この娘の智となり、策となり、少しでも役に立つ事が出来れば、それで良いのだと思っていた。
それだけで、この世に生まれてきた意味も、死ぬ理由も、すべて満たされるような気がしていた。
なのに――――それが傲慢に過ぎないと気付いたのは、いつからだった?
空転 02
ピーヒョロロロロ、と空高く鳶が鳴く声が響いた。
領内の町並みや遠く広がる田園地帯を望む小高い丘に、は腰を下ろしてぼんやりと下界を眺めていた。
視界の先には秀吉の屋敷があり、ちょうどその門先から旅装を調えた官兵衛と供が馬をゆっくりと歩ませるところだった。
所用のため国に一時戻るのだと聞く。あの文にその所用がしたためてあったのだろう。
官兵衛の変わらぬ顔色ではその所用が如何様な用件かは分からないが、ゆっくりした足取りなら冠婚葬祭に関わることではあるまい。
近くまた戦が始まるから、その前に休みも兼ねてゆるりとして来いとの秀吉の配慮である。目下の者へのその気遣いはさすが秀吉と尊敬するが、今回ばかりはその誠実さを恨めしく思う。
はあっとため息を漏らすと、背後に人の気配がした。
先日とは違い、今日は驚かない。
の見開かれた碧の目には、死角など存在しないのだ。
「見送りにも行かないで、こんな所にいた」
と、悪戯を咎めるような声で、背後に立った半兵衛が言った。
「ああ、でもここからよく見えるんだねぇ。まあ、には距離とかあんま関係ないか」
隣に立って目の上にひさしを作るように手をかざすと、遠く離れていく官兵衛の馬を眺めた。
半兵衛の目には米粒くらいの点にしか見えないが、の目には鮮明に見えているのだろう。それこそ、播磨の国に着くまでずっと見送れるくらいに。
「何の御用ですか」
と、明らかに不愉快そうな顔と声で、は尋ねた。足を抱え込むように座ったその膝の上に頬杖をつき、半兵衛の方を振り返りもせずに言う。
「あれ、ご機嫌ななめだねぇ」
半兵衛がからかうと、がぎろりと鋭い視線を向けた。
それに怖っ、と肩をすくめて見せてから、半兵衛は怪訝に思って尋ねる。
「なに拗ねてんの」
のふくれっ面が半兵衛がもたらしたものではないと悟ったのだ。
べつに、と素っ気無い答え。
だが、慧眼でなくとも、が官兵衛の帰省を快く思っていない事は容易く知れた。
「不毛な恋をしてるねぇ」
と、の隣に腰を下ろし、呟く。年相応の大人の意見として告げたつもりだったが、やはりに睨まれた。
放っておいて下さい、と拗ねた顔で言う。
「……ねえ、なんで官兵衛殿だったの?」
興味本位で尋ねると、は厭そうな顔をした。てっきり無視されるかと思いきや、消えそうなか細い声では律儀にも答えた。
「官兵衛様だったんじゃありません。官兵衛様じゃないと……駄目だったんです」
側にいたいと思うのも、この人の力になりたいと思うのも、尊敬できるのも、命を賭して良いと思うのも――――皆、官兵衛でないと駄目だった。
他の誰かに変われるものでもない。
誰かの中から選んだのでもない。
そうして特別をいくつも持った人だったから、それ以外の選択肢など、なかったのだ。
聞き終えた後、半兵衛はふうんと分かったのか分かっていないのか、曖昧な相槌を打った。
そして、
「そうだよね」
と、一言。
「偶々その人だったわけじゃないもんね。その人じゃないと、駄目なんだ……」
遠く空を眺める半兵衛の顔がどこか寂しそうで、は一瞬言葉を失った。
このふざけた軍師もこんな顔が出来るのかと、ちょっと関心しかけ――――
「ね、俺にしときなよ?」
くるりと振り返り、満面の笑みでの両手を握る。
「官兵衛殿と違って妻子いないし、大人の魅力溢れるし。悪い物件じゃないと思うけど」
ね、どう? と媚を売るような上目遣いで見られ、はため息を漏らした。
一瞬でも真面目になりかけた自分が馬鹿みたいだ。
「寝言は寝てから言ってください」
と、手を振りほどくと、半兵衛はあちゃーと顔に手をあてて苦笑を漏らした。
「話が突飛しすぎです。だいたい半兵衛様は、」
「ま、そうそう上手くは行かないかぁ」
の言葉を遮って、半兵衛は再び遠くを見るような顔をする。
そんな顔をされると満足に文句も言えやしない。
消化不良を感じながらもも空を見つめると、遠くで鳶がヒョロロロと鳴いた。
end
すみません、鳶って季節はずれですね。