずかに間を空けた。その空白の数秒に、官兵衛の逡巡が見える。現実主義者の官兵衛にとってその言葉を口にするのは、いささか不本意だっただろう。
「怪異だ」
怪異? 半兵衛がおうむ返しに繰り返した。
「怪異って……おばけとか、妖怪とかが出るってこと?」
確かに幽霊みたいだけど、と半兵衛は胸中で呟く。
「いや……そういった化物の類ではない。有体に言えば、夢を伝染させる。常世姫というのは、夢を媒介にして自分の視た物や感じた物を親しい人間に伝えるのだそうだが、あれは無自覚にたまにそういう事をやってしまう」
「夢……」
半兵衛の脳裏に先ほど見た夢の情景が蘇った。
白い手に操られて、糸のままに動く意志を持たない人形。その姿はまさしく運命に翻弄された常世姫のそのもので――――
ああ、あれはが見せた夢だったのか……
妙な納得を得て、半兵衛は胸のつかえがすうと溶けていくのを感じた。
その時、遠くからの呼ぶ声が響いた。
「官兵衛さまぁー、半兵衛さまぁー! 夕餉のお支度が整いましたー!」
今日は秋刀魚の塩焼きですよー! と今日の献立を大声で張り上げる。
話に上がっていた常世姫と現実の常世姫があまりにかけ離れていて、半兵衛はぷっと吹き出した。
ああしていれば普通の村娘と変わらない。とても血塗られた過去を越えて生きてきたようには見えなかった。
千里の彼方を見透かす常世の瞳が、今は夕日を受けてきらきらと輝いている。
「あれには恥ずかしいという概念はないのか……」
と官兵衛が不平を零すように呟いた。
後ろ手に手を組んでゆっくりと歩いていく後を、半兵衛が追う。
「ま、いいじゃない。はなんだからさ」
end
官兵衛殿の昔話その2です。
何やら詰め込みすぎてぐちゃぐちゃになってしまった……
第一部もう少し続きます。
ちなみに、姫路城のおさかべ姫と猪苗代城の亀姫は天守に住むという女怪です。