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人狼の館 2nd night





 どれだけの時間が過ぎただろう――――
「勝者の面構えにしては、ずいぶんと貧相だな」
 殺されたはずの死体の一つが、よっと声をかけてゆっくりと立ち上がった。
 まるで長い眠りから覚めたように、コキコキと首を鳴らす。その仕草は人間のように見えるが、姿は異形だ。男の頭には毛に覆われた獣の耳が生え、背後には金色の毛で覆われた尾がふわふわと漂っている。
「狐、生きていたの」
 半兵衛は泣き腫らして赤く染まった目を向ける。
「お前たちと違って、俺は一度の死で滅んだりしない。尾は一つ減ってしまったがな」
 狐と呼ばれた男――――三成は、己の減った尾を確かめるようにふよふよと漂う尾を揺らした。
 そして、あたりをぐるりと見渡して、の躯へと視線をやり口をへの字に曲げる。
「馬鹿が。人狼などに誑かされるからだ」
 まるでこの場で起こったすべてを知るような口ぶりだ。もっとも、半兵衛以外の者が死に果てたこの現状を見れば、何が起こったのかなど想像に容易いだろう。
 せっかく妖狐を退けたというのに、は最後の最後で選択を誤った。
 最後に、人狼ではなく人間を選んでしまったのだ。
「さっさと退場させられた人が偉そうなこと言わないでよ。は……自分の役割に従っただけだよ。俺も……遊戯の決まりに従っただけだ」
「ふん、笑わせるな。独りでめそめそ泣いていた男が言う言葉とは思えん」
 三成の嘲りの言葉に、半兵衛は視線を鋭くさせる。だが、涙に溶けたその目では、ただの虚勢のようにしかならない。
 この遊戯において、人間はただただ非力だ。喰らわれる恐怖におびえ、震えるだけの弱き存在。
 こうして勝利を手にしたにも関わらず、その手には何も残らない。
 残されたのは多くの屍と、自分だけが生き残ってしまったという事実だけだ。
と生きる選択はなかったのか?」
「ないよ……。は俺のこと、人狼だと信じてたんだ。俺が殺さなかったら、俺がに殺されてたと思う。は俺を選ばない。人間を選ばない。そしたら、はこの館で一人ぼっちだ。狂ったまま、一人ぼっちなんだよ」
 だから俺が殺したよ。俺が残ることにしたんだ。
 そうして流す半兵衛の涙は、ひどく弱く、欺瞞に満ちた、人間の涙だった。
 三成はフンと鼻を鳴らすと、半兵衛の目の前に己の尾を向けた。三本の金色の綿毛のようなそれがふよふよと揺れる。
「貴様のその顔、気に食わんな」
「……放っておいてよ」
「いいから聞け。貴様が望むなら力を与えてやらん事もない。俺の尾を三本くれてやる。一本をに、二本を貴様がつけろ。それでは生き返る」
 半兵衛は目を白黒させた。三成の思わぬ提案に、瞳に警戒の色が浮かぶ。
「どういう意味?」
「このような無様な勝者に負けたのでは、俺も気が収まらぬのだよ。要らぬというならそれでも構わんが、ここでと朽ちていくことに意味があるとは思えんな」
「……それは、俺たちに妖狐になれって言ってるの?」
 三成の金色の尾を睨み付けつつも、半兵衛の心は揺れていた。
 妖狐は尾の数で主従の形が決まるのだと聞く。つまり、三成の尾を受け入れると言う事は、自分もも三成の眷属になると言う事だ。
 人間の尊厳を捨て、人外に成り下がる。
 最後の最後まで守り続けた人間であると言う誇りを、ここで失ってもいいのか――――半兵衛は悩んだ。
 だが、
「破格の取引だと思うがな。俺はどちらでも構わんが、拒めばはこのままだ。無様な勝者であり続けたいなら勝手にしろ」
 三成の紅い双眸が、半兵衛の心を見透かすようにじっと向けられる。
 半兵衛の黒い人間の瞳は、三成の異形を姿を映し、選択を迫られた。
「さあ、取引だ。人間」





「半兵衛様、見てください!」
 海原の向こうに港町を見つけ、が子供のようにはしゃいだ声を上げた。の明るい声に反して、半兵衛の表情は暗い。その半兵衛の懊悩を嗤うように、三成がの隣で目を細めている。
 日の光に照らされたその姿は人間と何の変わりもないが、半兵衛はそれが妖狐の化けた偽りの姿である事を知っている。
 あの日、三成と取引をした半兵衛は、自らの魂を捧げ、代わりに三つの尾を手に入れた。一つをに、二つを自分に。は生き返り、半兵衛の支配を受けた妖狐へと変じた。
 尾を分け与えられたは、半兵衛に従順だ。まるで子供のように、従順な妻のように、半兵衛に従い決して拒む事はない。
 だが、同時には三成の支配も受けている。三成は半兵衛をそそのかすことによって、間接的にを手に入れたのだった。
 それこそが三成の本当の目的だったのだろうかと、思わないでもない。
 だが、今となっては考える事すら意味のない事だ。あの時にはそれ以外の方法などなかった。三成の取引を拒めば、人間の尊厳は保たれたかもしれないが、は二度と生き返らなかった。
 今、自分がすべき事は過去を悔やむ事ではない。妖狐となった自分には、別の目的がある。
 多くの人間の魂を集め、いつか三成よりも多くの尾を持てば――――その時こそ、自分もも三成の支配から逃れる事が出来る。
 たとえそれで何人の人間が犠牲になろうと、すでに人間を捨てた半兵衛にはどうでも良い事だった。

end


人間を捨てて妖狐に。