その瞳には何も映らない。もしかしたら、『意識』と呼ばれるものが欠如しているのかもしれない。
関節はところどころ不自然に曲がっている。
崩れると形容した方が適切だろうか、その様はまるで壊れた人形のように見えた。
虚空にむき出しの白い腕が二本浮かび上がる。
指先には十本の絹のように細い糸が結びつけられていた。
その先は薄くなってどこに繋がっているかわからない。
だが、腕がそれを引くと、ふいにぴくりと彼女の指の先に力が入った。
ゆっくりと、動くかどうか確かめるように指が動かされる。
次に腕が上がり、ふわりと上体が宙に浮いた。
立ち上がる。
だが、足は体を支えきれず、膝立ちに留まった。腕は何かに引っ張られるようにかかしのように伸びていた。
依然としてどこか不安定なそれは、やはり意志など持ち得はしなかった。
相変わらず少女の視点は定まらず、頭はだらりと垂れている。
白い腕が、少女の背後から、彼女の顔を包み込んだ。俯いたそれを、首が安定するように支えてやる。
次にだらりと左右に伸びた腕に、一つずつ剣を持たせてやった。仕上げのように乱れた着物を直してやる。
そして、腕は再び虚空に上がる。十の指を構え、思い切りそれを引き上げた。
少女は大きく痙攣し、即座に立ち上がった。
きりきりと糸を繰ると、それに呼応するように少女は剣を構える。
虚ろな瞳が、次第に焦点を合わせ、闇の先の敵を見据える。
指が踊るように動かされると、少女は機敏な動きで闇に潜り込む。
大きく振りかざされた刃が闇を切り裂いた。
常世の瞳 01
「起きよ、」
頭をこつりと何かでやられた。
ぼんやりと目を開くと、無表情の官兵衛が自分を見下ろしていた。
なんだっけ……
しばしぼんやりとした頭で官兵衛を見返す。
確か斉藤を攻める戦に来ていて、それで……
「はっ! 戦況、戦況は!?」
そこでようやく陣中で倒れたのだと思い出し、跳ね起きる。起きた衝撃で額の上から手ぬぐいが落ちた。
看病してくれていたのだろうか……
淡い期待を胸に官兵衛を見やるが、あの無表情からは何も読み解く事はできなかった。
戦に来て倒れるなんて、呆れてるんだろうな……
落ち込みかけて、はぶるぶると首を横に振った。
落胆するのはまだ早い…。この戦、私の力で織田軍を勝利に導かなくちゃ。
「戦況は?」
立ち上がり官兵衛の隣に立つと、遠くそびえる稲葉山城から白い煙が上がっているように見えた。火計が成功したのか…。そう安堵の吐息をもらしかけた所を、官兵衛の言葉が覆いかぶさる。
「策は失敗だ」
「え?」
「どうやら、あちらの軍にも切れ者がいるらしい」
まさか、官兵衛様の策が塞がれた……?
は信じられないような気持ちで、稲葉山城を見つめた。
遠くを見透かすように、目を細めて見据える。
そうするとすべての視界を阻む物体が、陽炎のようにゆらぎ、解けていくようだった。
「無理はするな」
官兵衛の言葉に、はい、とだけ短く返す。
瞳に淡い碧の光が集結していくのを感じる。
ぼやける視界、その奥に見たいと願うものが形作る。
あれは……子供?
「少年……いえ、青年ぐらいの年恰好です。武将と言う姿ではありませんが、もののふが一人奮戦しています」
変わった武器だ。大きな羅針盤をまるでヨーヨーのように回転させている。猛者と言う風には見えないが、あの青年一人にこちらの放った工作部隊は壊滅させられている。
ぱちりと目を瞬かせると、両眼に宿った淡い光は空気の中に霧散した。
同時に、くらりと眩暈が押し寄せて、倒れそうになった身体を官兵衛が抱きとめた。
「もう良い。お前は休んでいろ」
相変わらずの無表情だが、気遣っていてくれているのが嬉しかった。
この無表情の軍師のことを、人は冷血だと云うが、にはそうは思えない。本当に冷血だというなら、の力をもっと酷使するはずだ。
「いえ、大丈夫です……ちょっとは働かないと、怒られちゃいますから」
そういって、倒れそうになる身体を無理矢理に立ち上がらせる。
の能力の事は、限られた者しか知らない。この力を酷使すると、風邪に冒されるように高熱を発する事も、知っているのは官兵衛を含めるわずかな人間だけだ。
それを明かさぬまま従軍するには、いくらかの苦労があった。ようやく軍師見習いとして、官兵衛についていく事を許された今も、力を使いすぎて体調を崩すと官兵衛に迷惑をかけてしまうのではないかと思ってしまう。
だからこの力は、官兵衛のために使おうと決めた。
官兵衛の策を成すために、己が目になろうと。
どんな障害も、この目で見定めてみせる……、泰平の世のために。
は強く拳を握ると、遠くそびえる稲葉山城を見上げた。
end
かんべ殿は保護者みたいなもの