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青い羊は思考する ー羊の理03ー




 話はしばし遡る。曹操が典韋に命じ、瑞獣・獬豸を荒縄で捕らえた夜のことである。
 郭嘉の口車に乗り絶世の美女に変じた獬豸は、彼の士官するなら助けるという交換条件を笑い飛ばした。
「誰がニンゲンなんかに二度と使われてやるもんですか。この程度の束縛、貴方達を倒してから解いても良いのです」
 姿形は女に変わったが、慇懃な言葉に人ならざる者の怒りが見え隠れしている。金に近い朽葉色の瞳は見るものに獰猛な獣を連想させた。
 獬豸の物騒な物言いに何人かは武器を構えたが、対峙していた郭嘉に臆した様子はなく泰然としている。むしろ獬豸と会話が続くことーーーー交渉の余地があるという事に喜んでいる様子ですらあった。
「おや。正義を象徴とする貴方が武力行使とは物騒だ。私の罪とは何かな?」
「聖獣である私の捕縛。及び譫言を弄して私を騙そうとしたこと」
「譫言? とんでも無い」
 郭嘉は微笑むと獬豸の前に片膝を付き、前脚であったろう白魚のような手を取った。それはすぐに振り払われてしまったが、郭嘉は気にするふうでもなく、
「この取引はとても有意義であると思うけれど。貴方も手ぶらでは天界に帰れないのではないかな?」
「………」
 獬豸は忌々しそうに獣の目を細めて郭嘉を見据えた。
「どういう意味だ? 郭嘉よ」
 背後から曹操の声がかかる。
「この人は天界に住まうとても高貴な身分の方です。彼女にしていれば我々人間など取るにならない存在でしょう。そんな人間の元へ、なぜわざわざ天界から降りて来なければならなかったのか……それにはよっぽどの理由が有ったのでしょうね」
 図星をあてられ、獬豸は人型であることも忘れ唸り声を上げた。だが魂胆を見透かされているのなら、これ以上の沈黙に意味はない。
「そうです。私はある物を取りにこの地に降りました」
 一瞬自分を罰するために降りてきたわけではない事に、曹操は胸をなでおろしたりしていたのだが、その様子に気づいた者はいなかった。
 ある物とは何か、郭嘉が先を促す。
「白澤図です」
 白澤図とは神獣・白澤の語った一万千五百二十の妖異鬼神について書きまとめたとされる書物である。名前、姿形に留まらず遭遇した際の対処法まで記された謂わば魑魅魍魎の説明書だった。
 なぜ獬豸がそんなものを欲しがるのかという疑問に、獬豸は素早く、そして忌々しそうに言い放った。
「どこぞのアホ神獣が黄帝に捕まった時にべらべらと私達の事を喋りやがったのです。そのせいで昨今の人間と来たら、何でもかんでも妖異鬼神のせいにする! 冤罪をかけられ私達は迷惑しているのです!」
 アホ神獣とは、即ち中国妖怪の長・白澤のことであろう。あちらの方が格上のようにも思えるが、どうやら白澤図には記されなかった複雑な関係というものが天界にもあるらしい。
「本来、貴方達が私の姿を見て獬豸と断定すること自体がおかしいのです。あの馬鹿が話さなければ、ニンゲンに正体を見破られる事などありませんでした」
 そして珍しい物好きの曹操に捕縛されることもなかった。
「それもこれも白澤図が俗界に残っているせいです。あんなものは消してしまわなければならない」
 そこでようやく獬豸の来意は明らかにされた。つまり、白澤図をーーーー遥か昔より時の為政者に伝えられ、そして今世においては曹操が保持するそれを奪いに来たというわけだった。
「ならば話は早い」
 郭嘉は再び獬豸の手を握り締めると、
「そのような古本など貴方に差し上げよう。だから代わりに私の愛人になってくれないかな?」
 と嬉々として口説きにかかったのだった。
「……は?」
 一瞬呆ける一同。即座に反応出来たのは同じく女好きである曹操のみである。
「ならんぞ、郭嘉! お前には勿体無い! 儂の部下になれ、いや側室となれ!」
「私だけ除け者だなんてひどい。ならばせめて三人で愉しみませんか?」
「なにがせめてだ、好きものめ。白澤図は儂の所有物だ!」
「漢室からどさくさに紛れてくすねたくせに……。罪人は獬豸の角に突かれて死ぬのでは?」
「む……むむむむ、仕方ない。ここは譲歩すべきか……」
 郭嘉と曹操が下らない諍いを続けてくると、ふいに怜悧な顔つきの文官が二人の背後に立ち、順次彼らの頭部を杖のようなもので殴打した。穏やかそうな外見にそぐわぬ思い切りの良さに、獬豸はびくりと肩を震わせた。
「では……間を取って、貴方には我が国に三年間士官していただきましょう。任期を果たしたその時、白澤図をお渡しします」
 どこをどう間を取ったのか、まったく新しい条件が示され獬豸は混乱する。すると床に伸びていた曹操ががばりと起き上がり、文官の名を恨みがましい声で叫んだ。
「荀彧! 勝手に話を進めるな!」
「妥当な落とし所では?」
「理不尽にもほどがある。あのような美姫を士官させるだけだなんて……それとも文若殿が言っているのは、夜の士官ということかな?」
 それはそれで悪くない、と続けて起き上がった郭嘉は独りにやにやと好色な笑みを浮かべた。それを完全に無視して、荀彧は獬豸を見やる。
「どうでしょうか、貴方にとっても悪い取引ではないはずです」
 三年我慢すれば白澤図が手に入る。三年間は面白瑞獣を手元に置ける。双方の妥協点として確かに悪くない条件である。
 荀彧は獬豸が自分たちを武力で退け、その上で白澤図を奪う可能性はあり得ないと考えていた。それでは強盗である。こちらに彼女を捕縛した罪があったとしても、白澤図を奪えば獬豸も罪を犯す事になる。公正と正義を司る瑞獣がそんな無様な真似をするはずがない。
 獬豸は逡巡の後、承諾した。
「わかり……ました。そこの二人はともかく、貴方の言うことは信頼できそうです」
「ではそのように」
 荀彧は少しだけ表情を和らげて、獬豸と握手を交わした。
 契約の証として獬豸は自らの名を明かした。そして彼女はという名の文官となった。



end


全部妖怪のせい…!
関わりはないですが白澤さんは鬼徹シリーズの彼のつもり。