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 たったった、と規則正しく響く足音に半兵衛が振り返ると、勢いを付けたままがその胸に飛び込んだ。
「半兵衛様っ!!」
 すっぽりと腕の中に納まる華奢な身体。肩がわずかに震えている。
「えっ、なに、、どーしたの?」
 普段のならば半兵衛に――――しかも人前で抱きつく事などあり得ない。その事実に大いに戸惑っていると、ひっくひっくとしゃくりあげる様な声が響き、更に半兵衛を困惑させる。
、どうしたの!? 何か悲しい事でもあった?」
 はふるふると首を横に振ると、涙で塗れた顔を上げた。双眸から音もなく流れる涙が、頬を伝って顎の先から零れる。
「半兵衛さま……正則が……私にっ」
 消え入るような声で告げると、うっと口に手をあてぽろぽろと涙を流す。
 半兵衛の中で何かがぷちりを音を立てて千切れた。
「正則ぃーーーーーーーー!!!!」
 と叫びながら、半兵衛は羅針盤を掲げると、どこへともなく走り去っていった。
 その背中を見つめながら、は涙を浮かべながらもにっこりと微笑んだのだった。




ガチバトル





「卑怯じゃねぇかよう」
 と、正則がぽつりと呟いた。その顔は半兵衛にやられたのか、青あざやらたんこぶやらでぼろぼろになっている。
「正則が悪いんでしょ」
 と、こちらは。あの涙はどこへやら、けろりとした顔で部屋の隅で繕い物をしている。
 そもそも事の発端は正則の悪戯が原因だった。いつもの様にが激怒し、制裁を与えるべく飛刀を飛ばしたのだが、あえなくそれは撃墜されてしまったのだった。
 自分の力では仕返しはできないと察したは半兵衛に泣きついたわけだが、の策通り半兵衛がそのかたきを取ってくれたらしい。ぼこぼこにされた正則を前に、これに懲りたら馬鹿な真似はしないこと、と言い放ったのだった。
 確かに自分のした事は卑怯なのかもしれない。自分の力ではなく、他人の力で仕返しを果たしたのだから。
 だが、にしてみれば、これは仕方のない事の一つだ。武では遠く及ばない相手に一矢報いるには、知に頼るほかない。自分の力を正確に把握しているからこそ、人を動かし頼らなければ身を守れないのだ。
 それでも清正や三成をけしかけなかった分だけ、感謝してもらいたい。今回は相手が半兵衛だからこそ、その程度の怪我で済んだのだ。もし清正をけしかけたのならこっぴどく、三成をけしかけたのならあらゆる手を使って、正則を冥土送りにしたに違いない。
「だからってよう……お前にゲンコツ食らうならいいけど、軍師に殴られるのは筋がちげぇだろ……喧嘩っつうのは、こう本人同士が熱く拳を交し合ってよう……」
 殴り合えば理解しあえると信じているこの喧嘩奉行に取って見れば、代理戦争では意味がない。さすがには殴れないが、に殴られるならまあ理解も出来るし心に響くものもあるのだろう。
「俺はやっぱ……お前とガチで喧嘩してぇけどな」
 正則の呟きにはきょとんと目を丸くした。
「正則……私に殴られたいの?」
 と、不思議そうな顔をしたまま拳を振り上げたので、わぁぁぁっと正則は必死で逃げた。
 その様が可笑しくて、はぷっと吹き出すと、冗談だよ、と笑ってみせる。
「正則が何を言いたいのかちゃんと分かってるって。だから……今度、正則が変なことしたら、ちゃんと私が喧嘩してあげる」
 そう言って、子供にするように頭を撫でられて、正則は釈然としないまま複雑な表情を作った。だが、細かい事に囚われない性格は、すぐに笑顔を作り出し、
「しゃあ! その時はガチで喧嘩な!」
 と、高らかに声を上げさせた。






 飛び出した羅針盤と鬼の手をかわし、一目散で逃げた所を後頭部に飛んできた鉄扇を受けて、ずべっと地面に突っ伏した。すぐに体制を整え逃げ出そうとしたところ、ぐさり、と顔の間近に鎌が突き刺され、正則はひぃぃっと悲鳴を上げた。
 前方からは清正が、後方からは何故か三成と両兵衛が、それぞれの獲物を構えてじりじりと詰め寄ってくる。
 その中をこつこつと具足のかかとを鳴らし、がゆっくりと歩み寄る。
 表情は穏やか、顔に微笑すら浮かべているが、雰囲気がおかしい。禍々しく黒く染まった空気を放ちつつ、にこりと微笑んで正則の前に屈みこむ。
「ちょっ、ゼッテーおかしいだろ!? 俺、ガチって言ったよな? な?!」
 正則の言うガチとは、あくまで一対一の公平な喧嘩だ。
 が、今のこの状況は多勢に無勢も甚だしく、前より状況が激化している。
「ガチだよ?」
 と、は小首を傾げて見せた。
「ガチで喧嘩しようって言ったから、私の動かせる戦力を総動員したの」
「んなっ!?」
 それでは意味がまるで違う。
 の拳ならいくらでも受けられるが、奴らの攻撃を受けるのは筋違い、しかも正則の許容範囲を超えている。
 だが、はそんな事はお構いなしに、
「本当に……しょうがないね、正則は」
 と、呆れつつも放っておけない弟を構うような口調で呟いて。
 ひゅっと拳を振り上げたと思うと、正則の右の頬に小さな拳をめり込ませたのだった。
 そして、にっこり、
「さ、ガチの喧嘩をしましょう」
 と、微笑んで。



end


珍しく正則夢でした。
ヒロインのガチとは、動かしうる全ての戦力を総動員するということ。
普通に喧嘩したら、逆にヒロインの手が痛くなりそうだし。