アメとムチ
「ね〜」
妙に間延びした声で呼ばれる。
「ね〜。ねぇ、ってば」
振り返らずにそのままにしていると、羽織の先をちょんちょんと引かれた。
自分の執務に没頭していたはわずかに眉間に皺を寄せ、なんですか、と声の主の方を向く。
「これさぁ、主旨間違ってると思わない?」
そう不平を漏らしながら、半兵衛は伸ばした手の平の上に乗せた丸い球体をころころと転がせて見せた。
琥珀色をしたそれは、微かに甘い香りがする。
ちょうど同じ球体がの口の中で、ゆっくりと溶けていた。
「ご不満ですか?」
と、。
いささか不機嫌そうな顔をしているのは、いつも通りのことだが目の前の人物――――竹中半兵衛が原因である。
だが、当の本人はそんなの冷ややかな視線など気づかず、不満に決まってるよ! と唇を子供のように尖らせた。
は文机に向かっていた身体を半兵衛に向け、はあとため息を漏らす。
「半兵衛様が仰ったのですよ。飴があれば働くかも、と」
先刻、一向に仕事をしない半兵衛に業を煮やしてが叱ったところ、半兵衛がそのように答えたのだ。当然、半兵衛の言う飴と言うのは、アメとムチの比喩であるわけだが――――
「だからって言葉通りに飴渡すことないじゃん!」
手の平には甘い匂いのする球体。
甘味は嫌いではないが、こんな物が欲しくて駄々をこねたわけではない。
「では、何なら素直に働いてくださるのです」
やや疲れたような表情で問う。そもそも、半兵衛はや官兵衛に叱られる事をムチだとでも思っているらしいが、それはとんだ勘違いである。
秀吉に仕える軍師のくせに、戦以外では日がな一日寝て暮らすというのは如何なものか。ろくに働かない、軍議はサボる、城下を視察に行くと行っては遊び歩く。あなた軍師の中では最年長でしょう、と一体何度、がその言葉を飲み込んだかは分からない。
の問いを受けると、半兵衛は待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「やっぱりさ、俺の好きなものじゃなきゃ」
「好きなもの?」
甘味ではいけないのですか、と小首を傾げるに、半兵衛は意味ありげな笑みを返す。
「いけなくはないよ。飴も……まあ、好きだしね」
「でしたら、」
「でも、俺が欲しいのはコッチ」
唇ごとの声を遮って、半兵衛の柔らかな唇がのそれに重ねられた。わずかに開いた隙間に舌先を潜り込ませて、かすめるように口内の飴玉を奪っていく。
溶けかけの、甘い味が口内に広がって――――
「アメとムチってのは、こういう事でしょう」
奪った飴玉を舌先に乗せて、にやりと笑った半兵衛をはただ目を白黒させて見つめ返した。だが、言葉にならない。
込み上げる恥ずかしさやら戸惑いやらで耳の先まで真っ赤にし、混乱のあまり声も出ないを見つめて、半兵衛は悪戯っぽく笑う。
「天才軍師を働かせるんだから、それなりの対価が必要だと思わない?」
end
きっとこの後、部屋の外で聞いていた(?)官兵衛が、
スパーンと襖を開けて登場。
「ではアメに匹敵するムチが必要だな」とか言いながら、
鬼の手を呼び出すんだと思います。