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 側にいられるだけでいいと思っていた。
 この方の目となり、足となり、少しでもお役に立つ事が出来れば、それで良いのだと思っていた。
 それだけで、この世に生まれてきた意味も、死ぬ理由も、すべて満たされるような気がしていた。
 なのに――――それが傲慢に過ぎないと気付いたのは、いつからだった?




空転





「そのまま殺しちゃえば?」
 背後からかけられた声にはっと顔を上げた。
 一体いつからそこにいたのだろうか。
 柱に寄りかかるような体制で、頭の後ろで腕を組んだ半兵衛が、にやにやと笑みを浮かべていた。
 の目の前には官兵衛が、とても珍しく文机に突っ伏すようにして寝入っている。
 その首筋に今まさに、指先を這わそうとした瞬間――――声をかけられ我に返ったのだ。
「何のことでしょう?」
 空とぼけて手を引っ込める。
 瞬間、半兵衛の顔から笑みが消えて、詰まらなそうな顔でふうん、と鼻から抜けるような声を上げた。
「ま、それならそれでもいいけど」
 ゆっくりと歩み寄り、の隣に片膝をつくようにして身を屈める。
 そして、官兵衛の寝顔を一瞥した後、机の上に広げられた文を手に取りにやっと笑った。
「なるほどねぇ。これが悋気の正体か」
 文は播磨の官兵衛の実家から送られたもので、国の事や息子の松寿丸の事が事細かにしたためられていた。
 宛名を見ずとも誰の筆跡か分かる。
 官兵衛の妻のものだ。
 月の頭に決まって送られてくる文を官兵衛の元に届けるのは、の役目だった。
 初めは何とも思わなかった。彼に妻子があることなどとうに知っていたし、自分がここに来る前にすでに夫婦になっていた二人のことに嫉妬を燃やすのは、筋違いな事のように思えたからだ。
 だが、いつからだろう。
 この手紙が届く事を、ひどく憂鬱に思うようになったのは。
 文を届ける時、官兵衛は平素と変わらない。何でもないような顔で、文を受け取る。そして決まって次の日、返事の文を送る。
 それはずっと昔から繰り返されてきた慣習であるのに、いつの頃からかには耐え難い行動に変わっていった。
「ふんふん、なるほどねぇ。あ、の事も書いてあるよ? ええと、なになに」
「止めてください!」
 今まさに読み聞かせようとしていた半兵衛の手の中から、は文を奪い取った。
 一瞬、官兵衛が起きてしまうのではと肝を冷やしたが、そんな事よりも文の内容など知りたくもなかった。
 彼女が――――あの人の妻が、自分の事をどんな風に思っているかなど知りたくない。
 それはきっと優しい言葉で綴られているに違いないから――――そんなものと自分の醜い心を比べたくなかった。
 の必死な形相に、半兵衛は興ざめした様子だった。
 あーあ、と子供が玩具に飽きたような声を上げると、すくっと立ち上がる。
 はそんな動作の一つ一つを睨みつけていた。
 忍んでいた恋心を知られたのも、からかわれたのも悔しくて仕方なかった。
 だが、半兵衛はそんな気持ちまでも嘲笑うかのように、の耳元にそっと唇を寄せると、
「やっぱり殺しちゃえば良かったのに。そうすれば官兵衛殿は永遠にのもの」
 の見開いた瞳と、半兵衛の細めた瞳が交差した。
 その張り詰めた空気をぶち壊すように、次の瞬間、半兵衛は悪戯めいた顔で笑ってみせる。
「なーんてね」



end


意地の悪い半兵衛さん。
情が自分に向いている時は激甘だけど、他人に向いてると、
全力でぶち壊しに行くとかいう性悪っぷりだと萌える。