傷跡
傷口をぬれた布で拭うと、は眉根を寄せて反射的に身体を引いた。捕まれた腕のせいで、逃げる事はかなわないけれどよほど痛いのだろう。流れ出した鮮血が、じんわりと真っ白な布に染みていく。
「痛い?」
問えば、無言のまま首を振る。痛みは痛みとして身体に伝わる。だけどの心は痛まない。の心を支配するのは、そんな身体の痛みではない別の痛み。包帯を巻いたぐらいで癒せる痛みではないけれど。
「じゃあ……辛いの?」
今度は何の反応もなかった。ただ、ぼんやりと傷口を見つめる瞳が、質問の意味を理解しようと二三度瞬いた。
「千里眼で敵の策を看破したんだってね。俺たちの軍は勝利したけれど、結果としての目が大勢の敵兵を殺すことになってしまった……」
心の麻痺を解いてやるように、俺は低く、囁いた。の腕がかすかに震える。苦しげに寄せられた眉は、悲壮の形相を顔に浮かび上がらせていた。
「痛むんでしょう? この傷が泰平の代償だから。理想をこんな形で叶えてしまったから」
追いつめれば、心の傷から新たな鮮血が滴る。それに耐えるように白い手が俺の手を強く握った。
「わたしは…」
救いを求めるように向けられた瞳。それに応えるように俺は強く手を握り返す。
「は何も悪くない。こうするしかなかったんだよ。あの戦に勝利するには、がその手で殺すしかなかった。どんなに残虐であろうと、それしか道はなかったんだよ」
恐怖から逃れるように、の細い腕が俺の首に回された。震える身体を抱きしめる。微かに漏れる嗚咽を慰めるように、髪を撫でる。
「半兵衛様…はんべ……さまっ…」
嗚咽混じりに呼ばれる名はとても心地よく、俺の独占欲を満たしていく。の心にあるのは俺だけ。の痛みをわかってあげれるのは、慰めてあげられるのは俺だけ。そう、心を追いつめて思いこませた。
「泣いてよ。俺はずっとの側にいるから」
慰めるふりをして、追いつめるのは容易く。の視界は狭く、俺だけを映し出す。
それでいい…。の側にいるのは、俺だけで十分だから。他の何者も、君にはいらない。だから、心を壊して、俺だけを見つめればいい…
涙で濡れた頬を拭い、優しく口づけした。の心の隙間を埋めるように、俺の欲望を果たすように、次第に強く深く舌を絡ませる。無抵抗の身体を蹂躙し、脳を冒して忘却の果てに誘う。うわずる声はただ救いの声のように、静かに響くだけ。
こうして緩やかに、穏やかに、壊していけばいい。心も体も、俺から離れぬよう。俺なくして、生きる事さえできないよう。
弱らせて、追いつめて、俺以外の救いなどないように……そのためならば、俺は君の涙でさえ喜んで舐めよう。
だから、もっと泣いて…。もっと、苦しんで…。
もう二度と浮かばぬよう。俺という深い海から浮かばぬよう。俺の腕の中で眠り続ければいい。外の世界は君には辛く、とつも残酷だから…
さあ、眠って?
「大好きだよ……たとえ、世界が君の敵になっても。俺だけは永遠にの側に居るから」
それは甘い、甘い呪いの言葉。
は泣きはらした顔で俺を見上げ、力なく微笑み、俺の手を取った。
end
短いですが暗い狂愛でした。
救う振りをして追い詰めて、視界も意志も奪っていく半兵衛。