青い羊は思考する ー羊の理ー
とりわけ獬豸は正義や公正を象徴する祥獣とされ、優れた裁判官が生まれると姿を現すといわれていた。その姿は青い毛並みを持つ一角の羊のようであり、人の善悪を理解し、悪人はその角で突かれ食われると伝えられていた。
さて、この獬豸が曹孟徳の前に現れたとしたら裁かれるべきか否か。彼の人は覇者なれど清廉潔白ではない。その覇道の上に人の道を踏み外した行為が行われた事は明白である。世の乱れを早く治めることが人民のためになるとはいえど、その過程で犯された罪は罪ではないのか。
それは獬豸のみが知ることではあるが、その判決がどちらであれ、曹孟徳が何らかの報いを受ける時は必ず訪れるだろう。なぜなら、
「あーもう、これだから二本足の動物ってホントやだ」
下界に降りてきた獬豸を、荒縄でふん縛って捕まえてしまったからだ。
「殿、本当に呪われたりしませんかね? わし生きながら地獄に堕ちるとか勘弁ですぜ!」
「問題ない、悪来! 絶対に逃すでないぞ!」
瑞獣を縛り上げるという神をも恐れぬ行為に慄く典韋と、瑞獣の出現に自らの運気を確信する曹操だった。獬豸が現れたのが深夜、曹操の寝室と言う事もあり、限られた者のみがその姿を目にしたわけだが、実際に荒縄を持つ典韋と興奮の最中にある曹操以外はとても思考がついていけなかった。
鳳凰や麒麟のように像や工芸品に好んで象られる霊獣が、こうして目の前に居るのである。自然界には存在しない青々とした艶やかな毛並み、そしてまさしく人語を解している。知恵のある動物らしく表情さえ呆れているように見え、しかもこちらを二本足の動物と呼んで罵って見せたのだ。
「おい、孟徳……聞くが、どうするつもりだそれを」
獬豸の名を呼ぶことさえ憚られるのか、夏侯惇は現実逃避するように出来るだけ視線をそちらに向けないようにして尋ねた。
「飼うに決まっておろうが! こんな珍しい獣を黙って逃がす馬鹿がおるか!」
「あははあ、飼うか……干し草でもやっときゃいいのかな?」
顔をひきつらせて賈詡が青い獣を見やる。と、獰猛な瞳がぎらりとこちらを向き、賈詡は咄嗟に目をそらした。
と、傍らの郭嘉はなにか思案するような顔のままつかつかと獬豸に歩み寄り、角が届くか届かないかの所で膝を折った。金に輝く獰猛な瞳がそちらを向く。危ないから離れろと賈詡が後ろから声をかけたが、郭嘉はそれを聞き流した。
「無礼を働いて申し訳ない。しかし貴方のような方が突然現れたりしたら、私達はとても驚いてしまうのだけれど」
いつもの女性に語りかけるような優しげな声音。まさか獣まで守備範囲ではないだろうか、と外野に変な疑心を与えているのをよそに、郭嘉は言葉を続ける。
「良かったら貴方の来意をお聞かせいただけないかな? その上で建設的な話し合いができればいいのだけれど」
他の者とは異なる理性的な態度に効果あるかと思われたが、獬豸がよこしたのは猛獣のような威嚇の唸り声である。だがさすが郭嘉というべきか、それを獬豸からの返答と受け取り言葉を続ける。
「ああ、どうか怒らないで。私達はこのように脆弱な生き物だから、貴方のような威厳に満ちた者には自然と畏怖を抱いてしまうものなんだよ。曹操殿もあなたと相対して、すごく驚いてしまったようだね。怖いものは封じてしまわなければと思って、つい攻撃的になってしまったんだ」
それは違うぞ、郭嘉ーーーー
と、その場に居た者は皆密かに首を横に振っただろうが、人間というもの、そして魏のこの面々についてよく知らない獬豸は意外にもその言葉に耳を貸したようだった。疑わしげな目を向けつつも、
「では……どうすればいいのです」
初めて郭嘉へ言葉を返したのだった。
郭嘉は内心ほくそ笑んだに違いない。そうだね、と考えるような素振りをしつつ、パチンと指を鳴らして、
「貴方には大変不本意かもしれないが、私達と同じような姿に成ることはできるかな? 例えば、見目麗しい女性とか……ね」
瑞獣を前にしても郭嘉は郭嘉だった。さすがにそれはないだろうと、皆が胸中で突っ込みを返す中、獬豸は静かに目を瞑り口の中で何かを呟いたようだった。
途端、目を晦ますほどのまばゆい光が放たれ、思わず郭嘉は手をかざす。
そして光が引いたその場所には、郭嘉の要望そのままの見目麗しい女が荒縄に縛られる格好で座っていたのだった。
「………これでいいのですか?」
女ーーーー獬豸は憮然とした顔で言う。不機嫌な音は残しつつも、人間の女に变化した事で声は高く、柔らかなものに変わっていた。
反応のない郭嘉に獬豸が苛立って声をかけると、ふいに郭嘉が上着を脱ぎ、獬豸のむき出しの肩にそれをかけた。まさか裸の女になるとは思わず、さすがの郭嘉も目のやり場に困ったらしい。
胸の前で襟元をあわせてやりつつ、郭嘉の視線は女の不機嫌な顔に注がれていた。郭嘉をよく知るものであればそれが異性に向ける色目である事に気づいただろうが、人間の男女など知らない獬豸はただ居心地の悪いものを感じる。
「ちょっと、なんとか言ったらどうです」
目を吊り上げて郭嘉を見上げる、その表情に郭嘉はにこりと微笑みを向けた。何かの思案の後に、うん、とてもいいね、と呟いたのが獬豸の耳には届いただろう。
郭嘉は曹操の意向も確かめないうちに女の手を握りしめて、
「私が貴方を自由にしてあげよう。その代わり、貴方には明日から魏の裁判官として士官してもらおうか」
これが瑞獣・獬豸と、彼らの出会いだった。
end
守備範囲に定評のある郭嘉さん。