軍師嫌い
加藤清正は軍師という輩が苦手である。
否――――苦手という生易しいものではない。
嫌悪している。蛇蝎の如く忌み嫌っている――――とまでは流石にいかないが、とにかく嫌いなのだ。
武経七書を修めただか何だか知らないが、やれ戦術だ計略だと小難しい事をぐだぐだと並べ立て、そのくせ自らは兵を率いずに大将の隣りで高みの見物、という態度がまず気に食わない。
清正とて戦が力押しばかりでない事は百も承知であるし、軍略の重要性を否定するつもりはない。
ただ、それを操る――――軍師という胡散臭い輩が嫌いなのである。
もちろん、個人的な恨みというのは多大にある。
まずは軍師筆頭・知らぬ顔の半兵衛こと竹中半兵衛。
この男はすでに三十路も超えているくせに、女と見まがう綺麗な顔をしている。口先がうまくて、ついでに嘘泣きまでお手の物。そのくせ無邪気そうな外見に違わず腹の中はどす黒く、西国にまで名の届く性悪軍師だ。半兵衛の嘘泣きにはめられて、痛い目を見たのは一度や二度ではない。
次に続くのは、半兵衛と共に両兵衛と称される黒田官兵衛。禍々しい空気と無表情で不吉な凶相を一切隠そうとしない、半兵衛とは対照的な黒衣の軍師である。性格は冷徹にて非情。情や絆など一切通用しない徹底した合理主義者であり、敵味方隔てず恐れられている。それが最も有用な方法なのだと分からぬわけではないが――――清正は官兵衛のやり方が気に入らない。それでぶつかる事もしばしば。感情を排除しきった方法では、いつかそれが仇となることだろう。そう、清正は予測している。
そして、最後となる軍師は――――
「清正! ねえ、清正ってば!」
煩く付いて来る女の声。
いい加減うんざりして振り返ると、戦装束を纏ったが睨むように清正の顔を見上げていた。
「なんだ」
「なんだじゃないでしょう! 官兵衛様にあんな失礼な口を利いて!」
その話か、と清正はため息と共に呟いた。
先ほどの軍議での事だ。いつもに増して官兵衛の冷徹な軍略に閉口した清正は、立場の上下も忘れ官兵衛に食いかかったのである。
もちろん、冷徹軍師の官兵衛がそんなものを相手にするはずもなく、間に入ったねねや秀吉に諌められてその場は口を噤んだ。一騒動あった後に、それじゃあ折衷案という事で、と今までにやにやと笑っていた半兵衛が別案を出してその場を収めたわけだが、それも清正は気に入らなかった。
おそらく半兵衛は元よりその案を推進するつもりだったのだろう。だが、そのままでは通りにくいため、先に官兵衛に過激な事を言わせ、まんまと清正が噛み付いて騒ぎ立てるのを待っていたのだ。
官兵衛の策が出た後ならば、自分の策は通りやすくなる。
端から自分の言動は先を見越され、策の一部に組み込まれていたのだと思うと、腹立たしくてならなかった。
やはり軍師は嫌いだと認識を新たにし、この苛立ちを鍛錬にでもぶつけようと歩いていた所をに声をかけられたのである。
官兵衛の弟子にして、清正にとっては姉分でもある娘――――
できれば今は話したくなかった。
ああ、と適当に相槌を打って、そのまますたすたと去ろうとすると、はしつこく後ろを付いて来る。
「ねえ、どうして官兵衛様にはそうなの? いつもは正則や三成より、もっと冷静なのに」
「気に入らないから、だろ」
「どうして気に入らないの? そりゃあ、誤解を招きやすい方ではあると思うけど……策の有用性は分かってるんでしょう?」
「当たり前だ」
「じゃあ、なんで」
怒ったような顔で問答を続けるを、清正は呆れた顔で振り返った。
皆が皆、自分のように官兵衛を尊敬し、軍師として認めているとでも思っているのか。それとも、軍師こそが戦場を支配し、勝利の要となる存在だとでも思っているのか。
ねえ、なんでとしつこく聞いてくるを、清正は睨みつけた。
「俺は軍師が嫌いだ」
はっきりと言い放つと、は一瞬驚いたような顔をしてから――――まるまる一拍後に、どーゆーこと? と顔をしかめた。
意味が通じなかったらしい。
それ答えじゃないよ、ねえなんで、と付いて来る声を無視して、清正は歩む足を速めた。
おそらくこの軍師には、一番言葉が通じないのだ。
「それはさぁ、が軍師だからだと思うなあ」
と、にやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、半兵衛が答えた。
えぇ? とはますます意味不明と書かれた渦に引き込まれるように、首を捻る。
先ほどの一件を執務室に戻った後、両兵衛の二人に愚痴ったところ、そんな回答が戻ってきたのだ。
官兵衛は黙っている。というより、むしろ執務に没頭して、相手にする気がないという風だ。
「更に言うなら、俺と官兵衛殿が軍師なのも気に入らない理由なんだろうねぇ」
はやはり分からないと言った顔で、目をぱしぱしと瞬かせた。
わからないかぁ、と半兵衛は苦笑を浮かべて頭を掻く。
「ま、本人が言う前に俺がばらしちゃうのも悪いし、余計な事は黙っておきますかね。ね、かんべー殿」
相槌を求めて声をかけると、黒衣の軍師は一瞬半兵衛の方を見て、それから――――
「くだらぬ」
と一言、呟いた。
その言葉にすべての想いが集約されているかのように、官兵衛は再び我関せずという顔で筆を走らせる。
は最後まで首をかしげていたが、やがてほらほら仕事! と半兵衛に急かされ、清正の放った言葉は忘却の彼方へと追いやられていった。
彼女が何ゆえ、軍師という輩を清正が毛嫌いするのか――――その理由を知る日はまだ遠い。
end
まだまだ想いは伝わらない。